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三石巌の分子栄養学講座−2

この文章は三石巌が1984年に初めて分子栄養学を勉強される方へ向けて書いたものです。


個体差の栄養学

古典栄養学は、カロリー計算や栄養のバランスの主張となりました。そこには、ビタミンは潤滑油のような役割をもつ栄養物質であって、微量で足りるという考え方があります。これは極言すれば、私たちが生きていくための条件をもとめる科学にすぎないといえるでしょう。病気も寿命も体質も、そこでは問題にされません。

私どもの関心事は、生存の条件ではなく、能力の問題であり、老化の問題であり、病気の問題であるといってよいでしょう。それはつきつめてゆけば、体質の問題、個人差個体差の問題だと思います。ところが、古典栄養学は、ここまで切りこむ手段をもっていません。これに対して、分子栄養学は、人類共通の栄養条件をもとめるばかりでなく、一人一人の栄養条件をもとめる科学といってよいものです。それは、個体差に注目しつつ、人類全体を射程内にいれた栄養学なのです。

分子栄養学の分子は、遺伝子をさすものでした。周知のとおり、数十億といわれる人類のなかで、同一の遺伝子のセットをもつ人は、一卵性双生児以外にないのです。遺伝子に注目する栄養学は、一人一人を区別して、栄養面からみた個体差を問題にせざるをえません。そしてそこにこそ、分子栄養学の存在理由があるのです。

私たちのまわりを見わたすと、寝たきり老人もいます。朝から晩まで活動している人もいます。非行少年もいます。そうかと思うと、コンピューターを発明する人も、スペースシャトルの計算をする人もいます。ガンの研究をする人もいます。人それぞれに、能力に差があり、体力に差があり、健康レベルに差があります。そしてそれは、結局は個体差の問題になります。

このようなさまざまな面に個体差があっても、人間は人間です。その意味で、全ての人は古典栄養学の対象になります。しかし、このように巨大な個体差に目をつぶることは、現実的といえません。

私たちのあいだに、いくら大きな個体差はあっても、人間は人間です。その遺伝子は、人類の遺伝子なのです。私たちの生命活動は、遺伝子の完全な指揮下にあります。だから私たちは、鳥のまねもできず、魚のまねもできないのです。人間のやることは全て、人類の遺伝子の指揮下にあります。能力の個体差が存在することは、遺伝子の指揮が干渉的なものではなく、寛大であることを証明するものです。遺伝子の指揮下において、ベートーベンは交響曲を創作し、アインシュタインは相対性理論を発見したのです。

こんな例をあげるまでもなく、人間の個体差は莫大なものです。それは結局は遺伝子の違いと無関係ではありません。その個体差をその人の弱点にしないためにの栄養条件をもとめることが、分子栄養学の目的なのです。

DNAは十人十色

私たち人間の仲間を見ると、背の高い人もあり、背の低い人もあり、デブもあり、ヤセもあります。顔についても、丸顔の人もあり、角ばった顔もあり、鼻の高い人もあり、鼻の低い人もあります。髪の色、爪の形、目の大きさ、眉毛の形と、外見上の特徴となる要素は数えきれないほどたくさんあります。

私たちはまた、この外見上の特徴が、多少とも親ゆずりであることを、よく知っています。結局、これらの要素に、遺伝がからんでいることを認めない人はいないでしょう。

ここにとりあげた問題は、外見上の個体差というものです。その個体差が遺伝子レベルのものであることを、ここではっきりしたいと思います。遺伝子は、DNAという名の分子の上に並んでいるものですから、遺伝子レベルというかわりに、DNAレベルということができます。これからあとに、DNAという言葉がでてきたら、それは、遺伝子の意味、遺伝子群の意味にとっていただきましょう。

十人十色という伝承があります。これは、十人の人を集めれば、身体の形も、顔の形も心のすがたも、十色になることをいっているのです。それはつまり、人間には明白な個体差があるという事実を述べたことになります。それは、人間の遺伝子が、いやDNAが、十人いれば十色だ、というのと同じことになります。

外見上にこれだけのはっきりした個体差があるというのに、身体のなかの臓器に、あるいは細胞に、個体差がなかっとしたら、おかしいものでしょう。

一昨年のことですが、私の弟が皮膚の移植手術をうけました。移植した皮膚は彼のものでしたが、もしも私の皮膚を使ったとしたら、成功の可能性は、まずありません。弟の皮膚は、色が少し黒いこと以外の点で、私のものと外見上も機能上も違いません。しかし、その実質であるタンパク質に違いあります。だから、移植にはむかないのです。

皮膚は親ゆずりだから、兄弟のそれは同じでよさそうなものですが、それがそうではありません。皮膚の遺伝子DNAに、違いがあるからです。 私の親は、私にも弟にもDNAを譲りました。ところが、その譲る過程に突然変異がおきました。私がもらったDNAは、親のものを多少変化したものになっています。弟もそうですが、その変化した形が違うので、私と弟とで、DNAがちょっぴり違います。それが皮膚にあらわれたから、兄弟で皮膚の実質が違うことになるのです。

DNAの違いは皮膚にあらわれるだけではありません。全身にあらわれます。私の身体のどの部分も、弟に移植するわけにいかないのです。


三石理論研究所


三石巌
1901年 東京都出身
東京大学理学部物理学科、同工学部大学院卒。
日大、慶大、武蔵大、津田塾大、清泉女子大の教授を歴任。
理科全般にわたる教科書や子供の科学読み物から専門書にいたる著作は300冊余。
1982年 81歳の時、自身の栄養学を実践するために起業を決意し、株式会社メグビーを設立。
1997年 95歳で亡くなるまで講演・執筆活動による啓発につとめ、
生涯現役を全うした。


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