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ジェロニモ自伝―第2部 メキシコ人 第9章 さまざまな幸運

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目次

1865年秋、他の9人の戦士達とともに私は徒歩でメキシコに向かった。我々はカサ・グランデの南にあるいくつかの集落を攻撃して多くの馬とラバを集めた。我々はそうした動物を連れて北方に向かって山脈を抜けた。アリスプの近くまで来た時、我々は一夜のキャンプを張って、追跡されていないと考えて、ずっと我々が乗り続けていた馬をすべてを放した。馬は厳しい山脈に囲まれた谷間にいて、その谷間の入り口にキャンプした。そうすれば我々のキャンプを通らなければ動物は逃げることができない。我々が夕食を食べ始めた頃、我々の斥候がやって来て、我々のキャンプに向かってメキシコ軍が迫ってくると報告した。我々は馬を探しに行ったが、我々の斥候が発見できなかった兵士達が我々の頭上の断崖にいて発砲を開始した。我々はあらゆる方向に散り散りになり、兵士達は我々の戦利品すべてを取り戻した。3日後、我々は、ソノラ州北部のシエラ・マドレ山脈の指定の場所に再集合した。メキシコ軍は我々を追跡してこなかった。そして我々は他に戦いの機会もなく、戦利品を持たずにアリゾナに戻った。再び私は何も言うことがなかったが、私はさらなる襲撃を切望していた。

翌年の初夏(1866年)、私は30人の馬に乗った戦士達を伴ってメキシコの領域を侵略した。我々は南に向かってチワワ州を通ってサンタ・クルス、ソノラまで遠出して、さらにシエラ・マドレ山脈を越えて川に沿って山脈の南端まで来た。我々はシエラ・マドレ山脈からシエラ・デ・サワリパ山脈まで西進を続けて、さらにシエラ・デ・サワリパ山脈に沿って北に向かった。我々はできる限り集めた馬、ラバ、そして、牛を連れて北に向かい、ソノラ州からアリゾナに抜けた。メキシコ人は我々を何度も多くの場所で見かけたが、いずれの機会も我々を攻撃しようとしなかったし、我々を追跡しようとする軍隊も現れなかった。我々が家に到着した時、我々は全員に贈り物を渡した。部族民は饗宴とダンスを催した。この襲撃の間に我々は約50人のメキシコ人を殺害した。

3人のアパッチ族の族長、左からコチズの息子ナイチェ、ホアの息子アサ、ヴィクトリアの息子チャーリー

次の年(1867年)、マンガス=コロラドは8人の戦士達を率いてメキシコへの襲撃に出かけた。私は戦士として同行した。というのは私はいつもメキシコ人と喜んで戦ったからだ。我々は南に向かってアリゾナのトームストーン付近からメキシコのソノラ州へ入った。我々は何人かのカウボーイを攻撃した。彼らとの戦いの後、その中の2人を殺害して、我々は彼らの牛をすべて北方へ連れ帰った。2日目、我々は牛を連れていたが、斥候を出さなかった。メキシコのアリスプ付近まで来た時、メキシコ軍が我々に迫ってきた。彼らは十分に武装して良い馬に乗っていた。我々が彼らを最初に発見した時、半マイル[約0.8キロメートル]も離れていなかった。我々は牛を残してできる限り速く山脈に向かって駆けたが、彼らは急速に我々に迫った。すぐに彼らは銃火を開いたが、非常に離れていたので我々の矢は彼らに届かなかった。我々は森にたどり着いてポニーを残して木陰から戦った。メキシコ人は停止して我々のポニーを集めると、牛を追いながらアリスプに向かって平原を駆け去った。我々は、彼らが遠く離れて見えなくなるまで立ち尽くして見ているしかなかった。それから我々は家路についた。

5日後、我々は伝えるべき勝利もなく、分けるべき戦利品もなく、そして、メキシコに乗って行ったポニーもなく家に到着した。この遠征は不名誉なものだと見なされた。

この先の遠征でマンガス=コロラドに同行した戦士達はメキシコに戻りたがった。彼らは満足していなかったし、他の戦士達からの侮蔑を敏感に感じていた。マンガス=コロラドが彼らを連れ戻せなかったので私が指揮を執った。我々は徒歩でソノラ州のアリスプに直接向かった。そして、シエラ・デ・サワリパ山脈にキャンプを張った。我々は6人しかいなかったが、いくつかの集落を(夜に)襲撃して、多くの牛とラバを捕らえて、食料、鞍、そして、毛布を載せた。それから我々は夜間だけ旅をしてアリゾナに戻った。キャンプに到着した時、我々はメキシコ人による奇襲を防ぐために斥候を送り出し、部族民を集めて饗宴とダンスを催し、戦利品を分配した。マンガス=コロラドはいかなる戦利品も受け取らなかったが、我々はそれを気にしなかった。我々をアリゾナまで追跡するメキシコ軍はいなかった。

この年から約1年後(1868年)、メキシコ軍は我々の集落付近ですべての馬とラバを駆り集めた。その年、メキシコ人に対する襲撃は一度も実施されなかったので我々は攻撃を心配していなかった。我々は狩りから戻ってきたばかりだったので全員がキャンプにいた。

午後2時頃、2人のメキシコ人の斥候が我々の集落の近くで発見された。我々は斥候を殺害したが、我々が発見する前に軍隊が我々の牛とラバの群を連行して出発していた。徒歩で彼らに追いつくのは無理な話だった。部族民には一頭の馬も残されていなかった。私は20人の戦士を率いて軍隊を追った。我々は家畜がソノラ州のナコザリ付近の牧場にいるのを発見して、家畜を預かっていたカウボーイを攻撃した。我々は2人を殺害したが、損失はなかった。戦いの後、我々は我々の家畜と彼らの家畜をすべて連れ去った。

我々は9人のカウボーイに追跡された。私は家畜を先に行かせると、攻撃してくる者達を妨害するために3人の戦士と後方に踏みとどまった。ある夜、アリゾナの境界付近で我々は、我々を追跡しているカウボーイがその夜を過ごすためにキャンプを張る場所と馬を繋ぐ場所を探しているのを見た。深夜、我々は彼らのキャンプに忍び寄って、静かに彼らの馬を奪って、カウボーイを眠ったままにさせておいた。それから我々は馬を飛ばして仲間達に追いついた。仲間達は通常、昼間の代わりに夜間に旅していた。我々は彼らの馬を群に加えた後、我々を追跡する者を再び妨害するために後方に戻った。翌朝、9人のカウボーイがどうしたかはわからない。それにメキシコ人がそれについて何と言ってるかも知らない。私が知っていることは、彼らが我々を追跡してこなかったということだ。というのは我々は妨害を受けなかったからだ。我々がキャンプに到着した時、部族民は非常に喜んだ。メキシコ人を山中で眠らせたまま彼らの馬を奪ったことは巧みな策略だと見なされたからだ。

我々が再びメキシコに赴くことも、もしくはメキシコ人に平穏を乱されることもしばらくなかった。

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第2部 メキシコ人 第10章 その他の襲撃に続く

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