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現地ミュージシャンが「ケルト」を使わない訳とは

ご存知のように、「ケルト音楽」というのは音楽産業界のマーケティング戦略における商標パッケージです。その功罪についてはさておき、音楽産業界に身を置く現地ミュージシャンはみな、その用語を使って業界に忖度しているか、というとそうでもないようです。教えの現場とミュージシャンのHPからそのことを検証し、音楽産業と音楽家、あるいは、現地と日本のギャップについて考えてみましょう。


教えの現場から~私が習ったフィドルの先生たち

私は2002年から2年半の間に、現地で25人の先生からフィドルを習いました。そうした先生方が、音楽を「ケルト音楽」と呼んだり、音楽を「ケルト」で説明したことは一度もありませんでした。

それは私の単なる個人的な経験にすぎないとしても、先生というのは、他の音楽家との横のつながりがあり、音楽について詳しい人たちです。そうした人たちが誰も「ケルト音楽」と言っていなかったので、私が日本に帰ってきてからその言葉を初めて聴いたときはとても驚きました。

それでは、次に、近年活躍しているミュージシャンやバンドの公式HPを見ていきましょう!

Flook

今年、来日公演されていたので、聴きに行った方も多いでしょう。HPで彼ら自身が「センセーショナルなアングロアイリッシュのグループ」と称する通り、メンバーは北アイルランド出身のアングロアイリッシュ(イギリス系アイルランド人)と、イギリス出身者から成っています。

もうちろん、アイルランド音楽は昔からイギリス系アイルランド人にも楽しまれてきました。しかしながら「ケルト」は文脈によってはカトリック系を指します。だから、文化的ナショナリズムの目線から言えば「センセーショナル」ということになるのかもしれません。

彼らのようなアングロアイリッシュのバンドは、かつて音楽が国境を越えて楽しまれていたことを思い起こさせ、音楽が国や宗派の垣根をやすやすと超えて人々に受け入れられることを示しているように思えます。


Altan

アイルランド北部のドニゴールの伝統曲を演奏する老舗バンド。フィドルを担当するマーレイドこそが、ゲールタハトの地域出身者でゲール語を話す当事者的存在なのですが、「ケルト」という用語を一言も使わず、郷土ドニゴールの伝承曲や歌についての詳しい解説が続きます。世界に羽ばたいても、地元や家族を大切にするアトホームなところがこのバンドの魅力ですね!


Lunasa

HPトップで「地球上で最も熱いアイリッシュアコースティックバンド」と称された一文が目に飛び込んできます。「アイリッシュ」であって「ケルト音楽」ではないのですね。

たくさんのメディア評論の中に、「ルナサが新たなケルト王族として君臨」ボストン・ヘラルド(米国)という一文に「ケルト」をたった1カ所見つけることができました!いかにもアメリカンなユーモアあふれたキャッチコピーです。


Dervish

この大人気のグループは、BBC によって「アイルランド音楽の象徴 an icon of Irish music」と評されたとあります。素敵な賛辞ですね!

ここでも「ケルト音楽」ではなく「アイルランド音楽」です。「ケルト」はどのページにも見つけることができません。その用語がHP上に出ないよう、わざわざ気を付けていると思われる節も見つけられました。


Kevin Burke

ケビン・バーク自身のエッセイがたくさん載っていて、訪れるのが楽しいHPです。他の人が主催する「ケルト」を冠したイベントに出演することはあっても、彼自身の言葉では「ケルト」は一言も語られていません。


Liz Carroll

フィドルチャンピオンを総なめにしたアイルランド系アメリカ人のリズ・キャロル。世界で活躍する彼女のHPにある膨大な記事は、広報担当者の手によるものです。

「彼女が作曲した曲は、世界中のアイリッシュとケルティックの演奏家のレパートリーに取り入れられている。」という一文に「ケルト」を1カ所見つけることができました。けれども、引用されている他のどのレビューにも「ケルト」は使われていません。


おわりに

他にも多くのバンドやミュージシャンがいますが、この辺にしておきましょう。みなさんの推しミュージシャンは出てきましたか?リンクは付けませんでしたが、みなさんも情報満載の公式HPを訪ねてみて下さいね。ひょっとしたら私の見落としもあるかもしれませんが、「ケルト」を見つけるのは容易ではありませんでした。

確かに、音楽産業界の言説に足並みをそろえる現地ミュージシャンもいると思います。しかし、これほどまでに、著名なミュージシャンたちが申し合わせたように「ケルト音楽」を使っていないのは、アイルランド音楽への認識が高まった現在、音楽産業界がもはや80年代のマーケティング戦略を必要としなくなったからかもしれないし、仮にそうだとしても、ミュージシャン側にマーケティング戦略に迎合できない大きな理由が他にあるのではないでしょうか。

それは、「アイルランド音楽辞典」にも書いてあるように、一番には祖先や家族、地元を愛する思いではないでしょうか。彼らにとってそれは「ケルト」で言い表されるものではないようです。また、自身がプロテスタントであるために「ケルト」そのものの概念が合わなかったり、過去に使用されたナショナリズムの文脈を気にしたり、「ケルト十字」を掲げる白人至上主義者やネオナチを引き寄せないためだったりするのかもしれません(参考記事:『ネオナチグループが伝統的なフォークフェスティバルを利用して過激派を勧誘する』2003年、アメリカの人権団体の記事)。

当然のことながら日本は現地とは事情が違うので、「アイルランド音楽」のことを「ケルト音楽」に言い換えても抵抗がない方も多いでしょう。しかしながら、現地のミュージシャンたちが「ケルト音楽」という用語に対して消極的であることの「静かなメッセージ」を汲み取ることができれば、音楽の見え方がまた違ってくるのかもしれません。


関連記事:『「ケルト音楽」は新ジャンルになりえたのか?』・・・「アイルランド音楽辞典 2013年」から、止まらないケルトの汎用と音楽家から疑問視する声を紹介しました。


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