ビリー_ザ_キッド_真実の生涯

ビリー・ザ・キッド、真実の生涯―補遺

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キッドの人生は終わり、それで私の歴史も幕を閉じた。しかしながら、読者の中には3ページから4ページくらいまだ付き合ってくれる者がいるかもしれない。そうしたページは不必要でうわべだけのものかもしれないが、私の個人的な感謝のために挿入したいと思う。私の友人たちに読んでほしいと考えている。

出版に先立つ準備を進める中、キッドの処分について、私の性質について、歴史について、そして、彼の人生に関する私の出版についてさまざまな状況が起きて、さまざまな新聞記事が出て、多くの意見が出された。私は友人たちの忠告に反して出版を告知することにした。友人たちはもっと適切で慎重な計画を考えていたようだが、私はそれを完全に無視した。しかし、私には言いたいことがあるのでそれについて述べたいと思う。

『サン・フランシスコ・デイリー紙』の記事について私はそれ自体を読んだわけではなく他の新聞における言及を読んだだけだが、キッドの殺害について法的な処罰を私が免れたことに関する疑問や私の行動に対する非難があった。キッドを再逮捕する危険な仕事に取り掛かる前にこの問題に関して私は十分な忠告を受けたと考えていた。私はキッドを殺害しなければならない必要性について熟知していた。しかし、私は『サン・フランシスコ・デイリー紙』の編集者から相談を受けたわけでもなく、責められるべき遺漏について後から素直に謝罪するしかないと認めなければならない。私が従わなければならない要件について法律は定めている。もし記者の見解がそれとは逆であっても私はひたすら寛恕を願うしかない。

私がキッドをベッドの背後から、もしくはベッドの下やその他の隠れ場所から撃ったように出版物や挿絵などではなっている。十分な熟慮を重ねたうえで私は、言い逃れではなく私の意図にあった正直な弁明をしたいという決意を持った。 聞いてほしい。

私はベッドの後ろに隠れていたわけではない。なぜなら私はそこにたどり着けなかったからだ。私は「教会の扉のように幅広い[訳注:シェークスピア『ロミオとジュリエット』から引用]」わけではないが、薄い木片でさえ挟めないほど壁とベッドの間は狭かった。私はベッドの下にはいなかった。その事実についてはより複雑な説明が必要だ。もし私がベッドの下にいたら、キッドがやって来るのを察知できなかっただろう。彼は私を奇襲したはずであり、私には身を隠せる見込みさえなかったはずだ。もし私が彼の接近を不審に思ったり、私にあわてた様子で向かって来ていれば、もっと安全な隠れ場所を利用していただろう。例えばベッドの下、もしくはベッドのように私が隠れるのに十分な大きさがある何かに隠れていただろう。

怯えていたと言えるのか。キッドのような非常に丁寧で親しみやすい性質と気性を持つ男がもし次にあった時には「撃ち合いになる」と言っていて、リボルバーを手に持って不意に飛び出てきたのにこちらはまだ拳銃を抜いていなければどう思うか。怯えていたと言えるのか。もしそれがあなたなら怯えなかったと言えるのか。「いったい誰だ」というキッドの言葉に私は敢えて答えなかった。(キッドは私の声をよく知っていたので)私の声を聞いたらすぐに自動コック式ピストルで私の体を標的にしていつものように自在にあらゆる方向に正確に連射を放っただろう。銃弾に怯えていたと言えるのか。確かにそうだと私は言えるかもしれない。怯えてしまうかもしれないと思いながら私はこの遠征に乗り出した。私は負傷したり撃たれたり、おそらく殺される可能性があるのを心配ながら出動した。しかし、もし私が警戒を怠らなければそのような惨事は防げると思っていた。キッドは私が思うよりもうまくやっていた。

彼らは表現するように「幸運な一撃」があった。それは幸運な一撃ではなかったが、幸運な機会であったとは言える。そして、私がずっとそれについて是正しようとしなかったことを誰もが認めるかもしれない。私がしたことについて、もしくはしようとしたことについてあまりに単純に想像してしまう者がいたとしても、私の人生とキッドやその一味の人生を真正面から対比すればばかげた間違いを正そうとするだろう。ギャレットはキッドを公正に扱わず、「真正面から」戦いを挑まなかったなどと言われている。彼らが言うには(言葉通りだと私は戦っていないそうだが)、私が「真正面から」誰かと戦う時になった時はいつでも私の見るところでは世間の前で名誉ある尊敬できる市民としての評判を保たなければならないそうだ。もしくは私の相手は社会的地位において同等でなければならず、私は自分の品位を守り、自分の人生を守る権利を主張しなければならないそうだ。法によってその生命が没収され得る無法者たちと殺人者たちの基準と同じ基準でもし人々が判断するのであれば、私はその決定に異議を唱える特権を享受したい。

私は、キッドを眠ったまま見つけて武装解除して捕らえるという希望、ささやかな希望を持っていた。それに失敗したので私は彼を「罠」にかけようとしたが、彼は「リボルバーの引き金に指をかけて死ぬまで戦う」という誓いを守るだろうと確信していた。いずれにせよ私は彼を罠にかけて殺すつもりだった。 私は慎重かつ賢明に考えれば避けられるあらゆる偶発事について熟慮する時間がなかった。我々がまったく同等の条件で遭遇するという状況はまったくの偶然でであり、そうなれば私は不利な側に置かれただろう。もし我々が予期せず対面していれば、我々のどちらかが逃亡したとは考えられないし、「真っ正面からの戦い」がきっと起きただろう。不公正だったという点について私は一つだけ質問したい。もしフォート・サムナーにいるキッドの友人の一人が私をたまたま見て彼に私の存在を伝えて、運命の夜に彼がピート・マクスウェルの部屋で待ち構えていたとしても、「真正面からの戦い」もしくは「平等な立場」を私は得られたのだろうか。

この準州の北部の諸郡の丘陵部、グワダルピタス、ラス・ゴランドリナス、もしくはラ・クエヴァ、もしくはヴェルメホのどこかで発行されている二つの別々の地元紙で示された批判に関していくつか指摘したいと思う。私はそうした新聞をいちいち確認していないので、もし品位ある新聞がそうした「まやかし」を転載していなければまったく気づかなかっただろう。そうした人々はキッドの人生に関する私の出版に反対していた。彼らの忠告は遅きに逸した。もう原稿は完成したし、出版を放棄するくらいなら戦ったほうがましだ。

こうした週刊紙の一つが『ザ・オプティシャン』、もしくはそういう名前で呼ばれているものである。そういう名前は、詮索屋の仲間たちが専売特許にしている生業に関わっていることを示している[訳注:『ザ・オプティシャン』には「検眼医」という意味がある]。おそらくそれは医学博士によって編集された医療雑誌だろう。しかし、医学博士はキッドの遺体から頭蓋骨、指、もしくは他のいかなる骨も採取していないので私が怒りを向けても当然だろう。

もう一つの雑誌は、私が読んだ2つか3つの抜粋からすると、愚か者の隠れ蓑として発行された医学雑誌に間違いないと思う。私は、編集者の不在についてもっと注意を払い、患者を彼の治療から遠ざけておくように発行人に忠告したい。奇妙な言い回しで私と私の本について考察した「活字」を書いた不幸な愚か者は、いかれた野郎に違いない。

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