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「わたしに会いたい」読書感想

移住先のカナダ・バンクーバーで乳がんが見つかり、両乳房摘出手術を受けた日々を綴ったノンフィクション『くもをさがす』(河出書房新社、四月刊)が、八月には二五万部を突破し話題となった西加奈子さん。最新刊『わたしに会いたい』は、小説としては長編『夜が明ける』以来二年ぶりとなる、ラブレター的短編集。


#わたしに会いたい
#あなたの中から
#VIO
#あらわ
#掌
#Crazy In Love
#ママと戦う
#チェンジ

八話編成で、作者の闘病生活やバイト時代の経験談などをもとに書かれている。女性である上での価値やグラビアや風俗業に関して、女性にパワーをもらえるような内容である。

前著「くもをさがす」は自身の乳がんを患った経験談を交えた作品となっている。
今回の「わたしに会いたい」は、客観的に描かれて、自他の自に向けての愛情表現が溢れている。

中でも、「あらわ」と「チェンジ」は男性も目を逸らせれてはいけないとひしひしと感じた。

あらすじも兼ねて作品紹介。

「あらわ」は、Gカップを売りにしているグラビアアイドルの露(あらわ)の話。19歳からグラビアの業界に入り28歳で乳がんを患い乳房を摘出し。再建手術を拒んだ後の業界人の対応が、生々しく男性目線な暴力的意見をぶつけられている。

「チェンジ」は、昼間はアパレル店員で夜職としてデリバリーヘルスを営む女性の話。デリヘルの制度としてあげられる「チェンジ」。男性の性的欲求がある上での商売ということは承知だ。しかし、この制度があることで男性が買収側という、行き過ぎた立場の担保に加担しているようにも感じる。

どちらの話も現実問題として、目を逸らしている人間が大半である。
しかし、大半が目を逸らしていても問題として取り上げられず、「そういうもの」としてくくられる日本の性産業の答えが何よりの問題だろう。

そんな中、「あたしに会いたい」は決して選択した自分を卑下せず、目線を落として自分で納得することもない女性の強さに心から感銘を受けた。
もちろん、全員ができることではないが一つの肯定や反対の意として行動する姿に、大人への階段を大きく踏み出したのだろうと読み手は勇気づけられる。

〇あらわ
露は、グラビア雑誌で表紙飾ったこともあり、周りからの好評も実感していた。SNSでは度々「今回の撮影では乳首が見えた見えていない論争」が勃発していた。グラビアなのでギリギリ見えないことで価値と需要がどんどんと上がっていく。
その後、露は乳がんにより乳房を摘出してから「みんなが見たがっていた身体を魅せよう」とアダルトビデオに立候補した。しかし、「おっぱいもない、※坊主頭の女のセックスに需要は無い」と当時担当者に吐き捨てらる。(※手術のため坊主に)

「乳房の無い女性はセックスを楽しめないとでも?」
「坊主頭で乳房の無い女性はエロくないとでも?」
露は自分でなく乳房に需要があり、担当者に腹を立てたと同時に「こっちはこっちで楽しんでやる」と決意。
公共の場でホルマリン漬けした乳首をさらけ出してやろうと、乳首をピアスとして装飾し街へ歩き出す。

〇チェンジ
「チェンジ」の一言でどれだけ傷つくか想像できているか。
男性からしたら当然の権利と言ってしまえば終わってしまう話ではある。
チェンジを伝えられ全く動じない女性もいるかもしれないが、チェンジの度に葛藤し眠れぬ日を過ごす女性もいるだろう。
作中の女性はチェンジが、こんなに自分を傷つけるなんて、思いもしなかった。傷ついている自分が嫌だったし、自分を傷つけた男性にもムカついた。
それだけでない。
「みんな結構歳だから、人妻で売ろう」と言ったデリヘルオーナー、
「派遣だから身の程をわきまえろ」と態度に出すアパレルの店長、
「金がなくなっても、身体売れるから女っていいよな」って言ったいつかのデリヘル客、
「風俗業に従事する可哀想な女性たちを救いたい」と上からものを言う慈善家、などなど。
主人公の女性は周りに合わせて散々変わろうとして、精神も身体もボロボロになりながらすべてに対して怒っている。
そんな中、そのすべてに対して女性は大声で叫んだ。
「チェンジ!!」


「わたしに会いたい」の八作中の特に印象深かった二作。
女性が性産業を通して怒りを感じ、その取った行動が自分にはとても女性として誇らしく清々しくも感じる。
怒り溢れて取った行動が、ある人にとってはかなりハードルが高く感じるかもしれない。
しかし行動はただの手段であり、目的はどんな自分でも肯定し愛する事だと思う。

「あらわ」「チェンジ」どちらの主人公も、物語の最後には初めと全く別人のように読み取れる。
怒りを経て本当の自分をさらけ出した姿は、他人とは決して比べられるものではなく、人間に変わりはないが、どこか吹っ切れて神秘的なようにも思える。
現代社会の、他人の目を気にして生きている人とはかけ離れた存在であろう。

殻を破った時の姿が、ボロボロであっても、トゲトゲであっても、どんな状態でも本当の自分には間違いない。
作者西加奈子さんは、そういう意味を込めたかはわからないが、この作品を読んで自分も「わたしに会いたい」と感じた。



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