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アメリカ大統領選挙完全マニュアル。

アメリカ大統領選挙について問い合わせが多いので基本的な説明をここにまとめておきます。制度の内容だけではなく、なぜそのような制度になったかまで解説しています。監修および出演などお仕事のご依頼はnishikawa@american-presidents.infoまで。


予備選挙

予備選挙とは何か

まずアメリカ大統領選挙は予備選挙と本選に分かれる。予備選挙制度は、政党が立てる候補者を誰にするか決めるための仕組みである。現代のアメリカの政治制度では、大統領になろうとすれば予備選挙を通じて共和党か民主党、どちらかの「候補指名」を獲得する必要がある。その後、ようやく大統領選挙の本番、つまり本選挙に進むことができる。

代議員とはどのような存在か

予備選挙ではしばしば「代議員」という言葉がニュースで登場するが、いったい代議員とはどんな存在なのか。全国党大会に出席し、候補指名で票を投ずる人が代議員である。政党が立てる候補者を誰にするか決めるために予備選挙では、この代議員を選出している。

ただどのように代議員を選出するかは、民主党と共和党でも違い、さらに各州の州支部でも異なる。予備選挙を行わず党員集会(コーカス)で代議員を決定する場合もある。したがって、ここではごく民主党の一般的なケースを説明する。

民主党の代議員は大きく特別代議員と一般代議員とに分かれる。特別代議員は全体の2割である。州知事や連邦議員といった党の有力者から構成されている。自らの判断でどの候補に票を投じるのか決めることができる。これは党の有力者に配慮した仕組みと言える。

予備選挙の焦点になるのは残り8割を占める一般代議員である。一般代議員は、地方の有力者や一般党員から構成されている。一般代議員は、特別代議員と違って自らの判断ではなく一般投票の結果に従って票を投じなければならない。一般投票が行われる前に誰を支持するのか予め誓約しなければならないと規定されている。 

また一部の州や地区は党員集会という方式で代議員を選出している。これは古くからある方式で、現在の予備選挙が導入されるまで採用されていた方式である。まずは地区ごとに郡集会に出席する代表を選ぶ。さらに郡集会で州党大会に出席する代表を選ぶ。最後に州党大会で、全国党大会に出席して大統領候補指名を行う代議員を決定する。党員集会は誰が大統領候補にふさわしいか党員の討論を通じて吟味することができるが、時間がかかるうえに党の有力者の影響を受けやすいという欠点がある。

このように各州で一般代議員を1月から6月にわたって順次決定していく。だから大統領候補の公認を目指す者達は全米を飛び回って厳しい戦いを続けなければならない。一般代議員はただ形式的に票を投じるだけなので実質的には一般党員による直接選挙である。

なぜ予備選挙があるのか

なぜこのような一見して面倒に思える予備選挙があるのか。それは民意を反映させて大統領候補を確実に選ぶためである。

現在のような予備選挙がまだ導入されていなかった頃、全国党大会で大統領候補がなかなか決まらずに紛糾することがしばしばあった。もともと立候補するつもりのない人が担ぎ出されたり、投票を100回以上も繰り返しても決まらなかったりすることもあった。また政治ボスたちの暗躍で指導力が欠如した候補が選ばれる弊害も問題になっていた。

予備選挙にはおよそ100年の歴史があるが、それが、党の有力者の独占的支配を脱して、ようやく民意を反映したものになったのは1970年代以降である。民意の反映とは、候補選出に有力者だけではなく、より多くの党員の意見を反映させるということである。しかし、全国党大会に数千万人の一般党員をすべて集めて誰を候補に選出するか相談するわけにはいかない。そのため党員を代表して全国党大会に出席し、票を投ずる人を決めることにした。

参考:予備選挙の歴史

予備選挙制度は、1903年にウィスコンシン州で初めて制度化された。その後、徐々に予備選挙制度を採用する州が増え、1955年にはすべての州がこの制度を取り入れるまでになった。

大統領選で予備選挙が初めて注目を浴びたのは1912年の大統領選である。1912年の大統領選で、共和党は誰を大統領候補に指名するか紛糾した。なにしろ現職のウィリアム・タフト大統領に対抗して元大統領セオドア・ルーズベルトが立候補したからである。4年前の大統領選では、ルーズベルト自らタフトを後継者指名し全面的に支援したのにもかかわらずである。しかし、セオドア・ルーズベルトはタフトと政策面で意見を異にするようになり、自ら立候補することにした。

セオドア・ルーズベルトは各州で予備選挙を実施することで民衆の支持を集め、党大会で指名を獲得しようとした。10州で行われた予備選のうち9州をセオドア・ルーズベルトが制した。しかし、全国党大会では、タフトが党指導者層の支持を固めていたのでセオドア・ルーズベルトは指名を獲得することができなかった。

結局、セオドア・ルーズベルトは第三政党から大統領選に出馬した。その結果、共和党支持者の票はルーズベルトとタフトの両氏で二分されることになり、民主党大統領候補のウッドロウ・ウィルソンが漁夫の利を得て勝利を収めた。もしルーズベルトが共和党の指名を獲得できていたら、ウィルソンの勝利は危うくなっていただろう。

参考:近年の予備選挙の動向

2008年の民主党予備選挙は最後の最後まで稀にみる激戦であった。2004年の予備選挙と比べるとその違いがよく分かる。前回は、最後はジョン・ケリー上院議員とジョン・エドワーズ上院議員の一騎打ちになった。しかし、一騎打ちは長く続かず、3月初めにケリーの候補指名が確定した。

指名確定後は、当時、圧倒的な支持率を誇っていた現職のジョージ・W・ブッシュ大統領にいかに対抗するかが焦点になった。一時期は、共和党のジョン・マケイン上院議員を副大統領候補にするという奇策も飛び出したが、結局、予備選挙で第2位となったエドワーズが副大統領候補となった。本選でケリーは現職のジョージ・W・ブッシュに敗れた。

2004年11月にケリー敗北後に行われた世論調査では、2008年の民主党大統領候補としてヒラリー・クリントン上院議員が最も可能性が高いという結果が出た。ヒラリー・クリントンは1993年にファースト・レディになって以来、長らく行動するファースト・レディとして全米の注目を浴びていたので特に驚くべきことではない。

対するバラク・オバマ上院議員は、2004年7月の党大会で一躍全米の注目を浴びるまでは無名の存在であった。2004年に民主党が大統領選でも議会選挙でも敗北を喫する中、オバマ上院議員は有望議員として初当選した。その当時から既に「将来の黒人初の大統領」という呼び声があった。ただ多くの人は、その「将来」というのはまだ遠い先だと感じていたが、時代の流れは多くの人々が思うよりも急激であった。

2016年の予備選挙は近年稀に見る波乱ばかりであった。まず共和党は泡沫候補ですぐに消えると思われていたドナルド・トランプが共和党大統領候補の座を確保した。その一方で早くから候補指名獲得が有望視されていたヒラリー・クリントンはバーニー・サンダース上院議員に苦戦して本選に不安を残した。予備選挙で苦戦した大統領候補は本選で敗北する確率が高くなる傾向がある。

本選挙

予備選挙から本選へ

予備選挙に勝ち残った大統領候補はいよいよ大統領選挙本選挙に駒を進める。少数政党の候補も大統領選挙本選挙に参加しているが、実質的には民主党候補と共和党候補の一騎打ちである。

本選挙は11月の第一月曜日の次の火曜日に実施されると決まっている。大統領選挙予備選挙と同じく大統領選挙本選挙も我々日本人にとっては馴染みのない制度だと思うのでここで紹介しておく。

アメリカ国民は直接大統領を選んでいない

実はアメリカ国民は大統領を直接選んでいるのではなく、選挙人を選ぶことで間接的に大統領を選んでいる。選挙人を選ぶといっても選挙人とは具体的にどのような人なのか。
選挙人の定員は州ごとに決まっている。その州の上院議員の数と下院議員の数の合計が選挙人の定員になる。例えば最も定員が多いカリフォルニア州では、下院議員が53名、上院議員が2名で選挙人の定員は合計55名である。

各政党は予め各州の定員に応じて選挙人の名簿を作成する。名簿に掲載される選挙人を一括して選挙人団と呼ぶ。有権者がオバマに投票しようとすれば、オバマを大統領候補に指名している選挙人団、つまり民主党の選挙人団に投票すればよい。

一般投票の結果、最も多くの票を得た候補がその州のすべての選挙人を独占する。実際の投票では選挙人の名前すら記載されず、大統領候補者の名前を直接マークするという州がほとんどである。

選挙人の総数は、アメリカ全土で538名である。538名の内訳は、上院議員総数に対応する435名と下院議員数総数に対応する100名、そしてどこの州にも属さない首都ワシントンの3名である。首都ワシントンは下院で代表権を持たないが、憲法修正によって人口に応じて割り当てを得られるようになった。そのうちの過半数、つまり270人以上の選挙人を獲得すれば晴れて大統領に選出される。

一般投票で票数が少ない候補が勝つこともある

大統領選挙本選挙で勝つためには大票田で勝利することが不可欠である。勝者独占方式ですから一票でも多ければ大票田の選挙人をごっそり獲得することができる。そうなると困ったことがある。例えば選挙人の数が多い州で僅差でもよいので勝利してしまえば、残りの州で惨敗しても最終的には勝利できることになる。つまり、たとえ一般投票の票数で負けたとしても選挙人の数で上回ればよいということになる。そういう逆転は過去に何度も起きている。

つい最近の2000年の大統領選挙でも一般投票の票数と選挙人の数の逆転が起きている。一般投票で、ジョージ・W・ブッシュは約5046万票獲得したが、アル・ゴアは約5100万票獲得している。しかし、選挙人獲得数ではブッシュが逆転し、271人の選挙人を獲得、ゴアに5票差で勝利した。

ブッシュの勝因は、フロリダ州を制したことである。票差は327票だったと言われている。フロリダ州の選挙人は全部で25人である。フロリダ州のおかげでブッシュは逆転できた。もしフロリダ州で負けていたらブッシュは間違いなく負けていた。このフロリダ州の一般投票の集計に関しては一時期論争となった。

一般投票から選挙人投票へ

一般投票が終わった後、大統領選挙人は、12月の第2水曜日の後の最初の月曜日に各州都で投票する。投票の結果は密封して連邦上院議長に送付される。そして、翌年の1月6日に連邦議会で開票される。

現在の制度では、実質的に選挙人投票は形式的なものであり、一般投票で選挙人が選ばれた時点で既にどの大統領候補が当選するかが判明する。ただ正式には選挙人投票を上院が集計して初めて大統領当選が確定する。

参考:選挙人制度とはどのような仕組みなのか

選挙人制度の概要

アメリカ人が大統領候補と副大統領候補に投票する時、実際には選挙人を選んでいる。選挙人はまとめて選挙人団と呼ばれる。大統領を選ぶのは一般投票で選ばれた選挙人である。憲法の規定によって各州はそれぞれ連邦上院議員と下院議員を合計した数の選挙人を割り当てられる。2016年の大統領選挙では各州の選挙人とコロンビア特別行政区の選挙人を合わせて538人であった。

大統領選挙で政党は選挙人の候補者名簿を作成する。多くの州では有権者は、党の大統領候補と副大統領候補に投票することを誓った選挙人の候補者名簿に1票を投じる。最も多くの一般投票を得た選挙人の候補者名簿が選出される。これは勝者総取り制度と呼ばれる。メイン州とネブラスカ州以外のすべての州が勝者総取り方式を採用している。

メイン州とネブラスカ州は、2人の選挙人を州全体で選び、残りの選挙人を下院議員選挙区ごとに選ぶ制度を採用している。選挙人は各州で12月の第2水曜日の後の月曜日に集う。選挙人は予め誓った通りに大統領候補と副大統領候補に投票することが期待される。大統領候補と副大統領候補にそれぞれ1票が投じられ、選挙人団は役目を終えて解散する。

具体的な選挙人の選出方法、認証、人名表の作成に関する手続きは各州の法律によって定められている。選挙人は1845年に定められた連邦法に従って11月の第一月曜日の次の火曜日に選出される。

全国の選挙人は1つの団体として決して集わない。それは選挙人が結託して不正な投票を行わないようにするためである。その代わりに選挙人は12月の第2水曜日の後の月曜日にそれぞれの州で会合して投票する。その後、投票結果はワシントンに送付され、副大統領を議長とする両院合同会議で数えられる。したがって、現職副大統領が大統領選挙に出馬して敗北した場合、自ら敗北を宣告するという皮肉な現象が起きる。最近では、1961年にリチャード・ニクソンが、1969年にヒューバート・ハンフリーが、そして2001年にゴアが自らの敗北を両院合同会議で宣告した。もちろん逆の場合もある。1989年にジョージ・H・W・ブッシュは両院合同会議で自らの当選を宣告した。

憲法によれば選挙人を選ぶ方式は各州に委ねられている。そのため州によって選挙人を選ぶ方式は異なっている。36州では、各政党の州党大会で選挙人が指名される。10州では、各州の党の中央委員会の投票によって選挙人が指名される。連邦議会議員と連邦政府の職員は、行政府と立法府の均衡を保つために選挙人になることはできない。それ以外であれば誰でも選挙人になることができる。政党に貢献した人が選挙人に選ばれることが多く、州の公職者、党の指導者、大統領候補と政治的、個人的繋がりを持つ人などが選ばれる。元大統領が選挙人になった例もある。

選挙人制度が採用された理由

なぜこのような選挙人団という方式が採用されたのか。憲法制定会議の代表達の中で、連邦議会が大統領を選出するべきだという意見と人民の直接選挙によって大統領を選出するべきだという意見があった。議会による大統領選出は大統領を議会に従属させる結果をもたらし三権分立の原理を脅かしかねない。また人民による直接選挙には、人民に大統領を選ぶ見識があるのかという問題、または人民を扇動する者が大統領になる危険性などが考えられた。そこで州の定める方法によって選ばれた選挙人によって大統領を選出する方式が妥協案として提案された。それは州政府と連邦政府が権限を分有するという連邦主義にも沿っていた。また連邦制度の中で全国を単一の選挙区とする選挙は想定できない。なぜならそれは連邦に加盟する各州を権威を無視することになるからである。

今日、すべての選挙人は一般投票で選ばれているが、建国初期は半分以上の州が選挙人を州議会で選び、有権者の直接関与を排除していた。それは見識が不足している人民に大統領を選ばせるべきではないという憲法制定者の理念を反映している。

1800年以後、多くの白人男性に投票権が拡大されるにしたがってこうした慣行は変化し始めた。1836年までにサウス・カロライナ州を除くすべての州が選挙人を一般投票で選ぶようになった。1876年に州議会による選挙人選出を一時復活させたコロラド州の例を除いて、サウス・カロライナ州が州議会が選挙人を選ぶ方式から一般投票に切り替えた1868年以来、すべての州は州法によって選挙人を一般投票で選ぶ方式を採用している。

人口に比例していない選挙人制度

各州に割り当てられる選挙人の数は連邦上院議員と下院議員の合計に等しい。上院議員の定数は各州2人で変化しないが、下院議員の定数は人口によって変化する。人口は10年ごとに行われる国勢調査を基準に算定される。下院議員の定数は最も少ない州では1人となる。したがって、最も少ない州の選挙人の数は上院議員の定数と下院議員の定数を合計して3人になる。その一方で最多のカリフォルニア州は、上院議員の定数2人と下院議員の定数53人を合計して55人になる。上院議員の数は人口に比例せず各州に2人なので、選挙人の数は当然ながら人口に比例しない。

コロンビア特別行政区は首都ワシントンのことだが、連邦制度の下ではどこの州にも属さず独立した区域である。それは特定の州が連邦政府に不当な影響を与えないようにするために考えられた措置である。

憲法修正第23条によってコロンビア特別行政区はもし州であれば持つことができる上院議員と下院議員の数を合計した選挙人を割り当てられることが定められた。しかし、その数は最も人口の少ない州に割り当てられる選挙人の数を超えてはならない。したがってワイオミング州が最も人口が少なく3人の選挙人が割り当てられているので、コロンビア特別行政区は3人の選挙人を割り当てられている。ワイオミング州の人口は58万人、コロンビア特別行政区の人口は65万人なので公正な措置と言える。

選挙人制度の欠陥

憲法制定者は、理論上、選挙人の方式はうまくいくはずだと考えていた。しかし、実際には欠陥を抱えていた。それは政党の存在を考慮に入れていなかったからである。なぜなら憲法制定者は、政党は君主制の悪弊だと見なしていたからである。つまり、憲法制定当時のアメリカ人が思い描く政治的先例はイギリスの例であった。イギリスでは、国王の御用党であるトーリー党と議会主義のホイッグ党が対立していた。したがって、国王がいないアメリカでは政党も生まれないとアメリカ人は考えていた。そのため憲法を見ると、政党について触れた条項は存在しない。

政党の存在を考慮していない従来の制度では、選挙人は2票をそれぞれ異なる州の大統領候補に投じる仕組みであった。過半数の選挙人を獲得し最多数の票数を得た者が大統領に選出され、次点の者が副大統領に選出される。1789年と1792年の大統領選挙はうまくいった。政党が未発達であったからだ。

しかし、連邦党と民主共和党の対立が激しくなった1796年の大統領選挙では連邦党のジョン・アダムズが大統領に、民主共和党のトマス・ジェファソンが副大統領に選ばれるという事態が生じた。また1800年の大統領選挙ではジェファソンとバーが同じ票数で均衡するという事態が生じた。これは大統領候補と副大統領候補のどちらに投票したのか判別することができなかったという選挙制度上の欠陥である。

下院を支配していた連邦党は、35回もジェファソンが当選に必要となる州の過半数の票を獲得するのを妨げた。36回目の投票で下院はジェファソンを大統領に、バーを副大統領に選出することをようやく決定した。1804年の大統領選挙で連邦党が陰謀を企むのではないかと不安に思う者がいた。たとえ民主共和党の候補が勝利したとしても、連邦党を支持する選挙人が1票を民主共和党の副大統領候補に投じれば、本来、副大統領候補であった者が大統領に選ばれる恐れがあった。

もともとの憲法の条項は政党の出現と連邦党の陰謀に対応できないと認識した民主共和党は、1803年12月、憲法修正第12条を提案した。強固な連邦派の州を除いて修正の批准は迅速に進み、1804年6月に修正は成立した。

修正第12条により、選挙人が大統領候補に2票を投じ、最も多数の票数を得た者が大統領に選ばれ、次点の者が副大統領に選ばれる方式から、選挙人が大統領候補と副大統領候補に別々に票を投じ、それぞれ最も多数の票数を得た者が大統領と副大統領に選ばれる方式に変更された。また修正第12条により、過半数の選挙人を得た大統領候補がいない場合、従来は上位5人の候補の中から下院が大統領を選ぶようになっていたが、上位3人の候補の中から下院が大統領を選ぶように変更された。選挙人が副大統領を選ぶことができない場合に副大統領を選ぶ権限を上院に与える条項は従来のままである。過半数の選挙人を得た副大統領候補がいない場合、上位2人の候補の名から、上院が過半数で副大統領を選ぶ。また副大統領に就く資格として大統領と同じ資格が課された。さらに、3月4日までに大統領が選出されない場合、副大統領が大統領の職務を行うと規定された。

選挙人に大統領候補と副大統領候補にそれぞれ票を投じることを求める修正第12条は、修正に至った問題を解決した。1800年以来、どちらが大統領と副大統領に立候補したのかをめぐって混乱は起きていない。対立する政党の指導者が副大統領に選ばれる可能性がなくなったことで大統領の単一の行政府の長としての性格が強められた。

ただ修正12条は副産物ももたらしている。憲法上、もともと無力であった副大統領職は、憲法修正第12条によって2番目の大統領候補という地位も失った。憲法修正第12条が成立する前から、副大統領候補の指名は、大統領候補と地域的、もしくは党派的な均衡をとるために使われた。副大統領職は権限だけではなく権威も奪われたので、野心のある有能な政治家は副大統領候補の指名を避けるようになった。副大統領職は長い間、活動停止に追い込まれ、しばしば凡庸な政治家によって占められた。議会における議論の中で少なくとも一部の議員は憲法修正第12条が副大統領制度に影響を与えることを鑑みて、副大統領制度の廃止に動いた。しかし、結局、副大統領制度の廃止には至らなかった。

憲法修正第12条は、選挙人の過半数を獲得できる候補がいない場合、上位5人から下院が大統領を選出する従来の規定から、上位3人から大統領を選出するように改めている。5人から3人に数を減らしたのは二大政党制度の出現による。二大政党制度の下では、5人の候補者が選挙人を獲得する可能性は低いと考えられる。事実、1824年の大統領選挙でどの候補も過半数の選挙人を獲得できなかった時、選挙人を獲得できた候補は4人のみであった。下院が3人の中から当選者を選ぶという規定により、下院は大統領の就任に間に合うように当選者を決定することができた。1825年に当選者を決定する前に、下院は憲法修正第12条における手続き上の不明確な点を明らかにした。議会が定めた重要な規則の1つは、州による投票で当選者を決定する際に、出席している州の過半数ではなく、州の総数の過半数を必要とするという規則である。もう1つの規則は、下院は、他の業務に妨害されることなく当選者を決める投票を継続するという規則である。最後の規則は、下院議員は各州のためにそれぞれ設けられた投票箱に秘密投票で票を投じることができるという規則である。こうした規則は法制化されていないため、容易に変更される可能性がある。

憲法修正第12条は重要な問題について未解決のままである。「もし下院が右のような選任を行う権利の発生を見た場合に、次の3月4日まで大統領を選任しない時は、副大統領が、大統領の死亡あるいはその他の憲法上の不能力を生じた場合と同じく大統領の職を行う」と憲法修正第12条は規定している。この規定は「大統領の任期の開始期と定められた時までに大統領が選定されていない場合、または大統領の当選者がその資格を備えるにいたらない場合には、副大統領の当選者は、大統領がその資格を備えるにいたるまで大統領の職を行う」と規定する憲法修正第20条に取って代わられている。また下院は当選者が決定するか、もしくは大統領の任期が切れるまで投票を続けなければならない。下院が当選者を決定できなかった場合、副大統領が大統領となる。大統領となった副大統領は憲法修正第25条に基づいて新しい副大統領を指名しなければならない。この指名は議会の承認を必要とする。

憲法修正第12条が成立して以来、どの副大統領候補も過半数の選挙人を獲得できなかった事例は1例のみである。1836年の大統領選挙で民主党の大統領候補のヴァン・ビューレンは過半数の選挙人を獲得できた一方で、副大統領候補のリチャード・ジョンソンは副大統領候補に当選するのに1票足りなかった。ジョンソンは父親から相続した奴隷を内縁の妻とし、その妻が死亡した後も黒人女性と混血の女性の恋人を持っていた。そのためヴァージニア州の23人の民主党の選挙人はジョンソンを支持することを拒んだ。上院は上位2人、つまりジョンソンとホイッグ党の副大統領候補のフランシス・グレンジャーの中から当選者を選ぶことになった。その結果、33票対16票でジョンソンが副大統領に選ばれた。しかし、もしホイッグ党が上院を支配していれば結果はどうなったかという疑念が残る。さらに憲法修正第12条は、「上院議員の総数の3分の2をもって定足数」とすると規定しているが、もしある党の上院議員達が副大統領の選出を妨害しようと欠席すればどうなったかという疑念も残る。

こうした疑念はあるが、憲法修正第12条の下、上院は、下院が大統領を選出するよりも容易に副大統領を選出することができるようになった。上院は上位2人の候補者から当選者を選ぶだけでよく、当選に要するのは州の多数ではなく、上院議員の総数の過半数である。

選挙人制度の最大の欠陥は一般投票と選挙人結果が食い違う場合が生じる点である。過去に以下のような実例がある。

1876年の大統領選挙

1876年の大統領選挙が終わった時、民主党のティルデンは一般投票で勝利し、184人の選挙人を獲得した一方で、共和党のラザフォード・ヘイズは166票の選挙人しか獲得できなかった。ティルデンが当選するには1票足りなかった。

しかし、南部の3つの州の19人の選挙人が不確定であった。ルイジアナ州、サウス・カロライナ州、そしてフロリダ州の3つの州では白人と選挙権を得たばかりの黒人の間で激しく票が分裂していた。さらにオレゴン州の1人の選挙人も問題であった。

フロリダ州、ルイジアナ州、オレゴン州、そしてサウス・カロライナ州の4州はそれぞれティルデンとヘイズの2組の当選証明書をワシントンに送った。つまり、どちらの証明書が有効であるか判定を連邦議会に委ねたことになる。

これを受けて15人からなる選挙委員会が設立され、どちらの当選証明書を認めるか議論された。15人は、3人の共和党の上院議員、2人の民主党の上院議員、2人の共和党の下院議員、3人の民主党の下院議員、2人の共和党の最高裁判事、2人の民主党の最高裁判事、そして、1人の無所属の最高裁判事から構成された。しかし、1人の無所属の最高裁判事が指名を断ったので他の共和党員に取って代わられた。その結果、委員会は、8票対7票で3つの州の選挙人をヘイズに与えることを決定した。さらに委員会はオレゴンの問題となっている1人の選挙人もヘイズに与えた。その結果、1876年3月2日にようやくヘイズの当選が確定した。歴史家は、問題となった州の2つは本当はティルデンが獲得していたと見なしている。

歴史家によって見解は異なるが、ヘイズが選挙で不利であったのにもかかわらず、当選できたのは1877年の妥協の結果であるとされる。すなわち、民主党は、共和党のヘイズを大統領に当選させる。それと引き換えにヘイズは南部から連邦軍を撤退させる。さらにヘイズの閣僚の一人に南部の民主党員が任命された。

1876年の大統領選挙の結果を鑑みて議会は将来、同様の事態が起きないために選挙過程を改革する法を制定した。1887年選挙人集計法で議会は各州に当選証明書の有効性を定める最終的な権限を与えた。同法は、いかなる選挙人の票を否定するのにも連邦議会両院の多数を必要とすると規定している。つまり、実質的に選挙人の選出は州の専管事項であり、連邦政府の容喙は認められない。

1888年の大統領選挙

1888年の大統領選挙で、民主党の現職大統領であるグローバー・クリーブランドは共和党のベンジャミン・ハリソンに一般投票で勝利したのにも拘わらず、選挙人で敗北した。そのことによって、一般投票の結果と選挙人の結果が明確に食い違う代表的な事例となった。クリーブランドが一般投票で勝利を収めたのは、18州、特に民主党の地盤である南部で圧倒的な支持を集めることができたからである。それに対してハリソンは、選挙人が多い州、例えばニュー・ヨーク州などで少数の差でクリーブランドに勝利した。歴史家はペンシルヴェニア州での勝利は共和党の政治的ボスのマシュー・クエイ上院議員が票を買収したことが主要な原因だと指摘する。

2000年の大統領選挙

2000年の大統領選挙で、ゴアはジョージ・W・ブッシュに約54万票差(0.5パーセント)で一般投票で勝利したのにもかかわらず選挙人で敗北した。2000年の大統領選挙で鍵となったのがフロリダ州である。フロリダ州の25人の選挙人が選挙の結果を左右した。投票に関する不正疑惑からゴアは再集計を要求した。集計機械の不備、投票の誤り、投票所の問題など様々な問題が浮かび上がった。フロリダの4つの郡でフロリダ州の裁判所の命令によって再集計が始まったが、2000年12月、連邦最高裁は、フロリダの再集計の過程は統一の基準を欠いているので憲法修正第14条に定められている権利の平等な保護に反しているので違憲であると裁定した。その結果、再集計は差し止められ、ブッシュは537票差でゴアに勝利した。フロリダ州で勝利を収めることによりブッシュは最終的な勝利も収めることができた。もし第三政党の緑の党がゴアの票を奪っていなかったらゴアが勝利していただろう。

2016年の大統領選挙

2016年11月28日現在の記録によれば、2016年の大統領選挙の一般投票においてヒラリーは6465万4483票(48.2パーセント)を獲得している。その一方でドナルド・トランプは6241万8820票(46.5パーセント)しか獲得していない。その差は実に約214万票(1.7パーセント)と大きい。こうした格差は二十世紀以降最大である。それにもかかわらずトランプは302人の選挙人を獲得して勝利した。その一方でヒラリーが獲得した選挙人は232人である。2016年の選挙は選挙人制度の欠陥を浮き彫りにする形になった。

一般投票の結果と選挙人投票の結果が食い違わなくても正しく比例していない場合も多々ある。一般投票と選挙人投票の不均衡は明らかである。

1912年の大統領選挙でウッドロウ・ウィルソンは41.8パーセントしか一般投票を獲得できなかったのにも拘わらず、81.9パーセントの選挙人を獲得した。一方、同じくウィルソンは1916年の大統領選挙で1912年の大統領選挙を上回る49.2パーセントもの一般投票を獲得したのにも拘わらず、52.2パーセントの選挙人しか獲得できなかった。それは僅か3,420票差でカリフォルニア州を制したことによりウィルソンの勝利が確定したからである。もしカリフォルニア州で敗北していればウィルソンは選挙人投票で逆転されていただろう。

他にもロナルド・レーガンは1980年の大統領選挙で50.8パーセントの一般投票しか獲得でいなかったのに拘わらず、実に90.9パーセントの選挙人を獲得した。

選挙人制度を廃止すべきか否か

選挙人制度を批判する者は、概して一般投票の擁護者であり、選挙人制度は、1824年の大統領選挙のように、一般投票も選挙人も最多を獲得していない候補が当選する可能性もあると指摘する。

1824年の大統領選挙では、誰もが選挙人の過半数を獲得できなかったために下院による決選投票が行われ、ジョン・クインジー・アダムズが対立候補のアンドリュー・ジャクソンを下した。アダムズは一般投票でも選挙人の票数でもジャクソンに負けていた。下院に強い影響力を持つヘンリー・クレイのおかげでアダムズは当選できた。

敗北したジャクソンは選挙人方式の廃止を提案している。ジャクソンは4年後の1828年の大統領選挙で勝利して大統領に就任した後、次のように提案している。

すべての政治問題におけるように、この問題についてもその対策の要点は世論の自由な活動に対して存在する障害をできるだけ少なくするということである。然らば、行政府最高長官の官職が構成に表現された多数人民の意思のみに従って特定市民に付与されるように我々の政治体制に修正を加えるように努力しよう。したがって私は大統領及び副大統領の選挙における中間介在的な諸機構を一切撤去するように我が憲法を修正することを勧告したい。そのやり方によっては、各州に対してそれが大統領と副大統領の選挙において現在有する相対的な比重を崩さないようにすることができるだろう。そして、第1回の選挙で所期の目的が達せられない場合には、第2回の選挙では、最高得票者2人の中から決選投票によって決するように仕組んでおけば十分であろう。かかる修正案に関連してであるが、行政府の最高長官の任期を4年または6年に制限することがよいと考えられる。

さらに選挙人制度の批判者は、これまで選挙結果を左右した例はないものの、不誠実な選挙人の危険性も指摘する。実際、2016年の大統領選挙では、ヒラリーの支持者が選挙人の意向を左右しようと署名活動を行って400万人以上の賛同を得ている。

他にも批判者が指摘している点がある。各州は投票率にかかわらず、同じ数の選挙人を割り当てられているので、各州が有権者に投票を呼びかける動機が薄くなる。

選挙人の結果は、正確に全国の人民の意思を示していない。これはほとんどの州が採用している勝者総取り方式から生じる。第三政党の候補者が25パーセントの一般投票を得ても、1人の選挙人も獲得できずに終わる可能性もある。アメリカ法曹協会は、選挙人団を時代遅れで曖昧な形式だと批判している。

その一方で選挙人制度の擁護者も存在する。憲法の規定に従って、200年以上にわたって選挙人が大統領を選出してきた。その選挙制度の持続性に加えて、擁護者は、選挙人制度が合衆国の統合に貢献していると論じる。大統領に選ばれるには各州にわたる広い人民の支持が必要だからである。21世紀において1つの地域で選挙人の過半数を占める地域はない。それ故、大統領候補が各州の連携を図る動機となる。

また選挙人制度は、健全な二大政党制度を促進することで民主主義に貢献している。第三政党が大統領選挙で勝利を収めるために十分な数の州で必要な一般投票を獲得することは難しい。さらに大統領が第三政党と取引せずに済み、第三政党は結果的に共和党か民主党に収束する。その結果、多様な見解を持つ第三政党が乱立するよりも、二大政党は世論の中央に落ち着くようになる。

さらに選挙人制度は連邦主義に基づく制度である。選挙人を選出する権限は重要な州の権限であり、奪うべきではない。そもそもアメリカの政治制度は、連邦政府と州政府がそれぞれ人民を統治する二元制度である。人民の権利を守るために、もし連邦政府が人民を迫害すれば州政府が人民を擁護し、逆に州政府が人民を迫害すれば連邦政府が人民を擁護する。そのような相互監視を機能させるためには連邦と州でバランスを保たなければならない。そのため憲法では、憲法で列挙されていない権限は州と人民に留保されている。選挙人制度を廃止すれば、州の権限を奪うことになりかねず、ひいては連邦政府と州政府のバランスが崩れた結果、人民の基本的権利が侵害されかねない。そのような考えから選挙人制度は一見すると時代錯誤の制度のように思えても残存させるべきである。

選挙人制度に関する修正議論

最近では選挙人方式をめぐって6つの修正案が広く議論された。どの修正案も一長一短であり選挙人制度を根本的に改正するに至っていない。

自動投票方式

ジョン・ケネディやリンドン・ジョンソンなど大統領を含む提唱者は、各州の選挙人が、その州で最多数の一般投票を得た候補に自動的に投票する案を提案している。こうした案は、不誠実な選挙人の問題を解決し、第三政党が得た選挙人を主要な政党の候補と取引する材料に使う可能性を排除する。確かに選挙人制度を無傷で残せるが、選挙人の理念を実質的に無視することになる。

選挙人制度修正案:ロッジ=ゴセット方式

1950年代に人気を集めたのがヘンリー・ロッジ上院議員とエド・ゴセット下院議員によって提案された案である。彼らの案は、大部分の州で採用されている勝者総取り方式を廃止し、州の一般投票の得票率に応じてその州の選挙人を候補に割り振るという案である。もしこの案が実現すれば、各大統領候補は、対抗者に一般投票で大きく差を空けられると予測される州であっても諦めずに選挙運動を活発に展開するようになるという利点が考えられる。また第三政党の候補が立候補する動機を持ちやすくなるが、どの候補も過半数を獲得できず、憲法の規定に従って大統領の選出は下院に、副大統領の選出は上院に委ねられる可能性が高くなる。そうなると結果的に大統領の選出に関して国民ではなく連邦議会が大きく力を持つことになる。それは大統領が議会に依存することにつながる。

選挙人制度修正案:メイン州=ネブラスカ州方式

メイン州やネブラスカ州で行われているような方式をすべての州で採用するという案もある。州の一般投票で最多数を獲得した候補が2人の選挙人を獲得し、残りの選挙人は下院選挙区ごとに1人ずつ割り振られ、それぞれの選挙区で最多数を獲得した候補がその選挙区に割り振られた選挙人を獲得する。これはロッジ=ゴセット方式と同じ欠陥を持っている。

選挙人制度修正案:選挙人ボーナス方式

全国の一般投票で最多数を獲得した候補に102人の選挙人をボーナスとして与える案もある。ボーナスの選挙人の数が102人である理由は、50州とコロンビア特別行政区にそれぞれ2人ずつ選挙人を割り振ったと想定したからである。この案は実質的に議会が大統領の選出に関与する可能性を排除している。ただこの案にも問題がある。1960年の大統領選挙のように全国の一般投票の得票率が僅かに0.2パーセントしか違わない場合、ボーナスをどの候補に与えるか決定するのに長い時間がかかり、したがって早期に当選者を決定することが難しくなることにある。もしこの修正案が事前に可決されていれば2016年の大統領選挙でヒラリーはトランプに勝利していただろう。

選挙人制度修正案:直接選挙方式

大統領選挙を修正する提案の中で最も人気がある案は選挙人を完全に廃止して、人民の直接投票で大統領を選出する案である。そのような案は多く提案されているが、その大半が大統領の選出に少なくとも40パーセントの得票率を必要とする点で共通している。もしどの候補も40パーセントを獲得できない場合は、上位2人によって決選投票が行われる。リチャード・ニクソン、ジェラルド・フォード、そして、ジミー・カーターもそうした案を支持していた。

1969年、下院は338票対70票で直接選挙を認める修正を憲法に加えることを可決した。しかし、1979年、上院で同様の表決が行われたが、賛成は51票にとどまり、修正を発議するのに必要な3分の2の賛成が得られなかった。今後も憲法修正の発議が可決される可能性は低い。ただ多くの国民は世論調査において直接選挙に対して肯定的である。

直接選挙による大統領選挙の利点は、大統領選挙をその他のアメリカの選挙と同じ形式にすることができる点、その過程を国民により分かりやすくすることができる点、どの候補も過半数の選挙人を獲得できない場合に議会が大統領を選出する可能性を排除できる点、そして、1824年、1876年、1888年、2000年、2016年の5回の大統領選挙で起きたように全国の一般投票で劣る大統領が選ばれる可能性を排除できる点にある。

ゴアが一般投票でジョージ・W・ブッシュに優りながらも、選挙人の獲得数で選挙に破れた2000年の大統領選挙の直後、改革を求める新しい声があがった。例えばヒラリー・クリントン上院議員は、直接選挙を支持して選挙人を廃する案を提案した。しかし、憲法の修正を求める声は、フロリダ州の選挙人をブッシュとゴアのどちらが獲得するか議論する声に打ち消された。

政治的に、大統領を直接選挙で選ぶ案は、大きな州と比べて選挙人方式で利点を持つ小さな州の連合によって阻まれた。選挙人は州の連邦上院議員の数と連邦下院議員の数に応じて割り当てられる。連邦下院議員の数は人口比に応じて決定されるが、連邦上院議員の数は人口比ではなくどの州でも2人と決められているので小さな州にとって有利である。

また直接選挙による大統領選挙に反対する者は、そうした方式は憲法上で認められた連邦主義を侵害し、第三政党の形成を助長し、その結果、どの候補も40パーセントの得票率を得ることが難しくなり、決選投票において第三政党が主要な政党と取引しようとするようになると主張する。

選挙人制度修正案:全国一般投票法

現在、有志によって各州で全国一般投票法を成立させる運動が進んでいる。全国一般投票法は、全国の一般投票で最多数を得た候補に州がすべての選挙人を獲得させるという法である。同法は、選挙人方式を変えることなく、各州議会が選挙人を選ぶ方式を任されている憲法上の規定を利用して、実質的に直接選挙を実現しようとする試みである。2016年12月6日現在、10州とコロンビア特別行政区が全国一般投票法を制定している。その選挙人の合計は165人である。現在、ミシガン州とペンシルヴェニア州で検討中であり、両州を加えると201人となる。今後、賛同する州が増え、過半数の270人を超えれば、全国一般投票法は実効的になる。

参考:不誠実な選挙人

不誠実な選挙人の概要

一般投票の結果に従わずに独自の判断で勝手に投票する選挙人を不誠実な選挙人と言う。憲法の理念からすれば、選挙人は自身の良心に従って大統領を選ぶことが期待される。なぜなら憲法制定者が選挙人制度を設けたのは、デモクラシー(当時は「衆愚政治」の意)の行き過ぎを警戒したからである。

選挙人制度の変遷と不誠実な選挙人

選挙人がどのように投票するかは時代によって異なっている。1789年と1792年の大統領選挙では、選挙人が自らの良心に従って大統領候補に投票したことは明らかであった。1796年の大統領選挙でも選挙人は投票前にまったく何も誓約を求められなかった。

1800年の大統領選挙では連邦党と民主共和党の対立構造が明らかになり、両党はそれぞれ党幹部会を開催して大統領候補を擁立した。そのため選挙人は自党の大統領候補に投票することを期待されて選出されるようになった。こうして選挙人が自らの良心に従って大統領候補に投票するという憲法制定会議の代表達が想定した前提は完全に形骸化した。

現代はさらに形骸化が進み、選挙人は一般投票の結果に従うように期待されている。42州とコロンビア特別行政区では投票用紙に大統領候補と副大統領の名前が記載されているだけで選挙人の名前すら記載されていない。しかし、一般投票で決定された候補に投票するように選挙人に義務付ける憲法上の規定は存在しない。29州とコロンビア特別行政区は、現在、選挙人は予め表明した候補を支持しなければならないと法律で定められているが、罰則がある州は少ない。ただ選挙人を誓約で縛る州法は憲法修正第12条に違反している可能性がある。

不誠実な選挙人の数

歴史的に、1789年以来、2万人近くの選挙人が選ばれてきたがその中で9人が厳密な意味で不誠実な選挙人だと考えられている(もう少し広義では100人以上になる)。厳密な数え方は、一般投票の結果に背いて別の人物を大統領候補として投票するか、棄権した場合に限る。

これまで不誠実な選挙人はほとんど訴追されていない。例えばミシガン州とノース・カロライナ州では不誠実な選挙人の票は数えられず、他の選挙人候補によって代わられる。

参考:大統領選挙はなぜ複雑な仕組みになったのか

なぜ大統領選挙で一般投票と選挙人投票という二重の仕組みを採用しているのか。全米で有権者の票をまとめて数えて選挙結果を決めてしまえば面倒な食い違いも起きず、選挙人を指名する手間も省ける。何のために選挙人投票があるのか。

現代のアメリカでは選挙人投票は有名無実となっているが、建国当初は選挙人投票という形式を採用することに大きな意義があった。

日本という国はまず中央政府ができてから後に各都道府県ができた。いわゆる明治新政府による廃藩置県である。しかし、アメリカは全く逆である。まず州ができてから後に連邦政府ができた。アメリカの州は、日本の都道府県のような自治体とは全く違っていて個別の国家とでも言うべき大きな権限を持った存在である。

全国区で選挙を行うことは各州の意向を完全に無視することになる。そうならないようにするため、各州で選挙人を選出し、各州の代表である選挙人がそれぞれ票を投じるという形式を採用した。

また選挙人は、一般大衆に比べて大統領候補の資質を見極める見識に優れていることが期待された。それは一般大衆を煽動することにより大統領になろうとする野心家を阻止する効果があると考えられたからである。現代では各政党が、自党に貢献した人を感謝と名誉を表して選挙人に指名している。

このように大統領選挙における選挙人投票は、アメリカならではの事情をふまえた仕組みである。現代のアメリカの事情には即していないかもしれないが、選挙人による大統領選出は憲法によって規定されている。そのため選挙人投票を廃止するためには憲法の修正が必要となる。憲法の修正は簡単なことではないので今後も形骸化したとはいえ選挙人投票は存続するだろう。

参考:大統領選挙の資金について

大統領選挙にともなう選挙活動には莫大な資金が必要である。そうした資金はどのように拠出されているのか。基本的には大統領候補本人のポケット・マネー、もしくは政治献金によって賄われる。近年はあまりに莫大な額を要するので全額、もしくは一部が大統領選挙運動基金から支出される。

大統領選挙運動基金は、納税者が所得税を納付する際に3ドルを大統領選挙運動基金に納付するかどうかを決めることで集められる。大統領候補は、予備選挙、全国党大会、本選挙に関する費用を受け取ることができる。

予備選挙については合計10万ドル以上(1口250ドル以下の献金×20州以上)を集めた者に対してそれ同額が大統領選挙運動基金から支給される。
 
前回の選挙で一般投票の25%以上を得た政党は、全国党大会に関連する費用として200万ドルが支給される。2012年の場合は、共和党と民主党のみである。25%未満の得票率の政党にも比率に応じて支給されるが、得票率が5%未満の政党は支給されない。

本選挙では、2012年の選挙の場合、共和党大統領候補と民主党大統領候補はそれぞれ2,000万ドルを受け取ることができる。他の政党の大統領候補も得票率が5%以上であれば比率に応じて受け取ることができる。

大統領選挙運動基金の受給にあたっては条件がある。まず選挙運動費用の総額が支給限度額を超えないこと。2012年の場合、民主党大統領候補と共和党大統領候補は政治献金を一切受け取ることができない。受給する場合、こうした条件を守らなければならないので、受給を辞退する場合もある。


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