「姫小松子日の遊」翻刻 四段目

[道行心の竹馬]
〈歌〉ふりにける松を主と木の下陰に、落ち葉の茵〈ナヲス〉かくばかり、世は定めなき飛鳥川、常盤御前の御有様、親子御三人みたりもつれ寝は、ふすゐの床もよそならず。人目忍ぶの市女笠、笠の軒端に朝こちの、ぞっと身にしみめざむれば、こゝは大和の伏見の境、早明け暮れの横雲や、〈表具〉ほがらほがらと明くる夜の、高円山に出づる日に、連れてねぐらの夜の鶴、今若・牛若御手を引き、京都をさして出で給ふ、〈フシヲクリ〉心の「内こそ便りなき。
去年こぞは都をおちこちの、こゝやかしこに忍べども、またも都に便りなば、残る人々語らひて、なにとぞ仇を報いんと、思ふ心は先立てど、付き添ふ人も嵐山、かひがひしくも足弱車、あとや先、〈二上り歌〉昔思へばしたはしき、夫は源氏の左馬頭、名は義朝とばかりにて、過ぎし平治の〈ナヲス〉乱れより、世の様かはり春ぞとも、里の名に知る桜井の野辺に雲雀の声高く、雲に入るかと疑はれ、にこにこ笑ふ空色に、いとゆふゆふと打ちなびく、青柳本これとかや。されば野川のしょろしょろ流れ、道の道草とりどりに、摘めばあざみのあいたしこ、手をつくづくし、いたどり杉菜ちょっぽくさ、花毛氈のげんげ花、それそれそこにも、これこれこゝにもたんぽぽたんぽぽ鼓草、花に戯る蝶々に、〈中フシ〉飛んづはねつのぐゎんぜなさ。
今若君は八才にて、一つ二つもおとなしげ、「サァサァこれから馬でいこ」「おっと合点」と竹馬に、心は勇む春の駒、轡にあらぬ〈ウコハリ〉口拍子、手綱かいくりあざみの鞭をはっしと当てゝ〈フシ〉乗り回し、ひらひらとひらめく揚羽のてうてうてう、平家の定紋、「平家のやつばらまっこのごとく、りうりうりうと打ち払ひ追っ散らし、采配押っ取り兄上は数多の軍兵駆け引き合点か」「〈詞ノリ〉ホヽヽヽヽ面白し。〈地〉弓矢神の恵みを受け、運を開くは案の内、そなたは好きの黒の駒、真紅の厚房、銀の轡をはませ鞍笠に突っ立って」「〈詞ノリ〉ヲヽその時戦に龍頭たつがしら、〈地〉兜の星をきらめかし、〈江戸〉日の丸書いたる陣扇、寄せ来る敵をひらりひらりと招き寄せ、てうてうはっしと首打ち落とさん」「〈詞ノリ〉ヲヽいさぎよし、心地良し」と〈地〉勇み進みし御骨柄、威風備はる天成自然、かんばせ目の内只人ならず、さてこそ源氏再興の、両大将となり給はん、おひたちゆゝしき公達と、御喜びは限りなく、憂きも紛れて道ばかも、丹波市過ぎ名にしおふ、昔男の在原寺、古き都の奈良の京、流れも清き木津川や、弓手に見ゆる男山、我が源の氏の神、正八幡と遥拝し、再び武運を開かせ給へとはらからもろとも渇仰の、日影も春の長池や、上の醍醐も打ち過ぎて、花の都人いつの間に、歌の中山清閑寺、迷ひめぐりて幾日とも、車宿りや馬止め、〈三重〉清水寺に「着き給ふ。
おちこちに名にし音羽の山桜、盛りを見んと都より、被きの続く川東、けふはことさら宗盛の花見とて、浮線蝶の幕打ち回し、おなりを出向ふ女中たち、〈フシ〉花を飾りて待ちゐたり。
「〈詞〉のふ初瀬殿、園生の方様・維盛様は、とふからおなりなされたに、殿様はなぜ遅い」「サイノ、けふは熊野ゆや御前とお二人連れ、変った趣向でお出でぢゃげな。それそれ向ふへ」「ほんにあなたがそふかいの」と〈地〉噂取り取り打ち連れて、〈トル〉皆々幕へぞ。
「〈謡〉あたら桜の、あたら桜の、科は散るぞ恨みなる。〈詞〉これは都見物左衛門と申す者でござる。きのふは嵯峨・嵐山・御室・鞍馬、深山の奥のとろくの花まで見物いたしてござる。けふは東山の桜見ようと存ずる。まづそろそろ参らふ」〈地〉深編笠に長羽織、公達様の落とし差し、後に奴が杖草履、手振る袖振る年ふる枝野面白や。面白々々、有明桜あれあれあれ、〈謡〉月は一つ影は二つに、〈地〉塩釜桜、持つや田子の浦、東からげの染め浴衣、笠着てぬけた伊勢桜、小町桜のなりよや見よや、「〈詞〉みる平やい」「ないない」「おのが望みは何桜」「熊谷桜で虎の尾を、丁ど受けたら〈地〉よかるべい」「南をはるかに眺むれば、熊野権現の移ります、我も熊野とは良い仲々の、ハヽヽヽヽこりゃたまらぬ」と余念なく、〈中フシ〉花に見とれて立ちゐたり。
「〈詞〉アレアレお旦那、恋人が若衆出立ちで東六法、〈地〉あとから供のきく平が、さしかけ日傘花紅葉、あったものでは〈フシ〉ごはりませぬ」と控へゐる。
熊野は丹前ふりかけて、〈二上り〉だんじり打って囃した囃した、恋はさまざまあるが中にさ、たゞ一筋にしっぽりと、しっぽりと、訳良く品良きいきかたに、思ひ焦がれて、思ひ焦がれて書く玉章の便り求めてやり羽子の、袖にとまらばごめんあれ、アリャコリャ、ふりふってふりふって、ふってふって、ふってふってふりふったる取りなり、藤内五郎殿はいの、これはハ、太鼓打ちの名人で、代々の太鼓をあそこゝもとに直して、金の撥を手に持ち、たらつくにすってんてん、たらつくたらつくすってん、とうからすとんとうっぽれた、なるかならぬか恋の中の町、中の中の、中の町を通りたふは、マダマダ、アヽないはさ、生だこ掴んでていへい見たかうん、熊野比丘尼がちとくゎん、くゎんくゎんくゎんとも鳴るは夜明けの鐘がつんつんつらいか、タチリテツッポウ、ずんでんとうがら、鼓太鼓の音に寄りくる、アリャアリャ、リヤリヤリヤリヤ、見平合点か、聞平合点ぢゃ、ヨイヨイヨイ、〈三下り歌〉紺のだいなし作り髭、手先揃へてふり出すお先、手先揃へてふり込めさ、お先揃へてお先さきさきあと備へ、玄関下馬先仕りましょ、お供回りも花やかに、ふれば心も気も軽々と二人の野郎が、二人、二人やらうが姿もやさし、若衆出立、柳の腰に掴み差し、旦那お立ちを乗り物に、乗せておせやれやれふれさ、やれやれ対の定紋、挟箱をば揃へてふれさふれさ、それそれそれ、石が高いぞ上り坂、腰をよぢりて、よぢりて、腰をよぢりて、ゑぢくりゑんじょのナ、ゑぢくりゑんじょの曲がり道、露をや踏み分けて、野辺の露霜ぬれものぢゃ、これも浮世の戯れや、しっくりこっくり小女郎、しめて寝た夜はナ、消え消えとや、しどろもどろの戯れに、〈フシ〉花見の興を催しけり。
宗盛床几に腰打ち掛け、「〈詞〉難波・瀬尾がやつし奴、できた出来た。熊野が若衆出立の六法たまらぬ。くたびれついでに難波・瀬尾、道で見つけた常盤親子を搦めてこい。惚れてゐらるゝ親父の喜び、この宗もは、それを肴に一献酌もふ。〈地〉熊野もこちへ」と幕の内、かしこまって両人は〈フシ〉清水さして駆けり行く。
「池田の宿より朝顔が参りし」と、供の女が知らすにぞ、幕の内より熊野御前、「のふ朝顔か懐かしや。〈詞〉母様の病気の様子、早ふ聞かしてたもいの」と〈地〉手を取るを振り放し、被きをとれば朝顔ならで「ヤァ母様か」と言ふ胸づくし取って引き寄せ、叩き立つるに前髪の、元結離ればらばらばら、様子知らねど悲しさに、訳も涙にくれゐたり。「〈詞〉コリャこゝな不孝者。母が病気と偽って文おこしたは、穢れた平家の館には、一日もおきともなさ。母が来たといふたらば、逢ふまいと思ふて、俺が直に迎ひに来た。改め言ふには及ばねど、わがてゝ親は長田をさだ庄司、この母も腹からの白拍子ではないぞよ、遠江の浜名が娘。親左衛門故あって義朝公の御勘気を受け、池田の宿に長々の浪人。長田は名ある源氏の武士と、忍び寝にそちを設け、浜名の名字を立てんものと、頼みに思ひし夫忠宗、おしうを討って平家に奉公。その不忠に愛想つき、そちを連れ離縁して、風呂で詰腹切り給ふお主の敵を討たさんため、熊野と名をつけ白拍子。清盛親子のそのうちを討ち取って、てゝ親と一つでない言ひ訳せよと、平家の館に奉公させしに、宗盛の情にほだされ、年月あだに暮らしたは、〈地〉てゝ親の気性を受け、犬畜生になったのか。娘でもない子でもない」と〈スヱテ〉腹立ち涙せきあへねば、
「ヲヽそのお恨みは理なれども、〈詞〉これまでも宗盛に一夜の枕もかはさねば、情にはほだされねど、狙ふはかよはき女の身、万一ことをし損ぜば、この身の憂き目は厭はねど、母様の難儀を思ひ、一日延び二日延び、言ひ訳もないしだら」と、〈地〉維盛と訳あること、明けて言はれずぐどぐどと、〈フシ〉熊野が心ぞやるせなき。
少しは心休まって、「〈詞〉ムヽそふいやどふやらもっともらしい。まだ言ひ聞かすことがある。常盤様親子御を尋ね回ると、わらはが今来る道での噂」「サイナ、難波・瀬尾が最前搦めに行ったはいな」「それなら噂に違ひはない。なにとぞしてその若君や常盤様のおためになり、悪人のてゝ親と、一つでない言ひ訳せよ。こののち平家の殿中にて、不忠者に逢ひたりとも、親と言ふな、子と言はれな。くれぐれ母が言ふたこと」「なんのおまへ忘れふぞ。まだ話したいこともある、もそっと逗留」「イヤイヤこのことを言ふたれば、母が胸はさらりとした。随分無事でまた逢はふぞ」「それならおまへも御息災で」「ヲヽさらば」「〈地〉おさらば」と、親子の別れ果てしなく、〈フシ〉母は旅宿へ立ち帰る。
常盤御前は気もそゞろ、二人の若の手を引いて、逃れがたなき狩場の雉子、息を限りに走りつき、「〈詞〉どなたか知らぬがお若衆様、子供を具して敵に出会ひ、やうやうこれまで逃れし者。〈地〉影を隠してくださらば、お情御恩」と泣き給ふ。顔見てびっくり「〈詞〉ヤァおまへは常盤様。わたしは源氏にゆかりある、熊野と申す白拍子。様子は追って、どこへ忍ばせ申そふぞ」と〈地〉見回せば、今若が「〈詞〉コレコレ母様、この桜のうとろが、てうど良いかくれんぼ」「ヲヽでかしゃった、でかしゃった。負ふた子に教へられ、浅瀬を渡る良いうつほ木。〈地〉ほんにマァこの情、いつの世に忘れふぞ」「アヽお礼どころぢゃないはいな。日陰のお身」とうつほ木の木陰を隠す日がらかさ、石橋山にて今若が、伏し木隠れはこの時と、〈フシ〉思ひ合すもこれならん。
難波・瀬尾がうろうろ眼、「〈詞〉ヤァ熊野御前、常盤親子三人、このところへ来なんだか」「イヱイヱ、誰もこゝへは来ぬ、常盤も松もわしゃ知らぬ。アレアレアレ、あれ見さんせ」「どれどれどこに」「サイナ、桜散る木下影は寒からでと詠んだに違はず、散るのもほんに良いもの」「イヤ松や花ではない、をなごの常盤」「フゥそんならわたしゃ知らぬはいな」「ハテ不思議な、逃ぐる間はなかった」と〈地〉そこらを見回し、「〈詞〉コレ見よ瀬尾。これこゝに常盤が着た市女笠があるからは、忍んでゐるに極まった」と〈地〉日傘引き退けうつほ木見つけ、「さてこそ」とばらばらと立ちかゝれば、常盤親子を後ろに囲ひ、「〈詞〉寄るまい寄るまい。様子あってこの熊野が頼まれてかくまふた。白拍子でこそあれ、武家に奉公するからは武士同然。今渡しては頼まれたその人々へせんがない。〈地〉渡しはせぬ」と争ひの、漏れ聞こえてや園生の方、維盛もろとも出で給へば、宗盛も続いて出で、「〈詞〉コリャコリャ熊野、皆聞いた。常盤を抱いて寝よふとは、ふぐ食ふやうなものなれど、親父の好物、薬食ひにこの宗盛が献上する。二人に渡して構ふなかまふな」「イヤのふ常盤は敵の妻。心に剣を含む者を、舅君には渡されじ。ことに我がつま、熊野詣での留守なれば、下向あるまでこの園生が預からん」「然らば倅どもは難波・瀬尾が預かる」と、〈地〉泣くおとゝいを両手に提げ、手ひどう当たる子供の憂き目、かはいの者と伏し沈み嘆き給へば園生の方、「〈詞〉夫の下向なきうちに、おとゝいの子を手荒くすな。きっと申し渡した」と、〈地〉維盛に供触れさせ、常盤御前を誘ひて、立ち出で給へば宗盛も、「〈詞〉サァサァ熊野もふいのふ。難波・瀬尾、供せい」先に立って出で給ふ、常盤はあとを振り返り、「も一度顔を」と立ち寄るを、「のふ母様」とおとゝいが、慕ひ嘆けど供人に、親子の中を隔てられ、〈三重〉泣く泣く別れて「
〈二上り歌〉花のほかには常盤木の、暮れそめて花や散りぬらん、〈ナヲス〉いとゞ興ある小松殿の別館、常盤御前を慰めんと、お側女中の笛鼓、熊野は桜の下陰に、かざす扇もしほらしく、立ち舞ふ舞の下稽古、散り敷く花に五つ緒の、糸毛の車引き捨てしは、〈中フシ〉げに眺めある風情なり。
囃子方のこしもと衆、めいめい役目に汗水流し、「〈詞〉サァサァ熊野様、大方これで良いならば、もふお始めなされぬか。清盛様から常盤様を、お迎ひ車が来てあれば、舞ふも囃すもせはしなふて、おまへもなされにくからふ」「イヤイヤ皆よふ覚えてぢゃ。この熊野も宗盛様にお宮仕へ申してから、扇を手に取らねども、常盤様のお伽に、捨てた舞も出さねばならぬ。したがあなたは目恥しい、稽古の足らぬをお目にかけてはお笑ひ草、〈地〉よふ覚えるまで幾度も稽古々々」と立つ折から、小松の維盛次の間の襖押し開け立ち出づれば、熊野は見るより恋人に心もそゞろ、「〈謡〉されども恋人昼はくれども夜見えず」「〈詞〉申し熊野様、それは謡が違ひました」「なんで違はふ。維盛様とわしが仲は、重盛様や園生様に許された天井抜け。ナァ申し〈地〉維盛様」と、舞によそへて抱きつく。「〈詞〉ヲヽそれがしも話したいことあれども、只今は母上より、常盤の様子見て参れと、仰せに従ひ来りしが、〈地〉いふことも聞くことも後にあとに」と振り切って、一間の内へ入り給ふ。「〈詞〉アヽ良い首尾」と思へども、〈地〉こっちの思ふ様にはないと、熊野が思ひぞ〈フシ〉せつなけれ。
苦は色かゆる常盤御前、襖を開き「ヲヽ熊野御前、〈詞〉自らを慰めんと、舞の稽古が嬉しうござる。苦がなふてこそ月花の眺めもあれ、二人の若に引き別れ、夫の仇の清盛に慕はるゝは、火水の責めよりなほつらく、もしや子供が憂き目にもあはふかと、むげなふも返事せぬ、〈地〉心を思ひやってたべ」とかこち給へば熊野はお側に差し寄って、「〈詞〉そのお嘆きを聞くにつけ、悲しい者はわたし一人。この間も申せし通り、母は源氏の御家人、遠江の浜名が娘。長田をまことの武士と思ひ、子までなしたる中なれども、義朝様を手にかけて、平家に仕へる不忠を見限り、母もわたしも親子夫婦の縁切ったれど、この熊野が下心に、てゝ親慕ふ心もあるかと、母が上ってわたしに意見。連れて下ろといふてなれど、この御館のその中に、申し交はせしお方もあれば心引かれて下られず、なにをいふもかをいふも、ひょんなてゝ親持った故。格別に苦はいたせども、〈地〉親の悪事つぐなふため、お心おきなふこの熊野におっしゃってくださりませ」と、〈フシ〉真実見えたる目に涙。
話の中の間押し開き、奥使の女中立ち出で、「〈詞〉只今西八条より常盤様に、直々お目にかゝりたきとて、〈地〉御上使これへ」と告ぐるにぞ、常盤も熊野ももろともに〈フシ〉席を改め待ちゐたり。
入り来る使者は五十余り、強悪無道の東国武士、「お使者これへ」と出迎ふ熊野、顔見れば我が親の長田庄司。びっくりすれば忠宗も、縁切ったる娘ぞと、見ても見ぬ顔知らぬ顔、「〈詞〉平相国殿よりお使に参ったり。それへ推参仕る」と〈地〉のっさのっさ通る緩怠づら、「顔ばかりが人らしいお使者様、わしは舞の稽古しよ」と〈フシ〉熊野は一間へ入りにけり。
常盤御前しとやかに、「〈詞〉珍しい長田庄司、よふこゝへ来られたの。われに逢ひたかったはやい。今は平家の侍なれど、昔は主従。同じ席はマァ慮外。長田下がれ、ずっと下がれ、ヱヽおのれはナァ、庭へ降りてつくばいをらふ、あの畜生侍めが、〈地〉にっくしにっくし」の恨みより先立つものは涙なり。「〈詞〉ヲヽ常盤殿久しい。譜代の家来に夫を討たれ、さぞ口惜しかろ。したが淵は瀬となる世界の有様、俺も年寄って、野間の内海の一郡取って、人の股くゞってもゐられず、主を殺すほどの大それたことし出さねば、国大名にはなりにくい。欲を知らねば身が立たぬ、そふ思ふて清盛公になびかしゃればその身は果報、氏なうてもお迎ひの、玉の車が目に見えぬか。子供まで仕合せぢゃぞや。またいやとなどおいやれば、けふの使を乞ひ請けてきた長田、手は見せない。その美しい首に、二人の倅も切り並べて、清盛公の見参に入れ奉る。ハヽヽヽヽ痛か放せぢゃ、サァおうか、但しいやか、サァなんと」「いかほど言ふても清盛に随はぬ返答見よ」と、〈地〉上着の肩を押し脱げば、心曇らぬ如法袈裟。「〈詞〉コリャ人でなしのその方に、言ひ聞かすはづはなけれども、この袈裟は母関屋、今はの際まで召されしお小袖。このお小袖を筐にとてくだされし時、誰人の妻になったりとも、必ず貞女、背くなと御遺言。それ故に自らが義朝様に別れし日より、仏の道に入る常盤。かう言ふたりとも畜生侍の耳へは入るまい。サァ殺せ、はや殺せ、〈地〉夫の敵を得討たぬのみか、二人の子供を振り捨つる、心を少しは思ひやれ」と〈フシ〉かっぱと伏して泣き給ふ。
「〈詞〉フゥもっともそふなことなれど、主を殺すほどの長田が耳へは胡椒丸呑み。俺も夫婦を殺すが嫌さに、わっつくどいついへども得心がないぢゃまで。コレこれはわごりょが夫を、すり首にした長田が重代。夫婦は一蓮托生なれどもこゝでは殺さぬ、西八条へ引きずっていて成敗する。サァおぢゃ」と〈地〉首筋掴んで引っ立て、遠慮会釈も情なく、広庭へ引きずり下ろす折も折、熊野は見るより「南無三宝」と真ん中へ割って入り、「〈詞〉こりゃ常盤様連れてどこへ行く」「西八条へ」「イヤよしにしてもらを」「よしにせいとは」「ハテよしに、〈三下り歌〉吉野初瀬の花紅葉、更科越路の月雪」「〈詞〉イヤ面倒な、舞見たふない。〈地〉邪魔ひろぐな」と突きのくれば、「〈詞〉イヤ邪魔はせぬ、常盤様の名残に熊野が舞、月に叢雲花に風」〈地〉散らしてみせんと立ち寄る長田を押し隔て、「〈謡〉なふなふ俄かに村雨の降り来って、花を散らし候はいかに。あら心なの村雨やな、春雨の、降るは涙か、降るは涙か桜花、散るを惜しまぬ人やある」〈地〉隙を窺ひ常盤御前、刀奪ひ取り抜く手も見せず、眉間真っ向肩先腰骨、ずだずだに斬りつけられ、朱になって死したりし〈フシ〉天罰のほどぞ心地良き。
「〈詞〉ヲヽできた出来た、常盤様。よう斬ってくださった。〈地〉親を斬られて喜ぶは、三千世界に熊野ばかり」とどふど伏して泣きければ、常盤は息をつきあへず、「〈詞〉コレコレ、泣いてゐるところでない。急なこの場所この死骸、〈地〉見つけられては言ひ訳むつかし、どふせうぞ」「アイ、わたしが思ふは、貞女も背かず、二人の若君奪ひ取って、世に出しますよりほかはない。さりながら、その若君は難波・瀬尾が連れ帰ったればなんとせう」「サァなんにもせよこの館を忍び出で、二人の子供を奪ひ取るよりほか思案はない」「ヲヽそふでござんす」と〈地〉うなづきさゝやき裏門さして駆け出づれば、「待てまてやっ」と呼ばゝって、車の内より相国清盛、二人の子供を小脇にかい込みゆるぎ出で、「〈詞〉始終の仔細は残らず聞いた。長田を手にかけし上は、夫の敵の恨みはあるまい。サァ常盤、貞女を背いてこの清盛に抱かれて寝るか、おうと言へばこの倅ども助けてくれる。いやと言はゞひねり殺す。サァいやかおうか、なんと何と」と決めつけられ、〈地〉常盤も熊野もハァハァと、鷲に取られし小鳥の二人、「コレ待って」「〈詞〉待てとは抱かれて寝る心か」「サァそれは」「サァなんと」と、〈地〉地獄極楽まのあたり、〈フシ〉生きた心地はなかりけり。
「〈詞〉ヲヽ急に返事もなるまい。ヤァヤァ飛騨左衛門、難波・瀬尾、参れまいれ」と呼ばゝる声、「〈地〉はっ」と答へて三人連れ、押っ取り袴に駆け出づれば、「〈詞〉その女ばら引っ括れ」と、〈地〉仰せに従ひ下げ緒の早縄手ばしかく、ぐっぐっと猿繋ぎ。清盛は二人の子供、広庭へ放りつけ、「〈詞〉ヤイ常盤よっく聞け。このごろ我が娘中宮、めでたくも若宮を平産せし、こしき落ちの噂聞きつらん、すなはち安徳帝と呼ぶからは、この清盛は天子のぢい、その詞を背く汝らは朝敵。そふでないか、ナァ左衛門」「いかにも御意でござります。コレ常盤殿、今聞かるゝ通り、忝くも天子のぢい君、勅定を背くと、コレこのだんびらが胸先へお見舞ひ申す。おうと言ふて抱かれて寝れば、やはらかなだんびらがもそっと下へお見舞ひ申す。ナ左様ではござりませぬか。サァ痛い目に逢ふか、また良い目に逢ふか、どふぢゃどふぢゃ」と〈地〉難波・瀬尾も刀逆手に二人の子供を引っ捕へ、「〈詞〉サァいやか、いやならたった一と刀」と〈地〉胸先へ押し当つれば、二人はハァハァハァハァと、〈フシ〉心も心ならざる折から、
検非違使の官人走り出で、「〈詞〉只今重盛公、熊野より御下向、すなはち三所権現を勧請申し、早これへ御入り」と、〈地〉詞と共に珠玉をもって粧ひしたる熊野の神輿しんよ、広縁に舁き上ぐれば、後に続いてお乗り物、御供には越中次郎兵衛盛次、主馬判官盛久、育王いわう山より下向足、〈フシ〉前後構へて引っ添ふたり。
清盛寛々と打ち眺め、「〈詞〉ヤァ珍しい、判官・盛次。汝らは重盛が下知を受け、唐へ投げ金の馬鹿使、今帰ったか」「さん候、我々両人、育王山より立ち帰る折から、重盛公熊野より御下向、すぐに御供仕り候」と〈地〉乗り物の戸を押し開けば、重盛ならぬ園生の方、しづしづと立ち出づればぐっとねめつけ、「〈詞〉ヤァちょこざいな女重盛。盛次・判官両人が、戻ったるを幸ひに、重盛になりかはり、天子同然の清盛に意見立ては、大仏の鼻をこよりで掃除する道理、届かぬとゞかぬ。飛騨左衛門、きゃつ引っ括れ。なにをうぢうぢ、但し園生をかばはゞ、うぬから先へ引っ括らふか」と〈地〉掴みひしがん勢ひに、「〈詞〉アヽなんのおまへ」と、〈地〉こはごはかくる縛り縄、主馬判官進み出で、「〈詞〉御憤りはさることながら、このたび重盛公、熊野三所権現を勧請申し奉り、すなはち神輿は三所権現、御目通りにての我儘は、神の御罰恐ろしゝ」と〈地〉言はせも立てずからからと笑ひ、「〈詞〉なんの熊野権現。天照大神でも罰当てるこの清盛、踏み砕いてくれんず」と、〈地〉飛びかゝる足首、内よりしっかとととらへはね飛ばせば、さしもの清盛「こりゃどふぢゃ」と、また立ちかゝれば神輿の戸帳、さっと開いて重盛公、浄衣の袴、無紋の太刀、この世の命薄色の、衣踏みしだき出で給へば、園生を始め盛次・判官顔見合せ、「いまはしき御姿」と胸に迫って血の涙、〈スヱテ〉白洲にうつぶし控へゐる。
重盛父に打ち向ひ、「改め申すに及ばねども、〈詞〉重盛このたび熊野三所権現へ詣でしは、中宮御産の祈りのため。一七日がその間、通夜申し奉りしに、〈地〉満ずる七日の明け方、まどろむともなき枕の上、びんづら結ふたる童子一人忽然と顕れ出で、妙なる御声高々と、『〈詞〉中宮は安産疑ひなし。然るに汝が父、悪逆無道の心によって、女子を男子と欺き、押して天子に備ふる我儘、天の御罰神の恐れ、などか納受あるべきや。この罰によって汝が父の命、百日を待つべからず』との神の告げ。はっと驚き目を開けば、神前の灯明一度に消えし我が思ひ、〈地〉情なくも空恐ろしく、父にかはって重盛が、命を縮めたび給へと、また万灯を御前に照らし、納受なくんば灯火明らかに輝かん、もし成就せばこの灯明、一度に消えてたまはれと、〈詞〉三日三夜肝胆を砕き祈りしに、〈地〉重盛が孝心の道、神も納受ありけるにや、〈コハリ〉風も吹かぬに灯明一度にばっと消え、神前は暗闇なれども、重盛が心は明かりを走る父の御命、〈ナヲス〉延ばゝることの嬉しさに、〈詞〉コレこの神輿は重盛が、我が身を葬る輿車。死装束御目にかゝらぬか。〈地〉詞をかはすも今日限り、これ今生の御別れ、情なの我慢心、浅ましのお心や」と、孝心義心の涙の露、消えて返らぬこの世の別れ、園生の方を始めとし、盛次も判官も、平家の柱折れたりと、〈中フシ〉心に深く嘆き入る。
さしもの清盛大息つき、「〈詞〉ムヽ今まではこの清盛が、横紙破り横車、行きどころまで押し付けしが、女子を男子の夢の告げ、我が肝先へ八寸釘。その上我が命にかはって汝が自滅、これも神の告げなれば、今さら取りかへしもなるまい。汝がために高野山に大塔を建て、末世に残さんその証拠これ見よ」と、〈地〉御はかせ抜くより早く髪押し切り、「〈詞〉今よりは浄海入道、この館は仏の庭。この場の命は助け帰す。敵の末は根を断って葉を枯らすやつなれば、重ねては許さぬぞ。アヽ結構な善根した。ヤイ左衛門、難波・瀬尾も奥へ参れ」と、〈地〉悪口念仏かみまぜて、〈フシ〉奥深くこそ入り給ふ。
後を見送る盛次・判官、心も解くる縄解くる、「常盤は子供を連れ立ち退け」と、維盛を呼び出だし、「〈詞〉手の裏返す父の癖、飛騨左衛門、難波・瀬尾に言ひつけ、道にて待ち伏せ、二人の女を召し捕らんもはかり難し。我にかはって道の警護、よからん方まで送り届け」と、〈地〉情の上の御情、二人ははっとありがた涙、「この上にも清盛公の御心、長居は恐れ」と立ち上がり、「またもや御意のかはるべき、たゞこのまゝにお暇」と、〈謡〉夕つけの鳥が鳴く、〈ナヲス〉東の母にも御仁心、話さばさぞや御喜び、君が情はひることなき、蛭が小島、鞍馬の山に生い立つ若君誘ひて、〈謡〉花を見捨つる雁金の、〈ナヲス〉それは越路、我々は、打ち連れ帰る嬉しさよ、打ち連れ帰る名残かな。




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