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真木よう子コミケ参加騒動から見るオタクの女性不信の闇

皆さんこんにちは。

騒動からもうだいぶ経っていますが、真木よう子がコミケに参加することを表明した際にクラウドファンディングを使うといったことが何故かオタクの逆鱗に触れ、大炎上したことは記憶に新しいと思います。
その後彼女は、Twitterをわずか2ヶ月で辞めてしまいました。オタクに追い込まれて全く以て意味不明だったであろうと思いますが、オタクが何故ここまでしてしまったのか、それを考えてみたいと思います。

※この記事は【婚活研究】です。
騒動の経緯については他の記事を参照願います。


真木よう子大炎上の本質はオタクの女性叩き

さて、真木よう子が叩かれたのはクラウドファンディングで320ページの本を作るというコミケの理念的にオタクにとって引っかかった部分にあるようですが、実際はそうではないと考えます。
別にコミケ準備会はクラウドファンディングで制作費を集めることを禁止しているわけではありませんし、ページ数に関しても、過去に200ページもの同人誌を3回連続で出した「ネギま!ネットワーク」というサークルがあったわけで、そういった理由だけで彼女を排除するというのは不自然さを覚えます。
芸能人だからという理由にしても、小林幸子や叶姉妹が参加してオタクに受け入れられているわけですし、叶姉妹も最初はコミケのことを何も知らずに参加したといいます。コミケに対する最初の認識は、叶姉妹と真木よう子にはそこまで大差ないわけで、条件的にはほとんど変わらないのです。

以上のことから、オタクが真木よう子だけを叩いたのは単なる女性叩きであって、そこにはコミケの理念に反しているかどうかはぶっちゃけどうでもよく、単に自分たちの居場所を誰かに侵されたくないという自分勝手な行為だったわけです。

一目見れば分かるように、この人は根本的に女性を信用していませんね。真木よう子のファンはただ正論を言ってるだけなのですが、オタクは女性からの好意を0か100でしか認識できないので、論争における他人の意見を「擁護」と「批判」の二択でしかカテゴライズできないのです。
ここで彼は、批判の中でも「容認」と「拒否」の二択で後者に反応して言いがかりをつけています。彼こそ卑怯と言わざるを得ませんが、本能的にそう反応してしまっているので、もはやどうしようもありません。

ここまでオタクが威勢良く女性を叩く行動の根底には、女性不信が居座っています。前にTwitterのモーメントに女性不信とオタクの関係についてまとめましたが、女性不信はオタクのマジョリティだと思って間違いないかと。彼らは自分たちの居心地のいい"コミケ村"に入ってこようとする脅威(オタク側ではない若い女性)を排除しようとすることが本能にインプットされており、感情が先行して嫌悪感を示してしまうのです。多くのオタクがこれを暴発して今回の騒動に至ったわけです。
また、当然コミケには女性の参加者もいるわけですが、オタクは「こっち側」「あっち側」で区別することにより女性を信じる・信じないでカテゴライズしている節があります。これは、

有吉弘行が真木よう子擁護でオタクを痛烈批判、コミケ村を嫌う苦い過去とは?

有吉のこの発言に対し、ネット各所で「有吉、お前もそっち側の人間か」「やっぱり芸能人同士でかばい合う」と失望の声が上がっている。

という反応が証左として現れています。


女性不信とは何か

ここで女性不信について少々説明しておく必要があります。女性不信とはその通り女性を信用できないことにあるのですが、オタクの女性不信の場合は非常に根が深く、過去の経験の積み重ねによって「女性を信用してはいけない」と自己防衛本能に完全に組み込まれている状態です。(まさに僕がその渦中にあるのですが)
なので、女性を前にしてオドオドしたり自信がなかったりするのも、自分の意に反して防衛本能が働くためだと推測できます。本能ですから、考え方を変えても本能のほうが優先されます。したがって、自分の意に反して女性を批判したりすることはざらにあり、女性不信という自覚がなければ、女性を批判することが自分にとって「生き残るための手段」という錯覚を抱いたまま一生を過ごしていくことになるのです。

そしてオタクはその本能を行動原理として生活しているので、女性を信用しないことは彼らにとって必然的に「かけがえのない価値観」になります。なので現実を見るように励ますことはすなわち彼らの価値観を否定することです。この価値観に共感できなければ、彼らはかえって不信感を抱き、相手を敵視します。オタクはこうして無意識に女性が信用できないことを確認し、価値観と本能を強化していくのです。

女性不信の男性がオタク化する理由はこれに尽きます。女性不信の男性は女性から自分への好意を0(裏切る)か100(裏切らない)かでしか見ることができませんから「経験済み=他の男とやった=既に自分を裏切っている」という思考回路が無意識に構築されており、その裏返しとして処女信仰ができるのです。
「二次元は裏切らない」と昔誰かが言いましたが、処女と二次元美少女の共通点はまさに「裏切らない」ことにあり、オタクが風俗で童貞を捨てようとせずに「初めては好きな人とがいい」と異様にこだわるのも、裏切る・裏切らないの二択でしか女性をカテゴライズできないことによると推測できます。

女性不信の男性が現実逃避する対象は、漫画やアニメ、ゲームだけとは限りません。政治なども史実の積み重ねなので自分を裏切ることがなく、拠り所とする男性は多いようです。これについては「ルポ 中年童貞」にも掲載されていますが、ネトウヨ化した童貞男性は様々な問題を起こしてしまうようです。
自分を裏切らない存在は人によって様々ですが、「勉強は自分を裏切らない」と努力して東大に入った学生が社会に出て挫折する人もいます。また、様々な問題を起こしている撮り鉄には自浄作用がないとよく言われますが、女性どころか人を絶って機械に興味を向けているので、ある意味当然と言えます。

現実の女性から目を背ける価値観は、人を確実に壊していくものです。

女性不信の成れの果ては、凶悪犯罪という他人への害意です。日本での有名な実例は秋葉原連続殺傷事件の加藤智大ですが、最近では埼玉県草加市で高校生の恋愛のもつれから殺人事件に発展したケースもあります。この事件でも、

高校生男女殺傷「彼女を取ろうとしたので」高校生の男女殺傷事件で逮捕の15歳少年「彼女を取ろうとしたので」 - ライブドアニュース

調べに対し、少年は容疑を認めた上で、西山さんについて「彼女を取ろうとしたので殺そうと思った」と話しているという。また、女子高校生については、「私を裏切ったので殺そうと思った」と供述しているという。

と、元彼女に裏切られたという敵意を露わにしています。裏切られたと思い込んでいるので、被害者が恨まれるような人だったかどうかは関係ないのです。容疑者の少年の生い立ちは分かりませんが、おそらく女性関係か家庭環境のどちらかに深い闇があるのは間違いなさそうです。
女性不信は人の心を蝕み、他人への害意を助長してしまうのです。


オタクが真木よう子に対してしたことの意味

真木よう子はコミケについて、オタクの祭典であることを知らなかったわけではないでしょう。その上でコミケに参加するということは、オタク文化を理解しようとする意思があったと思われます。ただ彼女は、オタクの習性を知らなかっただけに過ぎないのです。
そこにTwitterのマジョリティである女性不信を抱えたオタク達は、コミケの理念という大義名分を以て次々と真木よう子を攻撃し始めました。その徹底ぶりはまさに害意としか言いようがなく、言いがかりで彼女をとことん追い詰めて、コミケ参加を撤回させたばかりか彼女のアカウントを削除にまで追い込んでしまいました。
ここにおいて、オタクは過剰に彼女を攻撃することで、彼女のやり方が何故いけなかったのか(本当にいけなかったかどうかは別として)を考える余地すら奪い去り、彼女を事実上抹殺したのです。オタクは自らの手で、自分たちを理解してくれるかもしれない存在を踏みにじり、葬り去ったのです。

女性不信は個人においては他人の生命を脅かす存在となりますが、これが集団になると、他の文化との断絶を助長することになります。これは趣味の分野の衰退にもつながりかねません。
無論これは、趣味の分野だけに言えることではないと思います。そもそもこの世の中は男女の協力によって成り立っているわけで、異性を断絶してしまえば必ず無理が生じるのです。
Twitterに巣食っているオタクは、言葉で人を抹殺できるレベルの重度の女性不信を抱えている人が多く、特に女性批判においては愉快犯的なものを感じます。SNSの中でひとつだけ異彩な空気を放つTwitterは、ネットの終着点と化して女性不信のるつぼとして機能しているように思います。


オタクはこのことにいつになったら気がつくのでしょうか。この国は一度フルリセットされないとオタクは何も気がつかないのでしょうか。そんな未来は御免蒙りたいです。いったい何が男女の架け橋となるのでしょうか。
男性と女性の信じ合える日を心待ちにして、婚活研究に邁進していきたいと思います。

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