だだだだだーりーず!!!

【1998年1月30日(晴)中国:大理】

大理古城(ダーリークーヂャン)の町は散歩するのにちょうどいい。

また中国の他の町と違って、思いっきり旅行者ずれしていて便利なところがたまらなくいい。

私はというと町のカフェで仲良くなったポーランド人のアンナという子にいたく気に入られ、散歩がてらに一緒に近郊の湖にサイクリングしたり、山に登ったり、船に乗ってお祭りを見に行ったりした。

おっ!ようやくフクゾウの毎度「勘違いフラれ話」のスタートなのか?と、旧知の旅人は思われるかもしれないが、ここではあえて触れない。触れないが、ただ、何故か?昔から私は「ぽっちゃり系」というか「どっしり系」というか、そのての方々に目をつけられる傾向にある。私が背も小さく瞳もクリッとしてキュートでキッチュでポップであることは、原罪として皆が背負っていかなければならない全人類の今後の課題であるが、私個人の意見としては残念ながら「ぽっちゃり系」というか「どっしり系」というか、今ひとつストライクゾーンでも内角高めのため、個人的意見として非常に打ちづらい。でも嫌いではない。

しかし基本的には性格が悪い女性が好みである。

もしくは送りバント専門との噂もある。(自爆)

ちなみなアンナは「ぽっちゃりグラマー知的系」である。4ヶ国語ペラペラで会話もハイセンスで、高貴な私にぴったりと言えなくも無い。

話はいきなり変わるが、大理近郊の村々では毎月5の倍数の日に市(マーケット)がたつ。今回は大理の町の湖の対岸にある村に市がたつ。「一緒に少数民族のマーケット行きましょう」とアンナたちのグループに誘われたので行くことにした。自力でそこの村までボートチャーターして行くと高くつくので、みんなで集まってツアー形式で行くのがメジャーだ。しかもツアーチケットをカフェで買うともれなく朝食がついてきて町からボート乗り場までのミニバス往復交通費込で25元(約400円)のが嬉しい。

さて、朝方ミニバスと言ってたのに、やってきたミニトラックで船着場まで約10分、そこから船とういかボートで1時間半で対岸の村にやってきた。マーケットと言っても普通にバナナとかトマトとかが売っているだけなので、私はアンナとその友達のルーマニア人のエヴァをつれて村外れで行われていた祭りを見にいった。

祭りはいい。

どの国でも「祭り」と言われると心が躍りだす。いつの間にか自分も祭りの輪の中に加わっていて、酒をガンガン飲まされてたり、大声で歌ったり、輪の中でクルクル回ってたりして、祭りが終わった後ホテルに戻りベットの上で「はしゃぎすぎた」と自己嫌悪で嫌な夢にうなされる事もしばしばである。しかしそんな自己嫌悪の翌日にその町をフラフラ歩いていると、街中のみんなや、祭りを見ていた知らない旅行者たちまでも「昨日は良かったよ!」と、声をかけてくれたりするのは凄く嬉しくて、とてもこそばゆい。

だから「祭り」もやめられない。

旅行者の中には、「祭り期間中は宿も交通機関も混むから、なるべくその場所には近づかないようにしてるんですよ。治安も悪くなるじゃないですか。」と、知った風な口をきく奴がいるがきっとその快感を知らないからだけだと思う。別に押し付ける訳でもないが、お互いにそんなディスカッションしていて最後に「まぁ、ひとそれぞれですから」と言われると非常に腹が立つ。

私はこの「ひとそれぞれ」と、いう言葉が大嫌いなのだ。

悪いが会話の最中、もしくは最後にこんな失礼な言葉をいう人種は私の知っている限りでは日本人だけだ。

「ひとそれぞれ」である事を前提で話しているのに、「個人の個性が大切でしょ?」とばかりに戦後、日●組の洗脳をガッチリ受けている風なところが、右翼系の私をガッカリさせる。言った本人はそのヒトコトを使うことで「今までの自分の人生全体を自分自身でシラケさせてきた」事に気がついては無い。「親の教育が悪かったんだね」と心の中で私は同情する事にしている。

また「ケンカ番長節」が出てしまったため、まったく祭りの話には触れずにいきなり終わるとする。別に何かやましい事や、やらしい事とかは一切ないので安心して欲しい。「好みではないんだよねとか」の失礼な事も一切無い。

ちなみに私の女性を見る目が無い事は皆さんの周知の事実であるが、毎度「やめなよ。最低じゃん、そのオンナ」とかわざわざ教えてくれなくても良いのである。私はいつまでも皆のアイドルとして心の隅っこに見え隠れているので安心して邪魔しないで頂きたい。 

まぁ「GO!GO!近郊マーケットツアー」の感想は、暇つぶしにはぴったりだと言っておこう。俺的には「帰りの船の上で食べたバナナが美味しかったなぁ」と言うところに尽きる。

ツアーを申し込む際に「町から港までの往復はミニバスですよ」といわれたのに、帰りに船が到着したらいきなり今度は本物のトラクターが待ち構えていて、あっさり荷台に乗せられて、ドッドッドッドと畑のあぜ道をのんびり帰った。

大理といえどもやっぱり中国なのだと改めて認識したのであった。

【1998年1月31日(晴)中国:大理】

大理には当時和食レストランで「菊屋」派と今は無き「ハッピーレストラン」派があった。

ちなみに私は「ハッピーレストラン」派、もしくは「チベタンカフェ」派であった。そのために「菊屋」在住の「ダーリーズ」に接する機会もそれほど無かった。

「ダーリーズ」とは中国の大理を根城にするヒッピー集団らしい。

毎日、何をする訳でなく中国VISAが切れるまで大理の町でフラフラと街中に群生する「不思議なハーブ」を摘みに行ったり、麻雀したり、「菊屋」で新しい和食メニューを考案したりして、VISAが切れそうになると香港でVISAを再取得してくる、、、というのを繰り返しをしている事が、真面目に勉強している(らしい)留学生の癇に障り彼らから蛇蝎のごとく嫌われていた。

まぁ私も似たようなものなのだが、「移動」をしている「旅行者」という事で「滞在者」に比べるとカーストが彼らよりは高いとの事(らしい)かった。 うーむ、、、深い。

そんな話をしたその晩に「チベタンカフェ」で話しかけられた私と同じ年齢の坊主頭の女性旅行者と食事したりして過ごした。

見渡すとカフェの中はあまり真面目な留学生とかはいないようで、呑気な白人や日本人でワイワイやっていた。その中にはアンナたちもグループもいたし、数年後その坊主頭の女性と結婚する事になる巨〇好き友人もいた。

カフェのマスターが出してくれた「バター茶」を飲めるか?飲めないか? なんて、どうでも良い事でみんなも私も大笑いしていたように思う。

「誰か麻雀できる人いなーい?」

その夜23:00も回った頃、私のドミトリーに宇宙人さんがやってきた。

宇宙人ではない。宇宙人さんだ。いや正確には宇宙人さんさんだ。んな事は今はどうでもいい。

宇宙人さんという大理を根城にしている有名な旅行者がいる事は、旅行関係の本で読んで知っていた。自分の泊まっている宿にいる事も知っていたが未だ遭遇はしていなかった。

二つ返事でホイホイとキャトルミューテーションされていった私が訪れた部屋は、「ダーリーズ」達のアジトであった。

宇宙人さんはダーリーズであった。

いきなりレベル10くらいの冒険者が中ボスクラスの居城に突っ込んでしまった。

入って驚いた。そこは既に住んでいる人たちの部屋であった。旅行に必要なさそうな物がいっぱいだ。

入って早々「ダーリーズ」のメンバーから「このポスター良くない?3枚も買ったんだよねぇ。部屋の何処に貼ろうかなぁ?」と、謎な事を問いかけられた。何故、旅でポスター?しかも何故ホテルの部屋に貼る?

、、、こんな事で驚いていた頃が懐かしい。まだまともな旅行者時代であった。

それでも宇宙人さんの荷物には今でも驚かざるをえない。

何も無い。

本人いわく、「持ち物は、財布、パスポート、トラベラーズチェックと、日記と、着替えが2~3枚と、コップ、石鹸、歯ブラシ、タオルくらいかなぁ」との事だった。銭湯の帰りにそのまま旅に出たといっても言い過ぎではない。帰国したときにそのまま銭湯にいけるのはある意味便利だ。

一度、昼間に「ダーリーズ」達のアジトに遊びに行った事があるが、その際は宇宙人さんは不在で、チェックアウトしたと思われるくらいベットの周辺には何も無かった。 コップ一式とタオルがあるだけだった。

真似は出来ないし、真似するつもりも無いがある意味では人生のスタイルとして正しいと思う。

日本ではこの人が何をしている人かなんて知る必要もないし興味も無いけど、このような人はどんな話をしても「ひとそれぞれ」なんて言わないんじゃないかなぁと勝手に思ってみたりなんかしたりして。

ちなみに麻雀は夜中までやっていて、服務員にうるさいと怒られ勝敗が決まらないまま終わってしまいました。

ここで、言ってはおくけど私は一緒に麻雀はしてたけど「ダーリーズ」ではありません。ちなみにその後世代交代して「ダーリーズJr」が幅をきかせているそうです。なんじゃそりゃ。

「菊屋」のアイドルキクちゃんは「ダーリーズ」といっしょにはならず、最近地元の人間と結婚しました。

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