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弱オタと往く 一泊二日鬼怒川の旅

3月の頭、唐突に敢行することになったプチ旅行の備忘録です。
こんなサムネとタイトルにしておいて推し活でも聖地巡礼でもないただの冷え切った(物理)家族旅行です。暇な人はどうぞ。


一日目


またも旅行に行った話。
冬休み、否、春休みに突入した1月末に突然父親が温泉旅行に行くと言い出した。どうせ県内の温泉に日帰りするだけなんだろうと高をくくっていたが、なんということだ、県外の温泉地に一泊二日で旅行に行くという。天地がひっくり返るかと思った。 しかしまあ、私も母も弟もそれぞれ予定があるわけで、特に弟はまだ春休みでは無かったので一泊二日と言えども一日は学校を休まざるを得なかった。しゃーなし、でも旅行とか余暇のためのずる休みって大切な経験になる気がする。私も県内でキャンプするためだけに中学をずる休みした時のワクワク感を未だに思い出す。 さて、言い出しっぺながら一家で最も怠惰な父親は、温泉に浸かれるところならどこでも良いと行先やらプラン計画は丸投げしてきたので私はかねてから行きたかった名古屋近辺に一応温泉地があるだの他にも観光地があったりするだのと理由をこじつけ提案してみたものの、一泊二日で行くには少々遠すぎる、あんまりあちこちは行きたくないというので却下された。ならそちらから何か折衷案を出したらどうなんだとささくれたくはなったが、それでやっぱり辞めるなどと反旗を翻されても寂しいので渋々草津温泉やら熱海やらの関東近辺の温泉地に絞った。 母親は割とアクティブで、せっかく温泉地に行くならついでに周辺の観光も楽しめそうな場所がいいとリクエストがあった。そこでポロッと日光とか?と言ったところ、ちょうど日光東照宮の近くに鬼怒川温泉だの川治温泉だのという温泉地がたくさんあることが分かったのでそこにしようとなった。あとはホテルだの、あとは乗れるSLだのがあるとのことだったのでついでに色々予約をして一日目と二日目のプランを立てた。この間、父親は鬼怒川温泉というメインを定める以外は全くと言っていいほど関与していない。まあ逆に言うとそれだけ自由に決めさせてもらった形になるが。
当日、とんでもなく眠い目をこすり朝6:00に出発。移動費を考えると若干安い(と言いつつ父親がドライブ好きなのを知っていたので)ということで車移動にしたこともあり早めの出発となった。私も複数人で長距離の移動となると電車より車のほうが落ち着く。一人なら電車のがのびのびできるけど。 早速私は移動中に眠っていたので道中のことはあまり記憶していないが、途中事故渋滞があっただの、母親が暖を取るため水筒に入れてきたコーヒーに麦茶の味が移っていただの、ドライブらしいドライブだったと思う。 栃木に突入してPAに寄ることにしたが、到着してドアを開けた瞬間あまりの寒さに季節を間違えたと思い知った。私は準備しているときに運動して暑くなっても体温調節が効くようにと薄いアウターとトップスを重ね着する感じにしてきたが、完全にミスチョイスだった。周囲の人を見ると分厚いジャンパーに身を包んでいたので真冬の格好をするのが正解だったらしい。しかも前日まで降雪していたので(雨男の父親と旅行をして快晴になったのはこれが人生初である)底冷えがとんでもなかった。そして私たちは2日間この強烈な山間部の寒さに凍え続けることになる。 到着してすぐ旅館の駐車場に車を停め、あと10分ちょいで出発するSLに乗車するため、風花の舞う強風の中、鬼怒川温泉駅に走った。トライアスロンか何かをやっているのだろうか。 寒がりで鈍臭い弟はこの時点で音を上げており、SLなぞいいから早く旅館に行きたいだのゴネていた。窓から手を振るからお見送りよろしく、というと私を追い抜き走り出した。4月から中学生男子、その意気だ。
なんとか乗車できたものの、私たちが乗った一号車はSL本体から最も遠く、そして最も新しめの車両だった。降りてから各車両を眺めたが、2~3号車は木造の造りだった一方で一号車のみ何故か現代的な電車の様相であった。しゃーない。 車内は桜やカラーフラッグ、ペナントなどで飾られた春仕様で、外界の寒さとは似つかない暖かな見た目だった。出発するや否や、ディズニーのアトラクションで聞けるようなテンション感でガイドをする綺麗なアテンダントのお姉さんが子連れのお客さんと戯れたり、頼んでもないのに写真を撮って売るためカメラを片手に巡回するお姉さんが現れた。記念なので一緒に激写された母に購入してもらったが、やっぱりカメラ写りは悪い。 前の座席にも子連れの家族がおり、特に赤さんが頻りに後ろを向いて私と母を見てニヤニヤするので、私は何となく連れてきたコウぬいでいないいないばあを披露したところ、赤さんにお喜びいただけたのが最高に嬉しい瞬間だった。私の人生においてリアルキャッキャッを拝受することができるなんてこの先そう無いだろう。その後、SLとすれ違う車両に出くわし、向かいの窓に居る女児に向かってコウぬいでバイバイしたところ、 女児がおもむろに取り出したデカアンパンマンぬいで対抗され、「こりゃコウに勝ち目はないな…」と抜かすとコウぬいを奇異な目で見つめていた母からも流石に同意を得ることとなった。
到着して、ようやくSLのSLらしい先端部を撮影することができた。道中たまに煙がモクモクしている以外は普通の電車と乗り心地は変わらなかったので、警笛とともに煙を上げる姿を撮影できたのは何よりの喜びだったと感じる。 そこからは普通の東武鉄道で日光東照宮に向かった。バスで東照宮に向かう前に東武日光駅の近辺で昼食を摂ることにしたが、とにかく寒いので最初に見つけたレストランに直行した。あまりに行き当たりばったりである。 しかし、ここで食べたジンジャーチキンが人生で食べた肉料理ランキングトップ3に入る美味しさだった。肉自体食べられるようになったのはつい最近のことだが、親戚宅で食べた黒毛和牛すき焼きと同じかそれ以上に美味しい。生姜焼きのような味かと予想していたが、思ったよりガーリックが効いていて、鶏肉もすんばらしくジューシーだった。思い出すだけで唾液が止まらない。 メインディッシュだけでなく、前菜で通された生湯葉で完全に湯葉にハマってしまった。この後も旅館で出される夕食などに湯葉があったりするのだが、生だからなのか圧倒的に滑らかさと濃厚さがあって、醤油をあまり垂らさずとも自然な大豆の甘みと塩味があっていくらでも食べられる。それまで豆腐の絞りカス程度にしか捉えてなかった湯葉の見方を大きく変えられた。

SL、コウだよ


左端のモニョモニョが生湯葉。美味。



すっかり腹も満たされ身体の芯から温まったところで再び強烈な寒風の吹き荒れる東照宮へと向かう。 バスの終点で降りてから前日の雪でぬかるんだ土道を進んでいくと、突如「日光東照宮」と刻まれわかりやすい石柱が現れた。母は頻りに私と弟で写った写真を撮りたがったが、私も弟も寒いので一刻も早く先に進みたかったのもあり石柱だけで十分だと断った。 早速入場する列に並ぶ。大学生のグループと思われる団体がワイワイしていたが、正直そんな盛り上がるような場所には思えない。歴史好きといった感じにも見受けられなかった。修学旅行のリベンジか? 入場料がかなり高かった。将軍様のお膝元となれば妥当な金額なのだろうか、にしても神社を参拝するのにお札が消し飛ぶのは初めての経験だった。 参拝するのにあらかじめ順路が決まっていたので、途中で迷うということが無かったのはありがたかった。最初にかの有名な三猿を拝んだ。人間の一生を猿で風刺したというらしいが、誰が何の目的で「見ざる言わざる聞かざる」をチョイスしたのか。「〇〇ざる」ならもっと他にあっただろうに。と思って今調べたところ、悪しき事柄に近づくことなく、良きことだけを積極的に取り入れることで良き人間になりましょう、といった意味が込められていたらしい。いや、自分で善悪判断ができるならいざ知らず、まだそれが自分にとって良いか悪いか分からないのに三猿の命題に従って知ることを避けてしまう危険があるだろう…まあ昔の人のことわざって割と語感というか語呂で伝わってたりするしな。
次に本殿へと向かう。眠り猫、というモチーフが入口に象られているらしい。龍だの菊だのがふんだんにあしらわれている坂下門の上を見やると、思った以上にこぢんまりとした眠り猫がそこには居た。裏には戯れる二匹の雀も居り、猫が眠っていられて、雀が戯れていられる、弱者と強者が共存できる平和な世を反映しているらしい。身近な動物にそういうものを見出すのは生類憐みの令を発する綱吉の大おじなだけある…いや、家康の没後に綱吉が造ったのだから綱吉の嗜好なのか。 その分厚く狭い入口をくぐると、その先に続く段の高い石畳が奥殿まで続いていた。この時点で両親ことじじばばは足腰の動きに通信制限が掛かっていたし、私より八つも若いはずの弟も引きこもり生活が祟り筋肉痛を訴えていたものの、今更参拝客の波に逆らうこともできず、結局そこから207段にも上る石畳を進むこととなった。数字にするとそこまで長くないように思えるが、一段一段の段差がエスカレーターかそれ以上に厚いため、なかなかの運動量になった。 やっとのことで奥宮に辿り着いた。が、思ったより小さな社殿で肩透かしを食らった。その奥の叶杉を見つけ、ご利益を…と思ったが、ここでのお祈りにも営業時間があったようで、境内を閉じる16時ギリギリで入内したこともありお祈りはできなかった。この慌ただしさ、中学の自由行動時間を思い出す。 おみくじを引くだけ引いて中身も確認せず鳴龍を見に手前の社殿へ向かう。鳴龍の説明をする坊さん、今日一日ずっとこの説明をし続けてたんだろうな…とあまりに滑らかでスピード感のある説明と疲れ切った顔をみて思った。お疲れ様です。そして鳴龍の真下で鳴らされる拍子木の響きは本当に不思議だった。
16時前に東照宮を出たものの、チェックインの18時までに間に合いそうも無かったので、タクシーを呼んだ。やってきたタクシーの運転手のおじ様は、観光客だと知るや否や、とても得意げに道中のうんちくを語り始めた。東照宮は天台宗の総本山だの、家康が死んでから1年とちょっとで建築されただの、詳しいことは聞き流していたので覚えていないが、とにかく、日光周辺は仏教を信仰してた徳川一族にとって何やら神聖な地だったらしい。日本史を勉強しておくべきだったなと思う。 やっとのことで旅館に着くと、何やらロビーに和風な入口とはそぐわぬ二次元美少女の等身大パネルが設置してあった。「鬼怒川 日向」というその子は中々に良いビジュアルだった。どうやら「温泉むすめ」というコンテンツの一つだったようで、その横には温泉むすめ公式ビジュアルブックと、宿泊客の書き置きノートがあった。書き置きノートを見ると、日向ちゃん目当てでわざわざ宿泊しに来たオタクも多いようで、中にはすごい絵師が書き置きを残していった様子もあり、意外なところでオタクとしてのテンションが上がった。そして、ビジュアルブックに載っていた全国の温泉地を美少女化した子たちの中には、我らが地元、石和温泉が擬人化した子も居た。名前はなんと「石和 紅(いさわ こう)」。べに、ではなく、こうと読ませる辺りホンモノっぽい。そしてビジュアルは完全に長門有希に影響されていて、ぜひ卯月コウと邂逅させたいと思った。物静かでクールな第一印象とはかけ離れた陽気なオタク気質のある性格まで似通ってて笑った。
そうこうしていると、明るい髪の綺麗めなお姉さんが部屋まで通してくれた。この旅館は、3つの棟に分かれており、それぞれにランクがあるようだった。私たちが泊まったのはそのうちの真ん中のランクである棟で、棟の中でも階数ごとに雰囲気が違うらしい。私たちが泊まった階は部屋ごとに花の名前がモチーフとなっているらしく、扉の横には「椿」とあった。スケダンを見てから椿と聞くと下まつ毛長猫男が浮かぶようになったので幸せ。 部屋は真ん中のランクと言えども中々に広々としていて、綺麗な和室だった。椿と銘打たれているだけあって、茶の間のテレビの横には椿の綺麗な絵が飾られていた。襖で仕切られた小部屋には既に二つ布団が敷かれていて、あと2つがちょうど茶の間に敷ける、家族四人でちょうどよいサイズ感といった感じ。部屋風呂も使わなかったけど窓から鬼怒川が一望できる素敵なビューと大きな洗面台、トイレは玄関近くに別であったのも良かった。 早速温泉に…と思ったが、夕食の時間はあらかじめ旅館で定められており、19時に大広間に用意されるというので先にそちらで夕食を摂ることにした。なんとも時間設定が修学旅行な2日間である。
夕食はまあよくある会席料理といった感じ。すごく美味い!というよりは普段食べない未知の食材に舌鼓を打つ…という感じだった。でも湯葉の刺し身と湯葉しゃぶは美味しかった。正直それだけ食べられたら十分まである。特に、昼食べたチキンがかなり腹に溜まっていたので、その後の豚肉焼きなどは食べきれなかった。アイスは美味しかった。 売店でお土産を見たり、誰も居ない謎の漫画とダーツが置いてあるスペースに行ったり、普通の扉で歌声がだだ漏れのカラオケスペースに行ったりと、館内をひとしきり探索し終えた後に温泉へ向かった。男女湯が時間で交代するタイプの風呂だったので本当はどちらも行きたかったのだが、翌日はあまりの眠気で朝食の時間ギリギリに起きたのでそれは断念した。 温泉は良かった。良かったのだが、内風呂外風呂のそこかしこで友達同士で来たと思われる若い女性や、同じ会社の同僚と思しき女性同士の愚痴ニケーションが裸の付き合いとやらで暴発しており心は休まらなかった。早々に温泉を出て、部屋の鍵を持つ母と二人で、ちょっと早く出過ぎたかしらなどと話しながら部屋へ向かうと、父と弟が待ちくたびれていた。言い出しっぺなのにすぐ上がってるじゃん、と思ったがどうやら向こうも向こうで気が休まらなかったらしい。まったく、何の目的で旅行に来たんだか。 部屋に戻ると一気に眠気が来たものの、弟は売店で買った金ピカ徳川一族トランプでババ抜きをするんだと意気込んでいたために、何回かだけ付き合うことになった。家族全員、どんな絵柄のトランプなのか気になっていたが、開けてガッカリ、裏面の歴代徳川将軍の名だけで、表の絵は何の変哲もないただのトランプだった。お土産なんてそんなもんだ。 ババ抜きではすこぶる運が良く、三回連続で私はすぐ上がった。一抜けは弟だったが。 母はいつでもババ抜きが弱い。2回ババで一回だけ父がババ。ババ抜きに年齢差などないはずだが、何故か私と弟ばかりが勝つことが多いのだ。 その日はババ抜きをしてすぐ寝た。


鳴龍でも三猿でもない二匹の象


「嫁」感がすごい温泉むすめ

二日目

とんでもなく眠かった。それでもなんとか7:30には起きて準備をした。枕が変わると眠れない母は案の定良く眠れなかったようだ。私が横で盛大ないびきと歯ぎしりをかましたのも要因の一つのようだったが。 父親は更年期だのなんだので一時間も眠れなかったという。そんなんで今日一日大丈夫か?と思ったが、朝食後にもう一度眠りこけていたので大丈夫だと思った。
その日は私が行きたがった江戸村へと足を運んだ。相変わらずさっむい。山肌が見えるほど山に近く、京都の映画村を彷彿とさせるテーマパークで、江戸の住人の服装に身を包む役者を見ているだけで心が踊った。はじめに忍者劇場を観に行ったところ、思った以上に本格的な忍ッ!でビビった。爆竹とか普通に出てきて子ども泣くぞ?と思ったが、やられ役の役者が刺された後に「ほんとにしんだ?ねえほんとにしんだ??」と心配するお声が聞こえてきて周囲から暖かな笑い声が聞こえてきた。 その次に、水芸を観に行った。水芸って何ぞ??と見るまで知らなかったが、江戸幕末に日本で誕生した奇術の一種らしく、舞妓さんのような出で立ちの女性が湯呑みやら扇やらから細い水流を出したり止めたりして、まるで本当に水を移動させているみたいですごかった。途中、囃し立て役のおっちゃんとの掛け合いもあり、ドリフを観ているような感じで面白かった。
お土産を見つつ、次に奉行所での裁判?を覗き見した。これまたザ・ドリフターズな感じで、終始コミカルだった。途中、証人が証拠の動画をyoutubeに…と言い出した辺りからは銀魂を感じざるを得なかった。 水芸場でも言われた「お捻りの紙」というものの説明で、要はチップを包んで投げてね、というものなのだが、劇の最中に投げるのは危ないからやめてほしいといった説明の後に、女児が手渡しで役者に紙を渡しに行った時はまじで世界が幸せに包まれていた。どこからか役者がぞろぞろ集まってきて中身を開けるや否や「うおおおおお!やる気出ました」と言ってまた散ったのがまじで面白かった。 裁判が終わると、昼食にしようとなったのだが、寒いからうどんを…という母をよそ目に、どうしてもじゃが串が気になってしまった私を見かねて、じゃが串の店で串ものや焼きそば、おでんをそれぞれ買ってつつくことにしてもらった。その後すぐ開幕する花魁芸を見るため、急かしてもらった上に中央に近い位置を私が陣取ってしまったので少し反省。太夫とイチャコラする権利のある大臣は男性限定らしく、フリーザ様に良く似たお声の持ち主の旦那が前列の男性を「そこのアナタ!」と指名した時は戦闘力を測られるのかとオタクは勝手に身構えていた。
 その後に弟が行きたがった忍者からくり屋敷に行き、見事下忍の称号を得た。いまいちダサい。そして村をだいたい回りきったので、洞窟の中で生首だの真っ暗闇の中を妖しげな赤い光に照らされたゾーンを進むだのお化け屋敷なのか何なのかといった忍者迷路をやって、お土産を買って、あとプリンを食べたりして帰ってきた。

卵かけご飯みたいなビジュなのに味はプリンで不思議だった


水芸を観たお屋敷。歌舞伎座みたいな雰囲気だった


 2日間のはずが三泊四日してきたような疲労感と、充実感を得ることができた。 
 20余年にして、恐らく最初で最後の泊まりがけの家族旅行となったが、父と母がまともに動けるうちに実現できて良かったと思う。正直次があるとしたら、もっと長期間でゆったりとしたプランを立てたいし、男女で別行動にしたいところではあるが、家族全員で楽しめる瞬間も無くはなかったので、悪くはなかったのではないかと思う。 普段見られない景色、味、体験ができるのは旅行の素敵な面で、できれば一人旅でも1,2年に1回は行けたらいいな、なんて改めて思ったりした。お金と心に余裕のある時に、また検討したい。


アセビという花。花言葉は「あなたと二人で旅をしましょう」

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