小さな「(謙)虚」人

今年ももう終わりだ。
年の瀬にやはり今一度
私が「note」を始めるきっかけになる
驚きの感動を与えてくれた
小さな「虚人」友野一希選手に
心から感謝を贈りたい。

何故「虚」人と書いたのか。
それは彼のインタビュー記事等を読んでみて(好奇心旺盛の自分は、その感動の演技から「友野一希」さんの人となりに興味が湧き、つい色々と読んでみたわけであります(笑))
友野選手の謙虚さが演技の深さや表現力に繋がっているんだな
と、凄く腑に落ちたからだ。

小さな、とは。
彼の身長が
「Wikipedia」(笑)によると小柄なことに驚いた。
え??マジで??
その身長を思わず二度見した。
そんなはず無いだろ、と思ったのは
友野選手のスケーティングの成せる技なのだろう。

とても壮大で優雅で繊細で力強い
真逆の表現をその滑りで見事に1つの世界を創りあげているからだ。

そしてそれは
テレビの画面いっぱいに収まっているから大きく見えるのではなく
紛れもなく内面から溢れ出るエネルギーであり、
彼の持つ器の大きさなのではないだろうか、
と納得した次第である。

私はスポーツ&芸術&文化色々と興味津々人間なので
アスリートもアーティストも文化人も
その技術の高さや能力に驚いたり
その結果を称賛したりするが
心底から感動するかといえば
誰に対してでもではない。

心深い感動まで辿り着くには
その人自身の人間性が大事だと常々
思っている。
短所のない完璧な人間、のことを言っているのではない。
本来の「人間性」である。

芸術で言うなれば
人間性は必ずその演技に現れる、
と私は確信している部類だ。
フィギュアスケートでは特にジャンプとか(言い方素人っぽくてスミマセン(笑))よりも
「表現力」はその最たるものだろう。

前回のnoteでも熱く語ったが(笑)
友野選手の類まれなる「表現力」
の根底には
彼の全ての事に対する「謙虚さ」が
太陽の光を浴び湖一面に輝く
透きとおった美しい水面の如く広がっている様に感じるのだ。
何とも純粋に心地よいではないか。

勝負の世界は厳しい。
結果が全てと言う人もいる。
しかし
たとえ前代未聞の結果を出しても
そこに人間性が伴わないなら
それは単なる凄い記録としてしか
私には残らない。
そしてまた記録というものは
いつか塗り替えられてしまうものだ。

友野一希選手がご自身の納得する
結果を出される時
その結果を導いた人間性を知る人は
記録と記憶の両輪を
その心に刻みつけるに違いない。
そしてそれは塗り替えられることなく残り続ける。

より高みを目指して。
更に輝く道へ。
友野一希選手の未来に大いに幸あれ!






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