金元邦行

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最近の記事

院政期の伊勢神宮式年遷宮と行事弁

はじめに 中右記は、白河院の院政期、堀河天皇の御代、寛治8年6月13日の除目により、正四位下侍従から同右中弁に遷任され、同23日に伊勢遷宮の行事弁に任じられた藤原宗忠の日記であり、伊勢神宮の式年遷宮に関する朝廷側の官人の記録として、第一級の史料である。また、同時に、伊勢神宮役夫工の草創期の重要な史料でもあり、当該論考に多く参照・引用されてきているが、その他、行事弁に関する考察は殆どされていないように思う。そこで本稿では主に中右記の記述から行事弁からみた伊勢神宮式年遷宮につい

院政期の伊勢神宮式年遷宮と行事弁

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    桑山について

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    続100名城 170 浜田城

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    畿内班田制崩壊の真相

    (国立国会図書館所蔵自著「律令社会の崩壊」第一章の概説) 一部内容を修正 口分田不足の真相延暦11年(792)10月28日、山城国長岡京遷都後、最初の造籍に基づいた班田に際し、口分田の班給方針が出された。 まず、男分を班給し、残りを女分とし、奴婢には班給せず。 (類聚国史 延暦11年10月庚戌条 巻159口分田) →口分田不足が原因であると考えられる。 元慶班田(山城国)の例 (A)土戸男子授口数・・・・・・・24349人(1) (B)土戸男子一人当たり授田額・・1段18

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    畿内班田制崩壊の真相