ビリー・ザ・キッド、真実の生涯―第6章

ジェシーとの別れ—セグーラ、再び—「ザ・キッド」というあだ名—ディック・ターピンに匹敵する騎行—勇敢な葦毛—片手で牢破り—追跡者の困難

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彼らが野蛮人から救出した移民達と別れた後、ビリーとジェシーは進路を変えてリオ・グランデ川のほとりに戻った。ここで彼らは若者達の一団に出会った。彼らはジェシーの知り合いだったので、一緒にペコス川を越えて十分な報酬がある仕事に就かないかと2人を誘った。この「カウボーイ」の一団の中には、ジェームズ・マクダニエル、ウィリアム・モートン、そして、フランク・ベイカーなどリオ・グランデ川からペコス川でよく知られている者達がいた。われらが2人の冒険者は、この一団と運命を分かち合うことにすぐに同意して、ジェシーはそうした。しかし、ビリーは、出発準備の1日か2日前に、彼の相棒であったセグーラがテキサス州のイスレタとサン・エリザリオ近辺にいると知って、きっとリオ・グランデ川を遡って、メシラとラス・クルーセスに来るに違いないと思った。ビリーはセグーラが来るのを待つことにすぐ決めたが、メシラかリンカン郡ですぐまた会えると一団に約束した。

ジム・マクダニエルによってビリーが「ザ・キッド」と名付けられたのはここメシラであった。それは彼の若々しい外見を説明したものであり、そして、ビリーはその後の多くの出来事に彩られた人生の間、この「変名」で知られ、その名前で歴史の未来の頁にも知られるようになるだろう。

キッドの新しい友人達はジェシーとともにリンカン郡に向けて去った。そして、彼はセグーラの到着を今か今かと待った。彼はメシラからちょっとした旅を何度もおこなった。そうした小旅行から戻った時、彼は有名な葦毛の馬に乗っていた。その馬は、その後、2年間、多くの「窮地」で彼を勇敢に運ぶことになる。

1876年初秋、キッドは6時間ちょっとで81マイル[約130キロメートル]を踏破する有名な旅をおこなった。葦毛の馬に乗って全行程を駆けた。この旅の要因と必要性は以下の通りに説明される。

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ビリー・ザ・キッド、真実の生涯―第6章

西川秀和

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西川秀和

アメリカ史人物列伝

著作権切れの伝記を要望に応じて翻訳。対象:ビリー・ザ・キッド、エドワード・ティーチ、メアリー・リード、アン・ボニー。※西部時代関連は、週刊『西部開拓時代』に移行しました。
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