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FINAL FANTASY Vllについて思うところを。

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FINAL FANTASY Vllについて思うところを。

最近の記事

ヴィンセントとかプロジェクト・ジェノバとかその周辺

これは考えれば考えるほど残念だと思う。 無印FF7のゲーム中、ヴィンセントというキャラクターはエアリスの父ガスト博士に対する言及がかなり多い。FF7のシステム上、パーティメンバーの台詞の全てを読まずともゲームは進められるので見落とす人も多いかもしれないが、ヴィンセントの台詞は読むと非常に興味深いものが多い。 そのヴィンセント自身は隠しキャラであるにも関わらず人気を博し、スピンオフ作品の主役になるまでに至った。それ自体は悪い事ではないと思う。ただ、肝心のその内容があまりにも

    • 人魚姫の末裔たち

      私は多分エアリスが、ただ強いだけの女性だったらこんなにも惹かれる事はなかっただろうと思う。悩みも苦しみもしない、たまに悩んでも自己解決できる完全無欠のスーパーウーマンであれば憧れはしてもそれだけだ。 そういえばディズニーアニメの実写化が続いているが、リトル・マーメイド(Den lille Havfrue)も実写化するらしい。原作の人魚姫(Den lille Havfrue)とは違いディズニー版の実写化なのだからまず間違いなくハッピーエンドなのだろう。ジブリ作品の崖の上のポニ

      • クラエアなんだってば

        「クラエアじゃなくてエアクラ」と主張する人をたまに見かけるが、はっきり言って地雷である。まあそういうのは大抵はクラウド受の腐女子だったりする訳だが、クラウドの解釈もエアリスの解釈も違い過ぎて地雷だ。 エアリスは、けして悩みも迷いもしないスーパーウーマンなんかじゃない、ましてや「攻(男)」なんかではけしてない。少なくとも私はそう思っている。だからエアクラだのエアティだのは解釈が違うので全く好きになれない。 そしてクラウドも「ヒロイン」ではない。本来の意味は勿論和製英語として

        • つくづくエアティって文字を見るだけで気分悪くなるし、エアリスとティファをやたらセットにされるのが不快

        ヴィンセントとかプロジェクト・ジェノバとかその周辺

          1990年代と2010年代の「自立した」女性像の相違

          以下、基本的に日本での話だと思ってください。 フィクション作品において1990年代は「恋もそれ以外も全力投球」という形での、たくましく強い、自立した女性像が増えた時期だったと記憶している。90年代といっても幅広いが特に後半か。女性の方が年上のカップルも増え、セーラームーンやスレイヤーズのように相手役の男性が浚われたり守られたりするような作品も目立った。それが当時の「自立した」女性像の主流だったと思うし、女性が元気でなおかつ対等な男女の恋愛に溢れた作品の多くは見ていてとても気

          1990年代と2010年代の「自立した」女性像の相違

          混血のプリンセス

          ハリー・ポッターシリーズ6巻のタイトルは日本語訳では『謎のプリンス』、作中では同じ単語が『半純血のプリンス』と記されるが言語の"the Half-Blood Prince"は、他の部分の邦訳に従うならば『混血のプリンス』と訳するのが近い。ここで言う『プリンス』は「王子」の意味ではなく固有名詞の『プリンス』という苗字なのだがそれはそれとして。"the Half-Blood Prince"という原題を最初に見た人々は、『混血の王子』と受け取ったようだ。 この段で行くとFF7のエ

          混血のプリンセス

          FF7リメイクはセクシズムを取り除けるか?

          http://www.themarysue.com/remake-final-fantasy-vii-without-the-sexism/ 英語圏のギーク女子向けの情報サイトに投稿された文章…で、いいのかな? FF7のリメイクに寄せて、無印でのセクシズム描写を問題視しそれを是正してほしいと願う文章のようだ。日本では見掛けない視点で面白い。 特に『Yuffie’s culture should be celebrated and more prominent』の部分は面

          FF7リメイクはセクシズムを取り除けるか?

          http://www.themarysue.com/remake-final-fantasy-vii-without-the-sexism/ ギーク女子のための情報サイト…に投稿された文章、でいいのかな?

          http://www.themarysue.com/remake-final-fantasy-vii-without-the-sexism/ ギーク女子のための情報サイト…に投稿された文章、でいいのかな?

          ナウシカとエアリス、アスベルとクラウド

          ところで『風の谷のナウシカ』について、映画版しか知らなかったが漫画版のストーリを知った時には大分驚いたものだった。Wikipediaによれば、漫画版の連載はアニメージュの1982年2月号 - 1994年3月号らしい。 物語の大枠として初期は映画とさして変わらずその後に旅が続いていくといった形だが、個人的に驚いたのはアスベルの行く末と、映画に出て来ないセルムというキャラクターの存在。アスベルはケチャという女の子といい雰囲気になり最終回では抱き合って終わり、最終的にナウシカのパ

          ナウシカとエアリス、アスベルとクラウド

          ゼノギアスはまぎれもなくFF7.5

          FINAL FANTASYシリーズの他作品との比較でFF7を語る時、そこにゼノギアスも外せないと思っています。ナンバリングこそついていませんが実際にはFF7.5として銘打ってもいい作品だと思うんですよね。FF7と対照的な3D背景のゲーム画面で構成され、FF8に先駆けてボーカル入りの主題歌を使った作品。FFの歴史を語るならゼノギアスも入れるべきだと思っています、個人的には。私がFF7を考える時には前後の作品である6と8に言及する事が多いですが、FF7の一年後に出たゼノギアスも関

          ゼノギアスはまぎれもなくFF7.5

          http://astoryofalove.tumblr.com/post/122041593610/what-exactly-is-aerith-doing-here うあ゛あああああああああああああああああ

          http://astoryofalove.tumblr.com/post/122041593610/what-exactly-is-aerith-doing-here うあ゛あああああああああああああああああ

          アルティマニアの大野優子みたいにティファの「モテ」を強調するのってやっぱ女の発想だよな

          アルティマニアの大野優子みたいにティファの「モテ」を強調するのってやっぱ女の発想だよな

          エアリスが前半のクラウドの人格に惚れたっていうならそれはティファも同じなのにティファ厨はそこは無視するんだよな

          エアリスが前半のクラウドの人格に惚れたっていうならそれはティファも同じなのにティファ厨はそこは無視するんだよな

          「想いを伝えるのは言葉だけじゃないよ」 これが名台詞扱いされているのが解せない。

          「想いを伝えるのは言葉だけじゃないよ」 これが名台詞扱いされているのが解せない。

          公式のティファ押しステマがマジホラー

          公式のティファ押しステマがマジホラー

          エアリスが死んだからクラエアはありえないって理屈が分からない。愛する人が死んでも一生想い続ける事はできる。本編中で描かれた二人の絆はまさに永遠だろうに。

          エアリスが死んだからクラエアはありえないって理屈が分からない。愛する人が死んでも一生想い続ける事はできる。本編中で描かれた二人の絆はまさに永遠だろうに。