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人は「数」じゃない、と思う日々

 東京は7月12日からすでに緊急事態宣言中だけど、宣言を出す都道府県が増え、感染が広がってきた影響で、8月の仕事のアポが先延ばしになってきた。今回の影響は、以前より大きくなるだろうなぁと感じている。

 会社員の方たちよりはずっと家ごもりができる仕事でも、影響が出てきている。出社しなければならない方たちには、どうぞご安全に、と願うしかない。

 東日本大震災を引き合いに出すのは顰蹙を買いそうだけど、震災後、なぜ津波の怖さをもっと自覚しなかったのか、なぜ周囲にもっと強く逃げろと言わなかったのか、なぜ助けられなかったのか、と悔やんだ人は多かった。地域によっては、地震発生から津波が到達するまで、30分以上の時間差があったことが、後悔を大きくした。

 私は、今のコロナ禍も地震発生から津波に襲われるまでの間と似たところがあるんじゃないかと感じてしまう。大津波は、まさかここまでと言うところまで襲った。震災後、現地に行った人は知っていることだけれど、海から車で20分以上は離れたところまで津波の跡があった。海がまったく見えない山の奥や一気に駆け上るのは無理と思う高さまで、津波で運ばれた瓦礫が散乱していた光景を、私は忘れることができない。

 ただ、新型コロナが津波と違うのは、逃げられる時間と方法がまだあることだ。残り少なくなっているリソースをどう温存していくかが、一人でも多く感染から逃れられる唯一の方法だと思う。リソースは医療だけでなく、コロナ禍で経営状況が悪化している飲食店や企業の体力も含まれる。今はとにかくどうやって身体的、経済的に人の命を守ることができるかに知恵を絞ることが必須と思っている。

 新型コロナはワクチンを打っても、防げるのは重症化(瀕死状態)を避けられるだけだ。それも完璧ではない。医療崩壊はコロナ患者を助けられないだけでなく、他の病気の治療が受けられなくなる可能性がある。コロナの流行以来、健康診断を控える人が増えていて、その影響で、がんの発覚が遅れ、見つかったときには進行しているという話もある。ということは、他の病気の手術や治療に、すでに医療側にも患者側にも負荷が大きくなっているということでもある。

 私がもう一つ、感染者の増加で心配しているのは、ウイルスの変異。感染数が増えれば増えるほど、より感染力が強いウイルスに変異する可能性が高まるからだ。

 震災のときも思ったけれど、私の危機感が、そうでもない人に比べると強いとすれば、地震が多い宮城県出身だからかもしれない。何度も地震で被害を受けてきた場所で育つと、危機が迫っている状況に「たいしたことない」「コロナは風邪」とは到底、思えない。

 感染者や亡くなった人の「数」が毎日、報道されるけど、人は「数」じゃない。1人の感染や死の背後には、回復を願い、亡くなったことに悲しむ家族や友人がいることを想像できる人間でありたいと思う。

仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。