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論文「ロビン・フッドとアメリカの無法者」簡訳

※以下はKent L. Steckmesser 'Robin Hood and the American Outlaw: A Note on History and Folklore' in "The Journal of American Folklore" Vol. 79, No. 312 (Apr. - Jun., 1966), pp. 348-355の簡訳です。ざっと読んでこんなことが書いてあるよ程度のメモなので必ずしも正確ではありません。概要としては、ロビン・フッドとアメリカの無法者の類似性を探って、どのようにアメリカの無法者の伝説が生まれたのか考察しています。


アメリカの無法者のイメージが形作られる際に大きな影響を与えているのがロビン・フッドである。ロビン・フッドの伝説はまさに古典的な無法者の伝説だからである。とはいえ研究者は、アメリカの無法者の伝説とロビン・フッドの伝説にどのような類縁関係があるのか詳細に述べていない。

無法者の伝説はアメリカ大統領でさえ関心を抱いている。セオドア・ローズヴェルト大統領は以下のように述べている。

「ここアメリカ大陸においてロビン・フッドのような地位をジェシー・ジェームズが占めていることからすれば、中世イングランドで無法者への同情を含むようなバラードが育まれた条件がどのように再生産されているか興味深いことである」

アングロ=サクソンの伝統において「法」と「正義」は不可分のものだと考えられる。しかし、時にそれらは別々のものになる場合がある。それはどのような場合かといえば、不公正が蔓延している社会において、無法者は法を破る犯罪者とはいえ「正義」を執行する存在となる。ロビン・フッド、ジェシー・ジェームズ、ビリー・ザ・キッドはそうした社会状況で「英雄」となった。

ロビン・フッドは不公正が蔓延している社会において抑圧されている人々の擁護者とみなされてきた。すなわち、ロビン・フッドは腐敗した聖職者や貴族に抵抗するシンボルである。だからこそロビン・フッドは法を破っても民衆から賞賛される。

ただ一つ問題となるのはロビン・フッドが歴史的人物なのか、それとも伝説上の人物にすぎないのかという問題である。ロビン・フッドは最初に登場した時、虐げられた人々の英雄ではなかった。13世紀イングランドにおいて権力が濫用され、それが無法者によって正されたという証拠はない。伝説によれば、ロビン・フッドが登場するような社会的環境はあったが、その点について歴史は何も語っていない。

アメリカの伝説もジェシー・ジェームズとビリー・ザ・キッドに関しても同様のことが言える。ジェームズ兄弟は南北戦争に従軍した後、故郷のミズーリ州に戻った。伝説によれば、北部人がジェシーの父を攻撃して母を投獄して彼をロープで打ったという。すなわち、「法」が北部人が抑圧を加える道具になっていた。自ら正義を実現するためにジェシーは無法者になった。 すなわち、伝説によればロビン・フッドと同じく、不公正が蔓延する社会から無法者が生まれたと言える。

しかしながら、歴史はそのような伝説の背景事情を証明していない。ジェシーの父母に関する記録はなく、ジェシー自身が迫害されたという記録も残っていない。無実の者が迫害されるというテーマは、無法者になった理由としてよく挙げられるものである。歴史家の観点からすれば、無実の者が迫害されるというテーマは後世に作られたものでである。

ビリー・ザ・キッドは英雄として扱うには議論の余地があるが、彼が置かれた社会環境は無法者の伝説の要件を満たしている。1870年代のニュー・メキシコにおける典型的なモデルは、 無力な農民たちが判事や保安官、議員などが作り上げた政治派閥に支配されるという構図である。ジョン・タンスタールはそうした政治派閥に対抗しようとしたが暗殺されてしまった。ビリー・ザ・キッドはタンスタールの報復の担い手になった。タンスタールの殺害者は法によって守られており、正義を実現するには政治派閥に対抗しなければならなかった。

実際の構図はそうした伝説のように白黒がはっきりとしたものではない。確かにタンスタールは政治派閥に対抗しようとしたが、自らもそうした派閥を作りあげようとしていた。タンスタールは伝説にあるように洗練された理想主義者ではなく、野心に満ちた攻撃的な人物であった。タンスタールの野心が抗争を引き起こしたと言える。ビリー・ザ・キッドはそうした抗争の中で雇われたガンマンにすぎず、 無力な農民たちが政治派閥に支配され虐げられているという構図はほとんど関係なかった。

無法者の伝説には一定のパターンがある。すなわち、無法者が「貧しい者たちの友人」であるというパターンである。それはロビン・フッドがお金持ちから盗んで貧しい者たちにそれを分け与えるというパターンで示されている。ジェシー・ジェームズも 同じく「貧しい者たちの友人」として描かれている。ミズーリの農民たちの間でジェシー・ジェームズが人気だったのは、銀行や鉄道会社を狙って盗んだと言われているからである。ビリー・ザ・キッドについても「メキシコ人たちには良くした。彼はロビン・フッドのようだった。彼は白人から盗んでそれをメキシコ人たちに与えた。だからこそ彼らは彼を正しいと認めた」と語られている。

ロビン・フッドが貧しい者たちに親切であったという伝説の根拠は非常に乏しい。 それにもかかわらず、そのような伝説が広まっていることについて考察する必要がある。アメリカの無法者たちが貧しい者たちに親切であったという伝説も歴史的根拠に乏しい。1872年に無法者たちからの「我々はお金持ちから奪ってそれを貧しい者たちに与えた」という声明が新聞に掲載されたが、本当に貧しい者たちに与えられたという形跡は見当たらない。

ただ貧しい者たちに親切であったという伝説が本当は嘘であったとしても、無法者たちが貧しい者たちから拒絶されていたというわけではない。ジェシー・ジェームズの伝説は、貧しい白人たちや南部の黒人たちの中で生きているし、ビリー・ザ・キッドの伝説は「白人」の支配を憎むメキシコ人たちによって記憶されている。

無法者たちの優しさを示す逸話がいくつもあるが、それはどれもが同様の正義感を示している。 ロビン・フッドは僧院に借金を返せるように貧しい騎士にお金を貸している。そして、僧院からの使者がシャーウッドの森にやって来た時、ロビン・フッドは使者を捕えてお金を強奪している。その一方で貧しい未亡人が無慈悲な銀行家によって財産を差し押さえられそうになった時、ジェシー・ジェームズは借金を返せるようにお金を貸している。銀行家が家に帰る途中、ジェシー・ジェームズは銀行家を襲撃してお金を取り戻した。

そのような未亡人の逸話はおそらくなかっただろう。場所もはっきりしなければ時期もはっきりしないからである。それは後世に作られた話だと考えられている。

こうした伝説の共通点として無法者たちが特定の者からしか奪わないという点がある。ロビン・フッドは農民、女性 、誠実な聖職者からは奪わなかったとされる。その一方でジェシー・ジェームズは説教師、未亡人、孤児からは奪わなかったとされる。

そのような賞賛すべき行為は無法者たちの性格を理想化している。さらに無法者たちの特徴として正統な信仰を尊重するという点がある。伝説によれば、ロビン・フッドは非常に新人深く毎日3回もミサをしたという。ジェシー・ジェームズも信心深い洗礼派だったとされ、酒を飲まず、非常に礼儀正しかったとされる。ビリー・ザ・キッドも気前よく物を友人に分け与えるような性格だったという。ロビン・フッドのような理想的な性格がアメリカの無法者たちに付与され、そうでない者は伝説から除外されたのだろう。

ロビン・フッドは善のシンボルという伝説上の人物像はあっても本人に限定される個人像は必ずしも明確ではない。その一方でアメリカの無法者ははまり役とでも言うべきものを演じている。これはイギリスの英雄が人民の自由の擁護者という点で注目される一方、アイルランドの英雄がその個性と運命という点で注目されるのと同じようなものである。

アメリカの無法者たちの個性に注目すると、その大半が史実に基づいていない。説教師から奪わないはずのジェシー・ジェームズは牧師から時計を奪っているし、当時の記録からすれば賭博師で大胆な牛泥棒であった。そうした伝説と史実のギャップは一つの研究課題として考えられる。

さらに無法者たちを崇拝するお馴染みの手法がある。すなわち、無法者たちは自衛のためだけにしか攻撃しないという表現である。ロビン・フッドはそのように表現されているし、ジェシー・ジェームズも「自衛の場合を除いて誰も殺害しなかった」とされている。 ビリー・ザ・キッドも相応の報いがある者のみ殺害したとされている。

そのような主張は、少なくともアメリカの無法者たちに関しては史実とは言えないだろう。実際、ジェシー・ジェームズは銀行や鉄道の襲撃において冷酷な殺人を犯している。1881年7月15日に起きた列車強盗では車掌と乗客が理由もなしに殺されている。1878年4月1日、ビリー・ザ・キッドとその一味は保安官とその一行を待ち伏せして殺害している。このような史実からすれば、無法者たちが「自衛の場合を除いて誰も殺害しなかった」という伝説は根拠がない。

ロビン・フッドの伝説にはトリックスターのような要素がある。ロビン・フッドは肉屋に化けたり、乞食に扮したり、女性や陶工に偽装したという話もある。ジェシー・ジェームズも無知な田舎者を装ってジェシー・ジェームズを追跡する一団に自ら加わったという逸話がある。

そうしたトリックスターのような要素は、歴史からではなく他の伝説を参考にしている。 陶工に偽装する話は中世の無法者の伝説でよくある話である。ジェシー・ジェームズが田舎者のふりをするという逸話もほぼ作られたものだろう。

裏切りというテーマも伝説にはつきものである。ロビン・フッドは親戚の裏切りによって死んだ。ジェシー・ジェームズもロバート・フォードに裏切られた。ビリー・ザ・キッドも友人であったパット・ギャレットに撃たれた。まるで無法者の英雄は裏切り以外で死ぬことがないかのようだ。

よく考えれば無法者たちは裏切られてなどいない。例えばジェシー・ジェームズには御社の申し出があったが、ジェシー・ジェームズ自身も当局もそれをまともに信じていなかった。ビリー・ザ・キッドはウォレス長官による恩赦の申し出を受けてわざと逮捕されたが脱獄している。

どのような形であれ無法者たちが自由気ままに振る舞うことは民衆から歓迎される。法というものはしばしば腐敗したものだと見なされる。したがって、それを破る 無法者の死は、貧しい人たちのための正義が死んだことを象徴している。さらに裏切りによる死は、無法者たちを英雄として崇拝する正当性を与えている。

ロビン・フッドとアメリカの無法者たちは、腐敗と不公正に戦いを挑む人間という古典的な劇を演じていると言える。 しかしながら、そうした劇に関わる脚本や俳優はまったく同じというわけではない。抑圧と不公正が存在したという社会的状況について注意深く検討する必要がある。すなわちそうした社会的状況はあくまで史実ではなく伝説によるところが大きく、史実の無法者たちは伝説が彼らに与えた役割を滅多に演じていたわけではない。

確かにアメリカの無法者たちの伝説はロビン・フッドと比べればより歴史に関連している。ロビン・フッドと違ってジェシー・ジェームズやビリー・ザ・キッドが実在していたことを疑う者はいない。新聞や法廷の記録によって彼らの犯罪歴を確かに知ることができる。アメリカの無法者たちは、バラードで歌われているロビン・フッドよりもはるかに暴力的であった。さらにアメリカの無法者たちは、ロビン・フッドと違って死の瞬間まで悔いることのない罪人であった。

無法者の英雄というのは伝説の産物である。貧しい者に対する態度や裏切りに遭うことなどは、歴史というよりもすべて伝説である。アメリカの無法者たちをロビン・フッドに似せることによって伝記作家たちがそうした伝説化に手を貸してきた。ジャーナリストたちもそうしたアメリカの無法者たちの「ロビンフッド化」に貢献した。そうした伝記作家たちやジャーナリストたちがいなくても、人々は無法者たちの歴史を伝説に変えていただろう。ロビンフッドとアメリカの無法者たちの類似性は、数世紀にわたる伝説の一貫性によるものである。

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