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ビリー・ザ・キッドの生涯―第一章 幼少期の出来事・最初の殺人

解説

2人目のダイム・ノベルである『ビリー・ザ・キッドの生涯[原題:True Life of Billy the Kid]』はドン・ジェナードによって書かれ、1881年8月29日にニュー・ヨークで刊行された。本書は作者が新聞報道を材料に想像力を膨らませて綴った作品である。

第一章 幼少期の出来事・最初の殺人

西部はいつも犯罪者に溢れている。1人の悪名高い者が地上から排除されていなくなったかと思えば、すぐに別の者がその場所に取って代わる。そこは文明からほど遠い場所であり、法の強力な腕が犠牲者にめったに差し伸べられることはない場所であり、力が正義の場所であり、我々が伝記を書こうと思い立つような人物をたくさん生み出すような場所に他ならない。

ビリー・ザ・キッドの真名はウィリアム・マッカーシーである。西暦1859年か1860年に彼はニュー・ヨーク州で生まれた(彼の生誕地をニュー・ヨーク・シティとする者もいるが、それは明らかに間違いである)。

ビリーが幼い少年だった頃、父親はニュー・メキシコ準州に移住してグラント郡シルバー・シティに家を構えた。家族には3人の子供、すなわち2人の息子と1人の娘しかいなかった。ビリーは3人の中で末っ子であった。彼には姉と兄がいて今も準州に住んでいる。兄の名前はジョン・マッカーシーである。ジョンは鉱夫であり、彼を知るすべての人々から正直で公正な男だと見なされていた。彼の姉は尊敬すべき鉱夫と結婚している。事実、ビリーは群れ全体の中で1頭しかいない黒羊のようなものだった[訳注:家族の中でビリーだけが無法者になったということ]。

父親は貧しく、家族全体は生計を支えるために「車輪に肩を当てて押していた[訳注:苦労したり努力したりすること]」。ビリーは幼く歳の割には非常に小さかったので何かするべきことを見つけるのは難しかった。彼は馬に対する情熱を持っていて、すぐに国中で最高の騎手になった。彼はすぐに牛飼い―彼らの呼び方ではカウ・ボーイ―を助けて牛の群れを追う仕事を見つけた。

ビリー・ザ・キッドという響きの良い異名を少年に与えたのはカウ・ボーイたちだった。ビリーは繊細な外見の子供であり、ほっそりした白い顔に細身の体、明るい青い瞳に綺麗な髪を持っていた。無法者になるような人間にはとうてい見えなかった。

彼の声は優しく女性的であった。彼の手は風雨にさらされていたがいつも女性の手のように柔らかかった。彼は荒々しいカウ・ボーイたちの間ですぐに人気者になった。カウ・ボーイたちとの幼少期における交流が狂った無法者の経歴をたどるきっかけとなったことは間違いない。そうした経歴は最終的に彼に破滅と死をもたらした。

荒くれ者たちはしばしば少年に酒を与えた。彼らは「キッドができあがっている」のを見るのをすばらしい気晴らしだと思っていた。少年が13歳の時、ビリーの父親は亡くなった。そして、母親はヘンリー・アントリムという男と再婚した。再婚の直後、母親はニュー・メキシコ準州ジョージタウンに移った。彼女は今もそこに住んでいる。

少年は、仕事がなくなった数週間を除いて継父と一緒に暮らそうとしなかった。

ある日、15歳になった頃、彼は自分に仕事がなくお金もないことに気づいた。シルバー・シティを「ぶらついていた」時、彼はテキサスから来たトム・オフォラー[ド]という知人と出会った。オフォラー[ド]も同じような状態だった。

キッドは「俺たちはどうすればいい」と聞いた。トムは「わからない。退屈を紛らわせたいのか」とアイルランド訛りで答えた。アイルランド訛りにもかかわらず、トムの周りにはブローグ[訳注:アイルランドやスコットランドで履いた粗革製の靴]がなかった。

キッドは「金がないな」と答えた。

トムは「俺たちは何か仕事をしないとな」と言った。

キッドは「ああ、そうだな。でも俺は手っ取り早く仕事を片付けたいな」と答えた。

「どうやって」

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