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『一緒に働きたい人』6人目: 仕事に関する誠実さがA級の人

当然、誠実な人は不誠実な人よりよい。

そして、世の多くの人が誠実であろうと心掛けていることであろう。
「私のいい点は誠実であることです」と多くの人から聞くことがある。

これは大変素晴らしいことである。

ただ人間、聖人君子ではないから、ありとあらゆることに対して誠実であることはあり得ないとも思う。

誠実さと不誠実さのバランスをどうとるか、人間性が試される。

仕事は当然誠実な人と一緒にやりたいと思うが、その誠実さにもレベルがあると感じている。

過去一緒に仕事をしてきた同僚、お客さまの中で、誠実さレベルA級(=圧倒的に高いレベル)の人々が何名かいた。

その人々は聖人君主ではない。仕事以外では意外と不誠実であったりする。

一方、いわゆる聖人君主と呼ばれる人々がいる。そういう人々は仕事の誠実さはC級くらい(=まーまーのレベル)だったりする。

ずっと誠実であろうとすると疲れてしまう。時には不誠実であってもいいじゃないの。大事なことに対して、大いに誠実であれば。

「誠実であることにつかれました」 天才AIに愚痴を言ってみた。

天才AI「誠実であることは、時には疲れやストレスを引き起こすことがあります。特に、他の人が誠実でない場合、あなたが誠実であることが、あなたが不公正な扱いを受ける可能性があることを意味することがあります。また、誠実であることが社会的な圧力や期待を伴うこともあります。

しかしながら、誠実であることは、信頼を構築し、良好な関係を維持するために不可欠な要素です。自分自身と他人に対する誠実さは、道徳的価値としても高く評価されています。そのため、疲れたりストレスを感じたりするかもしれませんが、誠実さは最も価値のある品質の一つであると考えられます。

もし、誠実であることに疲れを感じている場合は、自分自身の境界線を設定し、過剰な負担をかけないようにすることが重要です。また、自分自身と他人に対して、常に完璧である必要はないことを忘れないでください。誠実であることは、素晴らしい品質であり、心の安定と幸福をもたらすことがありますが、時にはバランスを取る必要があることも覚えておいてください。」

「誠実であることに疲れました」に対するChatGPTの回答

やっぱバランスなんですね。 うまくバランスとりましょう。


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