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”一歩目へのキッカケ” Vol. 4.0 -山白龍生-

━━━ 『FiC Member's Shout』 とは

「誇れるサッカー環境を創る」という言葉を元に日々活動するFiCメンバー。

そんなメンバーにシンプルな1つの質問を投げ掛けます。


Q:想いや夢を語ってください。


今回話してもらうのはサッカー指導者養成プログラム「磨(みがく)」の講師をしている「山白 龍生(ヤマシロ リュウセイ)」

4年間スペインで指導者をして、日本に帰ってきた彼がどんなことを考えているのか。
是非お楽しみください。


▼著者
山白 龍生(ヤマシロ リュウセイ)

▼所属
FC土橋
FC Testigo
Inicio futbol academia
指導者養成プログラム『磨』 講師 

▼Twitter
@RyuseiYamashiro


【自己紹介】



皆さんはじめまして。
FiCメンバーの山白龍生です。

『誰だ?』と思ったそこの貴方。
FiCを通して『磨』という指導者講座の講師などをやらせて頂いてる者です。。。
FiC内での主な成績は残せておりませんが悪しからず。(汗)
 


そんな自分ですが今回『夢や想い』をテーマにブログを書かせてもらいます。

背中で語りたいタイプの人間なので実際に文字として書き起こす事は今まで苦手分野で避けて通ってきましたが、年下の後輩に依頼されたら断ることはできません。

27歳、自分の殻を破ってみます。
 

年齢がバレたところで自己紹介をしつつ、自分の『夢や想い』を語らせてもらいます。
 
1995年3月16日生まれ、名古屋市出身の男性です。

『え、、、?ここからやるの?(貴方)』
『はい、ここからお願いします。(山白)』
 


【サッカーとの出会い】



自分とサッカーとの出会いは幼稚園の年中の時でした。

『なんか、あの服カッコいい!!』

幼稚園で活動していたサッカースクールのユニフォームを見たことがキッカケでした。
これがサッカーとの出会い。

今となっては仕事としてサッカーと向き合う日々を過ごしている自分と比べると意外にもサッパリなスタートでした。
 

選手時代の自分はそこそこの選手でした。
中学時代は名古屋市のトレセンに丁度行けないぐらい。
高校では3年の春に県のインターハイ予選でベスト4に行ったチームのBぐらい。

大体のイメージはつきますかね?? というかソコソコも出来てないですね(汗)


しかし、当時の自分は何故か自信たっぷり。
今考えると超イタイやつ。
 

そんな自分も高校1年生の春休みに人生の転換期が訪れます。



【スペイン遠征】



当時、私立の高校に進学した自分はサッカー部の活動の一環としてスペイン遠征に行きました。
ここでの10日間がこの先の人生を狂わせました。(多分、良い意味で)


実際に現地では
バレンシアに滞在し、リーガ観戦、スペイン人指導者とのトレーニング、練習試合、スペインの文化に触れる。』


ここでは書ききれないほど、15歳の自分には全てが衝撃でした。


『この地でまたサッカーがしたい。これこそが自分が好きなサッカーだ。』


こんな想いが日本への帰国を前にして湧き上がっていました。


帰国後の自分は到底プロの選手になるレベルにはなく、

『スペインだったら今どんな練習してるかな?』

そんな妄想を膨らませながら刻々と『こんなにもつまらない時間は過ぎてしまえ』と、日々、the高校サッカーな練習に励んでいました。


『怪我』も重なり、「余計に面白くない」と自分の中で否定的な自分が出現し、『回復したのに怪我している』と嘘をついてサボっていました。


だけれども『自分には才能がある』と勝手に思っていました。
本当に、本当に、本当にイタイ奴。
言い方を変えれば超ポジティブ。

 


自分を取り巻く環境でいえば父親は自分がサッカーを始めた頃から


『すごい奴は海外に行く』
『中田英寿がすごい。すごい奴は7番をつけて真ん中でプレーする。』


と幼児の自分の脳に言い聞かせていた記憶があります。

自分が海の外に違和感を持たなかった。

むしろ当時から興味があったのは父親の言葉の影響があったかもしれないです。

そんな自分の父親である彼はサッカー未経験。
意味のわからない自信は父親譲りの血統なのかもしれません。
 
そんなバカ息子な自分も回りに回ってサッカー部で2度目のスペイン遠征に行く事となります。
『イタイ×2自分に再度、投資してくれた両親には頭が上がりません。
 



【2度目のスペイン遠征】


2度目のスペイン遠征でも衝撃的な体験をします。

敏腕エージェントのおかげで何故かバジャドリード(トップチームは当時リーガ2部所属)の育成年代と試合ができることに。

中盤にスペイン代表候補の選手がいたり、今思えばよく試合組んでくれたなと。。。

そんな自分はこの試合、ナイジェリア代表候補のウィングとマッチアップします。


結果はというと、、、お察しください。
人生で後にも先にもあんなにもしなやかで速い選手とマッチアップすることはないです。


チームも自分もボロボロに負けましたが、何故か超絶楽しかったし、
この環境で『サッカーと関わりたい』。
そんな想いで宿泊先のホテルの帰路につく自分がいたことを覚えています。
 

ふと、ある考えが湧いてきます。


『彼らが選手を引退する頃は大体30代ぐらい。自分が今から指導者としてキャリアをスタートしたら30代になった頃に指導者としてなら勝てる。』


意味のわからない自信は等々ここまできます。
 


この後、大学を経て4年間、スペインのバルセロナへと行き、今の自分があります。
 



これが大体の自分の自己紹介です。
 

勝手な考えですが自分の学生時代の生き方を改めて考えてみると
『夢や想い』って自分がいる環境から影響を受けて、他者と比較して
『何かになりたい、何かになって何かを勝ち取りたい。』を決める作業
のようなものでした。

例えば自分のような人生を生きてみて
『監督としてヨーロッパチャンピオンズリーグを優勝したい』
って気持ちが前面にあった自分がいます。

とにかく『自分は特別だ。』
社会からの承認要求を得るための肩書きを追い求めていた学生時代。

スペインに渡ってからも初めはその延長で生きていた記憶がありました。
今も少なからずそんな自分が出てくることもあります。
 

思えば当時の『夢や想い』って本当にスカスカでこの世界で自分でなくても誰か他人が達成してくれることをひたすら自分にしかできないと言い聞かせて追い求めていた気がします。


ある種、キッカケとしては、『今』生きる自分の発動となる経験が20年弱の間にチリに積もって『スペインへ行く』という行動に出たし、それが現在に繋がっていることは確かです。


『夢へ一歩踏み出した当時の自分』はスペインでの4年間を経て『自分』になってきたと27歳の現在は感じています
スペインでの4年は、、、


後編へ続く

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◎ 一般社団法人FiC (フィック)

「 WORK WITH PRIDE 誇りと共に働く 」をコンセプトに、日本サッカー界で起きている様々な問題を解決するべく、現在はサッカー指導者が総合的に学べるコミュニティ事業を展開。
関東圏のみならず関西、そして全国に、10代〜40代まで幅広い年代のサッカー指導やサッカー業界に想いを持つメンバーが所属し、会員数は200名を超える。
サッカー指導者が学べる情報や機会提供のほか、会員一人一人のキャリア支援や、講演会をはじめとしたイベントの企画 / 運営も実施している。
2021年7月に大阪支部がスタートし、2022年5月12日から7期生の募集を開始。

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