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ジェロニモ自伝―第2部 メキシコ人 第11章 激しい戦い

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目次

1873年頃、メキシコ軍から我々の集落に対する攻撃を再び受けたが、我々は彼らを撃退した。それから我々はメキシコを襲撃することを決定した。我々はキャンプ全体を移動させて、すべての持ち物をラバと馬の背に載せてメキシコに向かってナコリ付近の山中でキャンプを張った。このようなやり方で我々のキャンプを移動させるにあたって、我々は誰にも見られたくないと思って、メキシコ人の家を通り過ぎた場合、中にいる者達をたいてい殺害した。しかしながら、彼らが降伏して抵抗したり何も迷惑をかけなければ、我々は彼らを捕虜にした。我々はしばしば集合地点を変えた。それから我々は、同行を望んだ捕虜達を伴ったが、手に負えない者は殺さなければならなかった。私は、シエラ・マドレ山脈で我々の動きを見ていて我々の歩みを遅らせた1人のメキシコ人を覚えている。我々は彼を捕らえるのに手こずったので、我々を遅らせた代償に彼の家を略奪しようと考えた。しかし、我々が彼を殺した後、彼の家には奪うべき価値がある物は何もなかったことがわかった。我々はこうした山脈の中を1年にわたってさまよい、物資を得るためにメキシコ人の集落を襲ったが、メキシコ軍と全面戦争にならないようにした。それから我々はアリゾナの郷里に帰った。約1年間、アリゾナにいた後、我々はメキシコに戻って、シエラ・マドレ山中に潜伏した。我々のキャンプはナコリ付近にあった。我々はその周辺を襲撃するために戦士達の集団を組織した。我々の斥候は、我々を攻撃するために我々のキャンプに向かって来るメキシコ軍を発見した。

ホワイト・ヒルの戦い

ネドニ・アパッチ族の族長であるホアは、私とともに一隊を指揮した。戦士達はすべて兵士達に向かって進軍して、我々のキャンプから5マイル[約8キロメートル]ほど離れた場所で彼らに遭遇した。我々が姿を現すと、彼らは丘陵の頂に駆け上がって馬から下り、胸壁代わりに馬を外側に置いた。それは丸く非常に険しく岩がちの丘陵であり、側面には木は生えていなかった。二個中隊のメキシコの騎兵隊がいた。我々には60人の戦士達がいた。我々は岩の後ろから丘陵に這い上がった。彼らは銃撃を続けたが、私はメキシコ人に姿をさらさないように戦士達に注意していた。

兵士達が弾薬を無駄にするだろうと私は知っていた。我々は彼らの馬をすぐにすべて殺してしまったが、兵士達はその後ろに横這いになって我々を狙撃した。我々は何人かのメキシコ人を殺したが、我々はまだ誰も失っていなかった。しかしながら、このようなやり方で彼らに接近することは不可能だった。そこで私は自分が先頭に立って彼らに突撃するのが最善だと考えた。

アパッチ族の戦争指導者ジェロニモ、アサ・デクルージ、ジェロニモの公式通訳、ネドニ・アパッチ族の族長ホアの息子、ジェロニモの死に伴って族長に選ばれた

午後1時頃から我々は戦っていた。お昼過ぎ、ほとんど何の進展もないのを悟った私は、前進の合図を出した。鬨の声が響き、我々はあらゆる岩陰から飛び出して前進してメキシコ人の死馬を越えて白兵戦を挑んだ。攻撃が突然だったのでメキシコ人はそこかしこに逃げ散って混乱に陥ったので、数分で我々は彼らをすべて殺害した。それから我々は殺害された者の頭皮を剥ぎ、我々の死者を運び出し、必要な武器をすべて確保した。その夜、我々はキャンプを東に移動させてシエラ・マドレ山脈を抜けてチワワ州に入った。そこで我々を妨害する軍隊はなく、1年後、我々はアリゾナに帰った。

ほぼ毎年、我々はオールド・メキシコで一部の時間を過ごした。その当時、アリゾナには多くの集落があって、獲物は十分ではなかった。そこで我々はオールド・メキシコに入ることを好んだ。さらに我々の友人であり親族であるネドニ・アパッチ族の土地はメキシコに遥かに広がっていた。彼らの族長であるホアは、私にとって兄弟に等しく、我々は多くの時間を彼の領域で過ごした。

1880年頃、我々はカサ・グランデの南の山中にあるキャンプにいた。その時、メキシコ軍の一隊が我々を攻撃した。24人のメキシコ兵がいて、40人のインディアンがいた。メキシコ軍はキャンプに行った我々を奇襲して発砲して最初の一斉射撃で2人のインディアンを殺害した。もし彼らがすばらしい斥候を持たず、我々の歩哨が無警戒でなければ彼らがどのようにして我々のキャンプを見つけたのか私はわからない。我々が彼らの接近に気づく前に、彼らは我々に発砲した。我々は森の中にいた。私は前進して至近距離で戦うように命じた。我々は、彼らの戦列から10ヤード[約9メートル]以内に接近するまで岩陰と木陰に隠れた。それから我々は立ち上がってすべてのメキシコ人を殺害するまで両側から発砲した。この戦いで我々は12人の戦士を失った。

この場所はインディアンによって「スコ=ラ=タ」と呼ばれている。我々は我々の死者を葬って、メキシコ人が持っていた物資を確保して北東に向かった。ナコリ付近の場所でメキシコ軍が我々を攻撃した。この場所はインディアンによって「ノコデ」と呼ばれている。ベドンコヘ・アパッチ族とネドニ・アパッチ族の80人の戦士がいた。三個中隊のメキシコ軍がいた。彼らが我々を開けた場所で攻撃したきたので、我々は分散して走りながら発砲した。彼らは我々を追撃したが我々は逃げ散り、すぐに追跡から免れた。それから我々はシエラ・マドレ山脈で再集合した。ここで会議が催された。その時、メキシコ軍が四方八方から殺到してきたので我々は解散した。

約4ヶ月後、我々は講和条約を結ぶためにカサ・グランデで再集合した。カサ・グランデの街の代表者達とカサ・グランデのすべての者達が我々と条約を結んだ。我々は握手して兄弟になることを約束した。それから我々は交易を始めた。メキシコ人は我々にメスカールを与えた。すぐにすべてのインディアンが酔っ払ってしまった。彼らが酔っぱらっている間にメキシコ軍の2個中隊が他の街からやって来て攻撃してきた。20人のインディアンが殺され、もっと多くの者達が捕捉された(軍隊はある街ではなく政府に所属するということをジェロニモに理解させることはできなかった。彼は、それぞれの街が独立していて、それぞれの街が個別の部族だと考えている。彼は街々と政府との関係を理解できなかった)。我々はあらゆる方向に逃げ散った。

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第2部 メキシコ人 第12章 ジェロニモの最も激しい戦いに続く

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