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ジェロニモ自伝―第2部 メキシコ人 第8章 成功した襲撃

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目次

1862年夏、私は8人の男性達を連れてメキシコの領域を侵略した。5日間で我々は南に進んでシエラ・マドレ山脈の西側に入った。それから夜にシエラ・デ・サワリパ山脈の南側を越えた。ここで我々は荷を運ぶ動物を探すために再びキャンプした。翌朝10時頃、馬に乗った4人の御者がラバの群を連れて我々のキャンプの近くを通り過ぎた。我々の姿を見ると彼らは命からがら駆け去って我々に戦利品を残していった。それは長い動物の列であり、毛布、キャラコ、鞍、錫製品、そして、砂糖が積まれていた。我々はこれらの物資とともにできる限り急いで家に戻ることにした。帰還の途上、アリゾナのサンタ・カテリーナ山脈の渓谷を通った時、我々はラバの群を連れた白人に会った。我々が最初に彼を発見した時、彼はすでに我々を発見していて、峡谷を全速力で駆け下りていった。我々は彼のラバの群を調べた。彼のラバの群が背負っていたのはすべてチーズであった。我々はそのラバの群を他のラバの群に加えて旅を再開した。我々は御者を追跡しようとはしなかったし、御者も我々を追跡しようとは思わなかったはずだ。

2日以内に我々は郷里に到着した。それから我々の族長であるマンガス=コロラドが部族民を招集した。我々は饗宴を催して戦利品を分配して一晩中、踊り明かした。ラバを何頭か殺して食べた。

今回、帰還した後、メキシコ軍が我々を追跡しようとしているかどうか知るために我々は斥候を送り出し続けた。

3日目、我々の斥候がキャンプに戻ってきて、メキシコの騎兵隊が馬を下りて我々の集落に接近しつつあると報告した。我々の戦士達はすべてキャンプにいた。マンガス=コロラドが一隊の指揮を執り、私がもう一隊の指揮を執った。我々は彼らの馬を奪いたいと考えて、山中で兵士達を包囲して全軍を壊滅させようとした。我々はそうすることができなかった。というのは彼らもまた斥候を放っていたからだ。しかしながら、我々が出発してから4時間以内で10人の兵士を殺害できた。我々の損失は1人のみであった。そして、メキシコの騎兵隊は総撤退した。その後を30人の武装したアパッチ族が追跡して遥かメキシコの国境内に入るまでメキシコの騎兵隊に休む暇を与えなかった。その冬、他の軍隊はやって来なかった。

アパッチ族の斥候、左からナイチェ、グッディー、ジョン・ロコ、ポリコ、チャット、セイヤーズ大尉、アレン、ジェームズ、ジェイソン、アサ・デクルージ

長い間、豊富な食料、豊富な毛布、そして、豊富な衣服に恵まれていた。また我々は豊富なチーズと砂糖に恵まれていた。

次の夏(1863年)、私は3人の戦士を選んでメキシコに襲撃に出かけた。我々は南に向かってソノラ州に入ってシエラ・デ・サワリパ山脈でキャンプした。カサ・グランデから西に約40マイル(約64キロメートル)離れた山中にインディアンに「カラサナス」と呼ばれている小さな村があった。我々はその場所の近くにキャンプして攻撃を決定した。白昼に堂々としていれば誰も騒がないだろうと我々は考えた。そこで我々は正午に攻撃を開始する計画を立てた。翌日、我々は正午に街に潜入した。我々は銃を持っていなかったが、槍と弓矢で武装していた。攻撃を開始するために鬨の声を上げると、メキシコ人はあらゆる方向に逃げ散った。我々と戦おうとする者は1人もいなかった。

我々は逃げるメキシコ人に何本かの矢を放ったが1人も殺せなかった。すぐに街のすべてが静まり返ってメキシコ人はいなくなった。

すべてのメキシコ人が去ったのを確認すると、我々は彼らの家々を調べて多くの興味深い物を見つけた。メキシコ人はアパッチ族よりもより多くの種類の財産を持っていた。我々は家々で見つけた多くの物について理解できなかったが、貯蔵庫には我々が欲しいものがたくさんあった。我々は馬とラバに持って行けるだけ食料や物資を積み込んだ。それから我々はそうした動物を一列にしてアリゾナに無事に戻った。メキシコ人は我々を追跡しようともしなかった。

我々がキャンプに到着した時、すべての部族民が呼ばれて一日中、饗宴を催した。我々はすべての者達に贈り物を与えた。その夜、ダンスが始まり、翌日の正午までダンスは終わらなかった。

おそらく今回は、メキシコ人の領域に対して我々がこれまで実施した遠征の中で最も成功した襲撃であった。私は戦利品の価値を知らなかったが、その価値は非常に大きなものだった。というのは我々は部族全員を1年以上も養うのに十分な物資を得たからだ。

1864年秋、20人の戦士達が私とともにメキシコへの遠征に行ってくれることになった。すべて選ばれた男性達であり、戦闘のために十分な武装を整えていた。いつものように我々は襲撃を始める前に我々の家族に安全な場所を用意した。我々の全部族民は分散して、元の場所から約40マイル[約64キロメートル]離れたキャンプで再集合した。このようなやり方ならメキシコ人が彼らを追跡することは難しくなるうえに、我々は戻った時に家族がどこにいるか知ることができる。さらにもし敵対するインディアンがこの大規模な戦士達の集団が我々の領域を出るのを見れば、我々のキャンプを攻撃してくるだろう。しかし、もしいつもの場所に誰もいなければ、彼らの攻撃は失敗するだろう。

我々は南に向かってチョコネン・アパッチ族の領域を通って、アリゾナのトームストーンの真南の地点でメキシコのソノラ州に入って、シエラ・デ・アンタレス山脈を潜行した。

我々は近隣のいくつかの集落を攻撃して十分な食料と物資を確保した。3日後、我々はインディアンが「ポントコ」と呼んでいる場所で荷を運んでいるラバの群を攻撃して捕捉した。そこは山脈の真西にあってアリスプから1日の旅程(45マイル[約75キロメートル])にある。

このラバの群には3人の御者がいた。1人が殺され、2人が逃げた。ラバの群は、瓶に詰められたメスカール(メキシコでいくつかのリュウゼツランから作られる強い蒸留酒)を柳で編んだバスケットに積んでいた。我々がキャンプを張るとすぐにインディアンは飲み始めて互いに戦い始めた。私もその効果を感じられるまでメスカールを飲んだが私は酔っぱらわなかった。私は戦いを止めるように命令したが、命令は守られなかった。すぐに戦いが全体に広がってしまった。私はキャンプの周辺に歩哨を配置しようとしたが、全員が酔っ払ってしまって任務に就くのを拒んだ。私はメキシコ軍がいつ攻撃してくるかと心配になった。それは私にとって深刻な問題であった。というのは私が指揮を執っている間、遠征に関連するあらゆる不幸な出来事について私は責任を取らなければならないからだ。ついにはキャンプは多少、静かになった。というのはインディアンは酔いつぶれて歩いたり戦ったりできなくなったからだ。彼らが昏睡している間に私はすべてのメスカールをぶち撒けた。それから私はすべての火を消してラバの群をキャンプから離れた場所に移動させた。その後、私はキャンプに戻って負傷者のためにできることをしようとした。重傷を負っているのは2人だけだとわかった。1人の脚から私は鏃を摘出して、もう一人の肩から槍の穂先を引き抜いた。すべての傷の処置が終わった後、私は自分で朝まで歩哨に立った。翌日、我々は負傷者をラバに載せてアリゾナに向かい始めた。

翌日、 我々は群からはぐれた牛を捕らえて、家に連れ帰った。徒歩で進んでいる時に牛を追うのはとても難しいことであった。負傷者を世話しつつ、牛が逃げないようにしていたために我々の旅は緩慢であった。しかし、我々は追跡されず、すべての戦利品とともに無事に家に到着した。

それから我々は饗宴とダンスを催して戦利品を分配した。ダンスの後、我々はすべての牛を屠って乾燥肉にした。我々は皮を剥ぎ、皮の間に乾燥した肉を詰めて貯蔵した。冬の間ずっと我々は豊富な肉にありつけた。それは我々が最初に食べた牛であった。いつものように我々はラバを何頭か屠って食べた。ラバは我々にとって役に立たなかったし、何か価値あるものと交換できなければ屠るしかなかった。

1865年夏、4人の戦士とともに私は再びメキシコに赴いた。これまで我々は徒歩だった。我々は徒歩で戦うことに慣れていた。さらに馬に乗っていなければ我々は簡単に身を隠すことができた。しかし、今回、我々はもっと牛が欲しかった。徒歩で牛を追うのは難しかった。我々は、アリゾナのトームストーンから南西の地点でソノラ州に入って、シエラ・デ・アンタレス山脈に沿ってその南限に向かい、それからヤーキ川[メキシコ北西部ソノラ州を南西に流れてカリフォルニア湾に注ぐ河川]の河口まで南下した。ここで我々は見渡す限り広がる大きな湖(カリフォルニア湾)を見た。それから我々は北に方向転換していくつかの集落を攻撃して十分な物資を確保した。我々がアリスプの北西に戻った時、約60頭の牛を確保していた。そして、それをアリゾナの我々の家まで連れ帰った。我々は直接家に向かわず、牛の群とともにさまざまな峡谷でキャンプした。我々は追跡されていなかった。我々がキャンプに到着した時、部族民は再び集まって饗宴とダンスを催した。全員に贈り物が渡された。それから牛が屠られ、肉が乾燥され貯蔵された。

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第2部 メキシコ人 第9章 さまざまな幸運に続く

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