地球の荒らし方@FUKU

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旅人たちへのレクイエム vol.2

東南アジアの長期個人旅行者は総じてだらしない。 ろくでなしの多さで言えば、インドあたりや、南米周辺をウロウロしている旅行者も挙げられるが、まぁ、、、覚悟が違う。 何の覚悟かは後ほど話すとして、東南アジア自体が、適度に便利で、適度に危険でなく、適度に物価も安く、そして何よりも飯がうまい。これで脳みそが溶けるくらい暑いとなれば、だらしなくなるのもうなずける話だ。 いまだに『貧乏自慢』や『辺境自慢』が多いのもこの地域ならではの特色である。 まったく、どうしようもない。 そ

    • 花のうてな。

      【1998年3月17日(晴)中国:モーハン】 景洪のバスターミナルを8:00に出発して一路ラオスとの国境の町へと向う。またガンランパの町の横を走りぬけ、一度モンラーという町でバスを乗り換えて16:05ようやく国境の町モーハンへ辿り着いた。 いや、町と言う規模ほどのものではなく、当時はジャングルに囲まれた山あいに国境を設けるためだけに作った集落だった。まだ3月も半ばなのにセミがやたらと鳴いている。かなり暑い。明日の朝一で国境を越えるべく私はイミグレの隣の招待所に宿をとる(2

      • 再見はさよならでなく。

        【1998年3月14日(晴)中国:モンフン】 今日は 景洪の近郊の村モンフンに明日のサンデーマーケットを見に行くために移動だ。近隣から色とりどりの少数民族が集まると聞く。わくわく。 いままで触れずにいたが、ここ一週間ほど私は中国に留学している広島美人女子大生のOさんと一緒に旅していた。 ふっふっふ、これが歌舞伎町のデークラだったら、ン十万円のコースに値するだろう。(実際は他の旅行者とも一緒に移動して一緒にご飯食べたりしてただけだけど) とりあえず他の旅行者を出し抜いて私

        • タビは若いうちに行け。

          「タイは若いうちに行け。」 20世紀末の「タイ航空」のコマーシャルの名セリフ。そんな煽りのキャッチコピーに踊らされるように、タイは若いうちに行くが吉だ。 『百聞は一見にしかず。』 数多の楽しそうな旅系HPがあるのもの結局は自分で見て歩いてみるしかない。旅の生々しさは「若さ」や「意識高さ」と親和性が高い。「未熟さ」が発する飽和した体温と「東南アジア」が保有する猥雑な熱気はよく似ている。 1990年代後半。アジアの旅の出発点・終着点が「上海」や「香港」から完全にアメージン

        旅人たちへのレクイエム vol.2

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        • 情熱の東南アジア迷走編
          0本
        • 怒涛の東アジア疾風編
          3本

        記事

          月の夜 星の淡さ。

          高い日差し、暖かい大気、生い茂る椰子の木、美味しい果物、悩殺薄生地着衣のお姉さん。ここはすっかり南国だ。何よりも、洗濯物がすぐ乾くのがいい。 気がつけば中国のVISAの残りが一週間ほどになってしまっていた。残り一週間をどうやって過ごそう。 と、このように考えるようになってしまったら、旅行者は一度悔い改めたほうが良いかと思う。何もVISAが切れるまでギリギリ滞在しなくてもよいのだ。さっさともう見るべきものが無くなったら次の国に移動すれば良いし、異性を追っかけて国境を越えるの

          月の夜 星の淡さ。

          名も無き修羅の国。

          やっぱり旅は観光である。 最近の長期旅行者ときたら、せっかく海外にでたのに何もせずプラプラ散歩したり、地元の人たちと触れ合わず旅行者どうしでつるんで昼からビール飲んでたり、地元飯など食べずにカフェでアップルパイとか食べたり、麻雀などの賭け事や、夜に地元のお姉さんがいるクラブに遊びに行ったりと情けない限りである。 そんな事をするなら、わざわざ海外に出ずとも歌舞伎町や新大久保周辺で充分ではないか。だいたい旅に出てやる事が無いのがおかしい。 「何もしないをしにきました。」

          名も無き修羅の国。

          桃色の床屋さん(18禁)

          【1998年3月6日(晴)中国:景洪】 「フクさーん、おねがいしますよーぉ。」 熱帯の南国は景洪の「メイメイカフェ」からの食事の帰り、同じ版納賓館に泊まっている大学生2人に私は口説かれていた。 「俺達中国語分からないし、怖いんですよぉ。」  ねぇねぇ、もう今年大学卒業なんだから何とかできるでしょ? 「ついて来て下さいよぉ。」  やだよ俺、金ないもん。 「ついて来て下さいよぉ。ついて来るだけでいいですからぁ。」  しょうがないなぁ、、、連れて行くだけだよ。危ない

          有料
          100

          桃色の床屋さん(18禁)

          移動。そして移動。

          【1998年3月3日(晴)中国:昆明】 昨日の早朝7:15に瀘沽湖の最寄の街の寧浪(ニンラン)から、西にある金江(現バンジーホア)までミニバスで9時間(48元)。ボロボロの倉庫みたいな招待所(10元)で一泊した後に、今朝6:00発の列車に乗って13:00に昆明まで独り戻ってきた。 南下する前に、いつも通ってた「Wei`s Pleace」でPizzaを食べようとずっと思っていたので一目散に向かった。そして店にあった情報ノートに落書きしようかとパラパラめくっていると、「Dea

          移動。そして移動。

          MMR出動!神秘の湖を往け!

          【1998年2月27日(晴)中国:瀘沽湖】 瀘沽湖(ルーグーフー)。三匹のこぶたのブーフーウーとはなんら関係の無い四川省と雲南省の省境にある神秘の湖である。 何が神秘かというと、瀘沽湖には摩梭(モソ)人と呼ばれる民族がいて圧倒的女系家族制度を今に残し、「女人国」とも呼ばれるため男性は聞いただけでも股間をソワソワモソモソせざるをえないという神秘なのだ。(嘘) 家族のなかに父親という存在は無く、婚姻関係は「走婚」という、まぁ夜だけ旦那が女房んちにあがりこんでしっぽりとしけこ

          MMR出動!神秘の湖を往け!

          旅先恋千一夜。

          【1998年2月19日(雨)中国:麗江】   戻ってきた麗江は前回とうって変わって天気が悪くなっていた。寒い、、、さすが標高2500m。 今朝、昆明で一緒の部屋で過ごしその後に麗江にて再会したバックパッカーご夫婦の出発をお見送りしてから、街に知っている人もいなくなったので約束どおり(?)麗江のあちこちのカフェの情報ノートに「虎跳峡」や「ジョンディエン」の地図や情報を書き散らかし暇をもてあそぶ。 、、、そういえば最近でこそご夫婦のパッカーは沢山見かけるようになったものの、

          何処までも蒼く続く。

          【1998年2月17日(晴/曇)中国:ジョンディエン】 麗江の街から、バスで北に5時間の所にある標高3300mの町ジョンディエン(中甸)。今では名前が変わってシャングリラ(香格里拉)なんて電気なグルーヴのある名前に変わってしまったが、ここは紛れも無くチベットの東の入り口のひとつだ。空は低く、空気はとても乾いている。 実はこの地域一帯はマツタケの産地なので夏から秋にかけてはマツタケ市場が賑わいをみせる。日本で一本7000円くらいはしそうなマツタケが1000円程で買える。

          何処までも蒼く続く。

          13日の金曜日 in 虎跳峡。

          【1998年2月13日(晴)中国:虎跳峡】 虎跳峡、、、嗚呼、なんと男らしい響きだろう。 一度聞いたらトレッキングに行かずにはいられない響きである。「虎の穴」出身の覆面レスラーである我らならなおさらである。 中国語読みではフーティヤォシャ(虎跳峡)。 アルティシアとも聞こえなくないのでキャスバル兄さんが百式に乗ってア・バオア・クーから度々訪れていることが確認されている。そんな長江(揚子江)の源流である。 我等3人はそんな嵐が吹き荒れる白いマットのジャングルに降り立った

          13日の金曜日 in 虎跳峡。

          心太軟。

          【1998年2月10日(晴)中国:麗江】 中国の良いところは何処でも湯がもらえるところである。 茶葉とコップを持っていれば何処でも熱いお茶が飲める有り難さと、ホットシャワーが湯水のように使える有り難さに、漢族の文句ばかり言っている旅行者は気づくべきである。カップラーメンだっていつでもいくらでも食べられる。 そんな中国お湯事情であるが話はいつものようにそれて、私が当時ハマっていた生姜茶の話になる。 私の日課は早朝に四方街でお粥を食べ、帰りに近くの市場で生姜とトマトを買う

          ダメ人間友の会の集いだっつーの!!!

          【1998年2月4日(晴)中国:麗江】 麗江はとても良い街だ。背中に北斗七星を抱く納西族の標高2500mにある蒼い街である。 大理から更に北のヒマラヤ山脈へミニバスで5時間のところにある高原の街である。 ちょうど二年前の1996年の2月3日に直下型の大地震がきて古い町並みが全壊してしまったけれども、現在では高速道路が通っていて3時間弱で行くけるようになってしまい、すっかり観光地になってしまって、カフェとゲストハウスで溢れかえり【大理古城化】してしまったが、当時はまだ中心

          ダメ人間友の会の集いだっつーの!!!

          だだだだだーりーず!!!

          【1998年1月30日(晴)中国:大理】 大理古城(ダーリークーヂャン)の町は散歩するのにちょうどいい。 また中国の他の町と違って、思いっきり旅行者ずれしていて便利なところがたまらなくいい。 私はというと町のカフェで仲良くなったポーランド人のアンナという子にいたく気に入られ、散歩がてらに一緒に近郊の湖にサイクリングしたり、山に登ったり、船に乗ってお祭りを見に行ったりした。 おっ!ようやくフクゾウの毎度「勘違いフラれ話」のスタートなのか?と、旧知の旅人は思われるかもしれ

          だだだだだーりーず!!!

          門の向こうで戦争が始まる。

          【1998年1月27日(晴)中国:大理】 古都「大理」、、、あの大理石の語源になったと言われる大理石の名産地である。らしい。 西には4000m級の山々を、東には美しい湖をたたえ、穏やかな気候と、明るい人たちと、そこかしこに生い茂る不思議なハーブ(笑)に囲まれた、桃源郷のようなところである。 ツーリストの集まる「大理古城」の中心街には1998年当時、中国最大規模クラスの外人向けツーリストカフェが無数に立ち並び、普通にどこでも英語が通じ、「没有」といわれるパーセンテージが限

          門の向こうで戦争が始まる。