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ビリー・ザ・キッドの真実の姿―第12章 キッドの旧友が語る

※ミゲル・アントニオ・オテロ『ビリー・ザ・キッドの真実の姿』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー』についてでまとめています。

フォート・サムナー訪問を通じてキッドの死が本当だと納得した後、 我々はサンタ・フェに立ち寄ってマーティン・チャベスと会った。彼はリンカン郡戦争に参加した主要人物であり、我々は彼の回想を聞きたいと望んでいた。

チャベス氏は彼が読んだ説明に関して批評を述べることで話を始めた。

「リンカン郡戦争に関する説明の大部分は真実からほど遠いものだ。私は、パット・ギャレット、チャーリー・シリンゴ、ハーベイ・ファーガソン、そして、ウォルター・ノーブル・バーンズなどによって書かれた説明を読んだ。私は、E・A・ブリンニンストールによって書かれたキッドの殺害に関する説明も読んだが、それは正しかった。それはギャレットと一緒にいたジョン・ポーによって書かれたものだ[1922年にブリニンストールによって私家版として刊行されたジョン・ポー著『ビリー・ザ・キッド、死の真相』]。その他の説明はすべて不正確な内容と矛盾で満ちていてキッドに対して公正ではない。すべての悪行はビリーのせいにされているが、彼について本当によく知っている我々は、彼が善良であり、すばらしい性質を持っていたと知っている。我々は我々の印象を刊行できず、我々の沈黙はキッドに対する大いなる不公正の原因となっていた」

「ブレイディ保安官とジョージ・ハインドマン補佐の殺害についてキッドは裁かれて有罪判決を受けたが、彼がその罪に直接責任があるかどうか決めるのは難しい。撃たれた時、彼ら2人はビリー・マシューズとダッド・ペピンとともにマーフィー、ドーラン、そして、ライリーの店から郡庁舎に向かう途中で道路の真ん中にいた。彼らは全員重武装していた。マックスウィーンの一味は藁葺き小屋の日干し煉瓦の壁の背後に隠れていて、マーフィーの一味が壁の後ろから見える場所に差し掛かると銃口を開いた。マックスウィーン一味の中にはビリー・ザ・キッド、ジム・フレンチ、チャーリー・ボウディー、トム・オフォラード、フランク・マクナブ、フレッド・ワイト、ハーベイ・モリス、ヘンドリー・ブラウン、ドク・スカーロック、サム・スミス、ジョン・ミドルトン、そして、 ステファン・スティーブンスがいて全員が発砲した。ブレイディは9発の銃弾を受けて倒れた。ビリーの銃から発射された銃弾が命中した可能性はあるが、その他の者の銃から発射された銃弾が致命傷を負わせた可能性もある。ジョージ・ハインドマンは逃げている途中に背後から受けた1発の銃弾で殺害された。一般的な見解によれば、フランク・マクナブがハインドマンを殺したことになっている。ブレイディとハインドマンに対する襲撃は不運なことであった。なぜならそれはそれまでマクスウィーン側に同情していた多くの人々の意見を転向させたからだ。マクスウィーン自身は殺害には関与していない。もし彼がそのことを知っていれば、きっと止めていただろう」

「1878年4月1日に起きたこの事件の後、二つの党派は互いに宣戦布告して不倶戴天の敵どうしになった。マーフィー一味は、問題を解決するためにホセ・チャベスの牧場でマクスウィーン一味に激しい戦いを挑もうとした。マクスウィーン一味は挑戦に応じたが、マーフィー一味は姿を現さなかった。マーフィー一味は数が増え、不寛容になり、とても危険になった。奴らは欲しい物はどこからでも何でもぶんどった。もし一味の誰かが保護者がおらず独りでいる女や少女を見つけると、そうした女をひどく手荒に扱った。そうした奴らの行動は激しい憎悪を招くことになった。しかしながら、奴らには味方がいて、その中には多くの郡の官吏が含まれていた。奴らは金を貰えれば何でもやるような連中だった」

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