MMR出動!神秘の湖を往け!

【1998年2月27日(晴)中国:瀘沽湖】

瀘沽湖(ルーグーフー)。三匹のこぶたのブーフーウーとはなんら関係の無い四川省と雲南省の省境にある神秘の湖である。

何が神秘かというと、瀘沽湖には摩梭(モソ)人と呼ばれる民族がいて圧倒的女系家族制度を今に残し、「女人国」とも呼ばれるため男性は聞いただけでも股間をソワソワモソモソせざるをえないという神秘なのだ。(嘘)

家族のなかに父親という存在は無く、婚姻関係は「走婚」という、まぁ夜だけ旦那が女房んちにあがりこんでしっぽりとしけこんだあと翌朝早くこっそりと別れるっつー通い婚制度で、生まれた子供は母方で育て上げ、父親は自分の実家から出ることはない。当然「嫁姑戦争」というものは無い。ちなみに家族の中がじゃババァがダントツ一番偉い。みのもんたの出番などここには何処にも無い。

更に羨ましいところは、もし旦那が女房と離婚したければ三日間家族と会わなければよいらしく、同様に女房が部屋のドアを三日間閉めたらあっさりと離婚が成立する。「戦闘メカ ザブングル」の「3日かぎりの掟」の元になったという事は言うまでも無い。(未確認)

ここは地の果て 流されて俺。

ジョンディエンで一緒だったY坊と、独り寂しく残されて案の定ジョンディエンから降りてきた負け犬Y君と瀘沽湖にやってきた。女一人、男二人の無敵のドリカムシフトだ。

本日は神秘の湖の側の宿に飯付き風呂ナシで30元/日で身を寄せてから2日目、今日は成り行きで湖を馬で一周する事になった。馬を3頭借りて一日380元(当時約6000円)である。ふっふっふ、馬マスターの血が騒ぐ。

言っちゃーなんだが私はこう見えても馬には関係が深く、幼少のころ阿蘇の麓で馬に乗ったのを皮切りに、北海道や、モンゴル、中国のウイグルでも草原でブイブイ乗り回したし、小岩井農場のまきば園でも颯爽と馬車の荷台に乗ったし、富士山の5合目でもちょっと触ったし、馬刺しは嫌悪してるし、将棋でも飛車と金角の次に桂馬好きだし、ダビスタはよくわからないけど競馬場にデートに行ったことあるし、竹馬も作れるし、母親は馬(午)年生まれだし、、、というくらい関係は深い。

どーせ湖周辺を散歩する以外にやる事がないところだったから望むところだ。

、、、実はもうひとつ望むところがあって、私達がいる村の雲南省「落水」の湖対岸にある町の四川省「塩源」への秘密調査である。ここはヒマラヤ造山系の東端でもあり温泉も沸き出でる地殻変動激しい地域である。

近年マグネチュード5.0クラスの大地震が立て続けに起こり地質調査が盛んになってゆくが、その数年前に私達がいち早くこの前人未到の未開の地にメスを入れていた事は学会では公然の秘密であった。

1996年の「世界ウルルン滞在記」で「あしたまにゃーな!」とか言う人とテレビ局が来ていたくらいは絶域の秘境だ。

、、、調査の内容をこっそり教えるが、Y坊(タナカ)とY君(ナワヤ)のMMRの両隊員は、この後に四川省の奥地は「木里(ムーリー)」というチベット文化圏の入り口の村にショートカットするバスが「塩源」から出ていると噂を耳にし確認に行くという。

出来ればそのまま外国人未開放地域を突破してチベットに行くとか行かないとか。未開放とか未確認とかMMRにはピッタリの内容だ。

私、キバヤシには別の秘密指令があって、二人には内緒であったが「そろそろうまい食事を探せ!」との命令がMMR上層部から下されていた。重要任務だ。そう、、、

瀘沽湖の飯はまずい。

ノストラダムスもビックリのセントラルドグマの崩壊クラスだ。

現在はカフェなんかが立ち並んでお洒落になったが、摩梭人の基本はチベット仏教である。宿で出される食事は、ツァンパ(麦焦がし)を煉って焼いたナンもどきと、バター茶(お茶にバターと塩を入れ攪拌した物)のアレである。

私もチベットは大好きであるが、未だにアレだけはいただけない。

そんな事言うと「チッチッチ、フクちゃん解ってないなぁw」とかのたまうチベットかぶれの友人がいるが、我が家に遊びにきたら私は寿司を食べて、そいつには「バター」と「日清製粉の小麦粉」と「塩」と「ウーロン茶」を目の前に突きつけてやる所存である。

所存ではあるが、それに感づいてか奴は我が家には立ち寄ってこない。逆に日本で奴の家に遊びに行った時にツァンパと、バター茶の食事を当たり前のように出してきたときには、真っ裸にして全身蜂蜜を塗りたくって蟻塚に放り込んでやろうかと思ったほどだ。その材料があるならホットケーキを作れ。

そーそー食事である。

麗江から瀘沽湖へ訪れる際に立ち寄ったニンランの「石油飯店」で食べた中華料理がゲロマズだったので、ここ2日間まともに私が食べたのはクラッカーだけである。宿での夕食でジャガイモと魚の炒め料理がかろうじて出てきたのは救いであるが、麗江で食べた「ウェルビストロ」のラザニアのとろけるチーズが懐かしい。2日前だけど懐かしくてたまらない。

、、、そんな様々な思いを乗せ11:00過ぎに私達MMRは村を後にした。

右手には瀘沽湖、左手には獅子山を望みながら馬は湖を時計回りにパカパカと走る。パカパカパカパカはいしーどーどーお馬は走る。

今回のメンバーは我々3人と馬のガイド2人の計5人だ。

美しい丘を越え、のどかな周辺の村々を訪問し、穏やかな行き交う村人と触れ合い、爽やかな晴天の空気の中で、私達MMRは本来の使命を忘れ旅の醍醐味のようなものを沸々と感じ、みんな同じ思いで馬に揺られていた、、、感動のあまりに思わず声が出た。

「ケツが割れるように痛い。」

すでに馬には3時間以上乗りっぱなしで少し飽きていたし、歩く馬の上下運動は絶えずみんなの尻の割れ目を圧迫し続けていた。割れ目が惑星直列からグランドクロスになってしまう勢いだ。

馬ガイド達はそんな私達を見てニヤニヤしていたが、そのまま私達がケツの割れ目から時空を超えてしまったら大変な事になっていたかもしれない事を馬ガイド達が知ったら、我慢し続けた私達の尻の皮には一生足を向けて眠れない事だろう。

、、、15:30を過ぎた頃、ケツが割れる前にようやく対岸にある町四川省「塩源」についた。

飯だ!当然、私(キバヤシ)はこの町で指令どおり美味しい中華料理を求めたはずだが、その時にまったく何を食べたか記憶が無い。日記にも記載は無い。おかしい、、、記憶を消された可能性がある。中華食堂に入ったまでの記憶はあるが、、、またしてもグレイとアメリカ政府の仕業だ。

唯一覚えている事は、食事後にY君(ナワヤ)が「木里」行きのバスを探せなくて「木里(ムーリー)に行くのはムーリー(無理)みたいだなぁ」とくだらない事を言って戻ってきた事くらいだ。

Y君(ナワヤ)を除く全員が不愉快なまま町を後にした。

んでもって湖一周の半分にくるのに16:00近くになってしまっているので、当然「落水」の村に戻るのは夜になってしまう。

虎跳峡の悪夢がにわかに思い出される。Y坊(タナカ)とY君(ナワヤ)のMMRの両隊員は疲れと恐怖でグッタリしている。こんなときこそ、MMRのリーダーキバヤシの真価が問われる時だ。

元気をだせ!あきらめるな!そーだ!みんなで歌を歌おう!

私はそうやって、「仮面ライダー」から「仮面ライダースーパー1」までと、「ウルトラマン」から「ウルトラマンレオ」までの主題歌を独りで歌い上げた後に懐かしのヒットパレードへと突入した。隊員の誰一人として私の馬上リサイタルにのってこなかったのが癪ではあるが、馬の上で月を見上げながら歌い続けるのは抜群に気持ちがよかった。

21:30頃にようやく村に無事戻る事ができたのはそんな私の応援歌のおかげであろう。村に到着後、心の中で「ささきいさおよ!ありがとう!」と締めくくったのは言うまでも無い。

22:00に宿に到着して美味しいチベットご飯を食べた後、部屋に戻ってビールで本日のイベントを締めくくった。

前々回にジョンディエンでY坊に「足臭いよ」と攻め立てたばかりだが、部屋に戻って靴を脱ぐと私の靴下も大変な事になっていて危うく「恐怖の大王」が降臨しかけた。 

当然Y君の足の匂いチェックも行ったがその顛末は恐ろしくて書けない。ひとまず「毒ガス王子ドリアン田辺」の称号は、Y君の頭上に輝いた瀘沽湖(ルーグーフー)での一日である。

話は聞かせてもらったぞ!
人類は滅亡する!←しつこい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?