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寒い

ことが嫌だと、昨日も言われています。
夏涼しく、冬に暖かい家。もう当たり前になってきています。省エネ住宅が一般的になり、そろそろフラット35も終わりになるとか。
住宅の着工件数も落ちるかもねと話しています。
心配することばかり増えている気がしますが、人は不安に思うようにできているとか。それを安心できるように色々手を打って発展したなんていう人がいますが、半分は嘘だと思う。いきすぎていて、心配しすぎている。そう感じます。山の向こうに新天地があるとわかっていても不安で、踏みとどまっている。今まで40生きてきて、同じ方向に同じような速さで進んでいるといつもろくなことがない。だから、人より速く仕事、行動する人がいるけれど、向かう方向がそもそも違っていると最近感じることが多い。
それは風の時代とかそういう半分オカルト的なことでなくて、そもそも、言ってる事はその分水嶺の後先で大して変わらない。要するに、寒くない家と同じで謳い文句にすぎないと。本来、人が居住する家はよく海外の家との比較サイトがありますが、そもそも日本は狭すぎる。かと言って田舎に行けるかと言えばいけない状態が続いていたが、コロナでたとえ田舎でも仕事が成り立つことがわかって?元々できたはずだけど。一部の人が実践していたことが周知のことになった。
自分の感覚にすぎませんが、長らくその他大勢の人(私も含め)は安っぽい家に住んでいた。業者が儲かる家だ。いわゆる富裕層といったほうがいいのかわからないけれど、知っている人だけが、快適に生活をしていた。分け隔てられた世界がある。一旦交わったように見えて、今でも分けられている。それにはお金がないとできなんだと思わされている。昨今の断熱ブームは住宅事情としてはいいかもしれないけど、断熱材もその他の素材と同じであと何年かしたら、批判される可能性もある。スタイロフィーム、吹き付け、グラスウールですが、どれも施工していて、嫌がる人が一定数いる。体が嫌がっている。痒くなるとか、その拒否反応は軽度かもしれないが、体が反応しているということはそこにはやはり何かある。
以前フランスで出会ったアフリカ人の話を書きましたが、牛のうんちと、土を混ぜた壁に現代の壁と同様の効果はある。現代では、うんちと厚い壁に拒否反応を示すようになっています。自然のものと人工のものと選択肢は沢山あると思っていた方がよい。
快適な生活のために、我慢や無理を強いているので、そのうちこけそうだ。そもそも快適に暮らすということは自分にとってはどういうことかが抜け落ちているように見受けられる。寒いのが好きな人もいるだろう。通気と断熱することを同時にやるために、機械を導入して、電力を保つために、屋根にソーラー乗せて・・・。申請ばかり大変になってしまう。
行政には簡単な届出をして好きなよう快適に暮らすことは難しいのか。大人の約束ということだ。そもそも、行政はボロくても個人が幸せになれないのであれば意味がない。反体制になれというわけではないけれど、もっと最低限の行政でいいのではないか。そもそも建築は個人でどうにかできるものではないし。税金が絡んでくるかもしれないが、サービスがボロくてもやすればそれでいいと思う。高いのにボロなサービスじゃあ仕方がない・・・。
心配のしすぎと、誰かをほっておくことができるようにならないとゆったり生活できない。隣地いっぱいに建てられて、音が響きとか、木の枝が越境してるとか、何年も繰り返し話すのもうやめにしたいものです。

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