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奄美大島に行ったときのこと

わたしたちが自由に移動することのできた最後のタイミングとなった2019年12月末、わたしはひとりで奄美大島にいた。そのときの話を書く。

奄美大島には、東京から飛行機で3時間で着く。飛行機を降りると初夏があった。クリスマスの翌日だというのに。生えている植物の種類もずいぶん違うようだ。気温が違うことは事前に知っていたつもりでも、百聞は一見にしかず。こんなに気候が違うのかと驚く。文字通り肌で感じる情報は、強い印象を残した。

北海道や東北地方には何度も行ったことがあるが、南西諸島は沖縄も含めて初めてだった。北国は関東の地続きだけれど、こちらははっきり別の場所に来たと感じた。「こんなに違う」けれど、同じ通貨が使えるし、同じ運転免許証が使える。レンタカーの受領手続きをしながら、そんなことにあらためて感動していた。普段の自分がいかに想像力をもっていなかったかを知った。

レンタカーで島を走る。山があって海がある。カーブと勾配の続く道を、慎重に、しかし慎重になりすぎないように走らせる。交通量はほとんどない。特に目的地があるわけでもなく、ただ運転をしている。山の中を走っていく。坂を登り、下る。ときどき景色が開ける。すぐそばに海が見える。

青く美しい奄美大島の海は、わたしの知っている海ではなかった。わたしにとっての海は、もっと冷たくて、取っつきにくい場所だ。生まれ育った浜松の遠州灘はほとんどが殺風景な砂丘で、松の防風林とテトラポッドが寒々しく並んでいて、ずっと遠くに風力発電が見える。あれがわたしの海だ。

海はすべて繋がっている。それはそうなのだけど、そんなふうにはとても思えなかった。

奄美大島の海
奄美大島の海

知らない土地を訪れたときの目当てはいつも、スーパーマーケットだ。住む人の暮らしに密着したスーパーには、その土地の暮らしがある。

奄美大島のスーパーやコンビニには、わたしの見慣れないものがいくつもある。見た目のインパクトが大きかったのは「おにぎり」だ。

奄美大島の商店で売られていたおにぎり。海苔ではなく薄焼き卵で巻かれている。

炊いた米に具を入れて握った、いわゆる普通のおにぎりの周りに、海苔ではなく薄焼き卵が巻かれている。事前リサーチしていたものの、本当にスーパーに並んでいる様子を見ると驚く。

薄焼き卵の巻かれたおにぎりと焼きそばのセット商品。

かつて海苔の調達に困難があったのだとしても、薄焼き卵を巻くというのは飛躍していないか。卵を焼くのは面倒じゃなかったのか。どういう経緯で握り飯に卵焼きを巻いたんだろう。家庭でもつくられているんだろうか。

青果コーナーには、パパイヤの味噌漬けや「加工用」と表示された青パパイヤも売られていた。熟す前に摘果したものだろう。メロンの生産量が多い静岡県西部にも、小メロンの浅漬けを食べる習慣がある。生産地にだけ出回るアウトレット品のような食べもの。

スーパーマーケットの飲料の棚。牛乳やみきが並んでいる。

奄美には「みき」という飲み物があって、これもスーパーやコンビニで普通に売られている。「みき」は米と砂糖とイモでつくられた発酵飲料で、鹿児島銘菓の「かるかん」をスムージーにしたような味だ。牛乳や豆乳やコーヒー飲料と並んで、数種類の「みき」が展開されている。人気商品なのだろう。島内でつくられ、島内で消費されているらしい。

通貨や運転免許は同じでも、気候や食文化は違っている。方言もあるから言葉も違うということになる。もうひとつ、大きな違いとしてわたしが感じたことがある。人の顔立ちだ。

顔つきの傾向が異なるというのは観測された事象であり、そこになにか優劣があるなどと言うわけではもちろんない。「わたしと違う傾向の顔の人が、とても多い」ということをただ感じた。こんなにはっきり感じるものなのかと驚いた。

東京では、顔立ちの傾向を意識することはほとんどない。そもそも、人の顔を比較してどうこう評するのは全然よくない。しかし、単純に「みんなの顔の傾向は、自分となんか違う」と感じた。その感覚を止めることはできない。

それと同時に、いまのわたしはマイノリティなのだと認識した。周りにいるほとんどの人は「奄美大島の人」で、わたしだけが「よそから来た人」だった。一度そう認識してしまうと、マイノリティとしての肩身の狭さのようなものをうっすらと感じ続ける。その感じは、東京で暮らす中年男性としては、ほとんど初めて感じるものだった。

マイノリティだからといってなにも不便はなかったし、不愉快なこともなかった。それは2泊3日の観光旅行だったからかもしれないし、わたしが中年男性だからかもしれないし、わたしだけが気にしていただけで他の誰も違いを感じたりしていなかったのかもしれない。

いろいろなものを見て、海と山のなかで過ごして、気持ちのいい旅行だった。そして、微妙な居心地の悪さを感じる旅行だった。

こうしたことを書くのは差別的だと批判されるかもしれないけれど、書いておきたい。あの感覚はたぶん今の状況ではもう感じないものだし、こうして旅行記を書き直すまで忘れてしまっていたものだから。わたしは結局いつもなにも考えられていないし、想像力は足りないし、すぐに忘れてしまう。自戒のためにも書いておく。

東京に戻ると、いろいろな顔の人がいた。多様な人たちがギュウギュウに押し込められながら暮らしている。あれ以来いろいろと世界が変化して、大きな旅行には行けなくなった。また行かなくてはならない。自分がなにも考えていないことを自覚するためにも。

奄美大島の海。空は雲が立ち込めている。海の手前には草原がある。

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