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メンタル病んだとき、いつまで引きずっていいのか問題

メンタル病んだとき、いつまでなら引きずっても良いものなのか?

毎度のように、この問題にぶち当たる。


毎週、パーソナリティである心理カウンセラーさんがリスナーの悩み相談にのる、というラジオを聴いている。リスナーからの悩みは様々で学校や職場での人間関係の悩みであったり、恋愛相談、仕事がうまくいかない悩み、持病の悩み、忙しすぎてメンタルが保てないなど千差万別である。

カウンセラーさんは、どんなことでも悩みを抱えるリスナーの話をちゃんと聞いてくれて、受けいれて、ときには褒めたりしてくれて、荒んだ気持ちを落ち着かせてくれる。

「無理しなくてもいいんだよ」「周りの人に頼っても良いんだよ」とか「今までよく頑張ったね、偉いよ」なんて言ってもらえるとめっちゃ嬉しいし、安心することができる。


でも、僕は励ましてくれる人がいるとその人に甘えてしまう性格で、問題と向き合うことを諦めて、すぐに逃げ出してしまう。

なぜなら、困ったことに、極端な選択しかできない性分だからだ。まず、自己否定から入り、さらに自分自身を精神的にも肉体的にも追い込んでようやくパフォーマンスが上がる人間だから、ちょっとでも優しい言葉をかけてくれる人がいると途端にやる気を無くして、全部を中途半端に投げ出してしまう。

例えば、大学の講義時間外の早朝と深夜にバイトを入れ、隙間時間に人と会う約束を入れ、資格勉強の時間を合間にねじ込む、といった感じに。

極端な選択しか自分のパフォーマンスを上げることができないのを知っているから、ちょうど中間の良い塩梅の位置なんて存在しないのだ。ちょっとでもセーブしてしまうと、家に引きこもって、水を飲むだけで精一杯のラインまで堕ちる。

自分を追い込んで追い込んで、大学2年に上がるとき、メンタルがボロボロになった。「勉強もバイトも人間関係も少しお休みしてみようか」と言われたあと、元に戻ることなく今までずっと休み続けてしまっている。


いろんなメンタル回復術系の本を読んで、「この期間は休むことに徹して、自分の体と心を労わる」と決めてリフレッシュ休暇を作ってみたりしたこともある。

人間は生き、人間は堕ちる。(中略)そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。(中略)堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。

坂口安吾『堕落論』

坂口安吾も『堕落論』で「正しく堕ちきること必要だ」と言っているので何回か試してみた。

けれど、一度堕落してみたところで、一向にメンタルや気分が回復する兆しは見えてこない。ずっと闇を引きずってしまう。ちょっとでも気を緩めたら、すぐに全てを諦めて、やり直しが効かない状態になるまで放置してしまうのだ。人間関係も、大事な書類提出も、貯金も。そして、やり直しが効かなくなって修復できなくなってからやっと、のそのそと動き出す。

坂口安吾の言う正しい堕落の仕方を理解できていない、というのもある。授業でちょっとしか『堕落論』を読んでなかったからかも。もう一度読み直さねば。


とにかく、自分にベストな心の休息方法を未だに見つけられていない。

今はただ、人や自分に甘えてしまわないように気を強く持ち、自分自身を精神的にも肉体的にも追い込んで、大学生活を送るしか方法が無いのだ。

バカヤロー







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