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Rebel Heartを追いかけて #1

2017年春 東京

終電までにその日の業務を終えられなかった私は職場近くで買ったコンビニ弁当をぶら下げ自室に戻った。

『まだ晩飯食べてないから買ってくるわー』

20分前にそう声をかけた時にはパソコンにかじりついていた後輩が、今は電池が切れた様に机に突っ伏してる。

『自分も食べてないやろ。メシでも買ってこいよ』

いかにも先輩らしい声色で放ったセリフは誰の脳みそにも届かぬままオフィスの壁にぶつかり、居心地の悪い振動を増幅させて全身に跳ね返ってきた。後輩はピクリとも動かない。

レンジで温めた弁当の中でお惣菜たちが『新鮮で栄養満点!美味しいよと!』大声で叫んでいる。

そんなわけあるかよ。ああもう3時だ。

リモコンを握りテレビの電源を着ける。

〜うわさを広めてくれ。俺が今日旅立つ事を。仲間入りしたいんだ〜

画面いっぱいの自由の女神とタイムズスクエアとブロードウェイ。その日の全てのプログラムを消化したTV局が誰も気に留めない番組を流しはじめた。

〜眠らない街で起きたい。そして昇りつめるのさ、この街の頂点に〜

チャンネルを変えようとしたその時、色気に満ちたフランク・シナトラの声が高らかに再起を誓い始める。

〜小さな町での憂鬱は消え去り、新しい人生のスタートだ〜

自室への道中、頭に巡らせていたはずの、既に当日となった明日のスケジュールは頭から消えかかっていた。

〜そこで成功できれば俺はどこだってうまくやれる〜

そんなわけねえだろ、と嘲笑う自分もそこにはいたはずだ。

〜すべては自分次第さ、ニューヨーク、ニューヨーク〜

そうだ。ここに行くんだ。

後輩はやはり、ピクリとも動かない。


2017年初夏 JFK国際空港

いつの日からかのあこがれの地。この先三年ほど住む事になるニューヨークに降り立った私は、大きく伸びをしながら東京とそれほど変わらない灰色の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

俺は眠らない街の一員になったんだ。

我々が享受する社会システム全ての中心地。その街からは少し離れたところにある、悲劇的な最後を迎えた"偉大な"大統領の名を冠した空港。

それがとにかくショボい。果てしなくショボかった。ガッカリなんてものじゃない。
設備の老朽化も甚しければ、出勤前に愛想を顔にはめ忘れて来たんでしょうかと問いたくなる空港スタッフの塩対応。

幼い頃、その先には何があるのかと胸躍らせたターンテーブルの荷物排出口は待てど暮らせど私のキャリーケースと段ボールを吐き出す気配はない。

セキュリティエリアを超えた先にいる、怖いと噂されていた前任者の表情を想像するだけで肝が冷えた。

ハイウェイを抜けてマンハッタンへ。当面の間滞在する予定のホテルに着いた私はボロボロになった段ボールと傷だらけのキャリーケースをフロントのボーイに預ける。チェックイン時間はまだ先だ。

休む間もなく新しい職場や関係先への挨拶回りへ。その後もオフィスに戻るや否や新しいプロジェクトに関する会議が、鮮やかに、さも当然の如く始まった。

『頭に入るわけありませんよ。こっちはさっきまで13時間飛行機乗ってたんすよ。イビキかかずに会議を寝通した自分を褒めてやりたいくらいです。』

迫り上がってくる言葉たちを何とか舌で転がすだけに留めて、新たな所属先のメンバーからの歓迎の意が示された夕食のステーキと共に飲み込んだ。


憧れのニューヨークの街並みも、その後再訪する事はなかった名店の血の滴る肉の味も。五感がその全ての処理を拒み、何一つ覚えていない。

いや、端正な顔立ちに、憎たらしいほどの素敵な笑顔を添えて、満腹状態の私に巨大なチーズケーキを運んで来たアイツは覚えてる。あれは人生最悪のスイーツになるはずだ。

ああ、目まぐるしく理不尽な一日目だった。だがまだ終わらない。

『これがニューヨークスタイル、トドメの一撃だ!』と言わんばかり。数時間ぶりにホテルに戻った私にはダブルブッキングという悪夢が待ち受けていた。

私が入るはずだった部屋は既にどこか国の誰かに占拠されているらしい。

〜そこで成功できれば俺はどこだってうまくやれる〜
〜小さな町での憂鬱は消え去り、新しい人生のスタートだ〜

フレッド・エブ氏が書いたという詞に中指を立てつつ、フロントスタッフとの口論の果てに何とか値段を据え置いたまま当面の部屋を勝ち取ることができた。

割り当てられた5〜6人用のスイートルームにたどり着き、鍵を開けた瞬間、私は強烈な睡魔と不愉快な疲労感に襲われた。
そしてだだっ広く、無音が鼓膜に響くこの部屋が、誰も味方がいないんだという事実を私に突きつける。猛烈な孤独感が波のように押し寄せた。

しかし私はまだ、記念すべきニューヨークの第一日目を終わらせるわけにはいかなかった。

レストランからの帰り道に購入したビールのプルタブが飲み口を貫通する事なく取れてしまうほど変な力が入っている事に気づく。

耐え難い孤独をビールと共に胃に流し込み、ポケットからスマホを出す。

出発前、日本で何度も何度も打ち込んだその文字を、これまでで最も新鮮な気持ちで検索エンジンに画面にフリックした。


NXT Takeover Brooklyn 3


2017年8月 バークレイズセンター

初日に寝通した会議のプロジェクトも無事に終え、チェックイン後一度も笑顔が見られなかったスタッフだらけのホテルから脱出した私は、その日200ドル程の現金と夢が詰まる電子チケットが格納されたスマホを握りしめてその場所に辿り着いた。

薄暗い陰気な地下鉄を乗り継いでマンハッタンからブルックリンへ。とある駅のコンコースから伸びる長い長いエスカレーターに運ばれた先にその場所はあった。



夢にまで見たWWE、しかも当時もっともホットな"団体"だったNXTの現地観戦。

しかし、この時の私はまだ知らなかった。ある男がプロレスからドロップして以来、私のプロレスの中心地で、主人をなくした玉座に居座る男との出会いがある事を。

どこまでも私の足を動かして、喜怒哀楽の共有を強いてくるあのレスラーに心射抜かれる一夜になる事を。


これは私があるプロレスラーと出会い、追いかけ、別れ、いつの日か再会するまでの日々を記録する言わば備忘録の様なもの。

劇的な事は何一つ起きないし、細部では事実と異なる記述もある。

『記憶の中に生きる自分は今実存する自分ではない』

そんな哲学的な理由によるものではなく、単に色々とめんどくさいから。あるいは書く事を通して浮かび上がらせる自分の姿に酔っているだけ。

いつ終わるともわからない。着地点も決めていない。途中で飽きて放り出すかも知れない。

しかし一つだけ断言しておく。

これは彼と彼が織り成す物語に出会って得た私の心の動き。


ジョニー・ガルガノという一人のレスラーに出会って得た私の人生。そこだけには絶対に嘘をつかない。つきたくない。


そんな話でよければ、どうか気長に、緩く、暖かく、お付き合いいただければと思う。

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