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自分のこころを他人に委ねてはダメ

 本来、間違っている事なのに、それを正しいと思いこまされてしまうことが、この人間社会では何層にも重なっていて、何が本当のことか、わかりにくい状況になっています。
もう考えるのも嫌になっている人もいるのではないかと思います。

そんな時は、ちょっと立ち止まって考える時間を作ってほしいと思います。

私が良く疑問に思うことは、自分の中にある「道徳心」から生じてくる疑問。そして、一つの事柄に対し、なにか不穏な黒いものを感じた時に、「なんで?」ってひっかかるのです。

時間をかけて、その疑問を見つめていると、ああ、そういうことか、と分かったりする。

黙って、調べて、色んな人と交流して・・・。
自分と接する人の考えがどういったものなのか、会話の端々から悟ったり・・・。

私は小さいころから色んなことが不思議でたまらなくて、煮詰まったら近所の森や川のせせらぎを見つめながら物思いにふけっていました。よく、祖母や両親に質問していた気がします。私の人格形成の重要な要素です。
祖母から教わった、目に見えないもの、お天道様が見ている、という畏怖もあったともいます。

私の祖母、両親は、他人様を優先し、けして他人様の悪口も言わず、文句も言わない働き者でした。そんな大人に囲まれて育って来ました。

でも、それの土台が崩れた時期もありました。大学生になってからです。
かなり、道徳的な部分が崩壊し、社会人になってからもそれは続き、いつしか「自分さえよければよい」という傾向になっていた面もあります。それは、当時お付き合いしていた方の影響をすごく受けていたと思います。

まさに自分を喪失してしまった時期です。

その原因がなんだったのか、というのもはっきりとわかりました。それは、大変に仕組まれたものでした。世の中まるっとこれにやられちゃっている。

この話は大変重要な内容なので、また別の機会に記録したいと思います。
キーワードは「全体主義」です。

今、何年もかけて、私は今、本来の自分を取り戻せたと確信しています。それは、私の中に「道徳心」といいものが残っていたからです。

何を信じるか、それは、自分の中にあるもの、正しい心を真っすぐにさし続けることです。

けして、自分のこころを他人に委ねてはいけない。


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