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川島郭志vs松村謙二 1993年4月6日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.9」

すっきりしない結末だった葛西vsトーレスから3日後。

世界に一番近い男と目された、葛西裕一アブラハム・トーレスの大一番からわずか3日後。もうひとつの大一番がやってきた。葛西と並ぶ日本ボクシング界の期待の星、川島郭志と、歴戦の雄、松村謙二による、日本ジュニア・バンタム級タイトルマッチだ。

ボクシング・マガジン93年4月号のスケジュール欄は以下のような文言で同カードを紹介していた。

「松村は鬼塚勝也への挑戦を果たせず、4度目の世界挑戦に失敗して以来のリング。ジムの移籍も辞さなかったベテランが、プロ8年目、33歳にして初の日本タイトル挑戦である。しかし、チャンピオンの川島は遅まきながらも才能を開花させ、進境著しい23歳だ」

葛西裕一(帝拳)とともに世界に一番近いと目される日本ボクシング界期待の俊英・川島か、それとも、ベテラン・松村が飽くなき執念で5度目の世界挑戦を手繰り寄せるか。鬼塚を軸に川島の世界との距離を測るのにも最適な一戦となるはずだ。

前年7月の小池戦で、華麗過ぎる川島のボクシングに衝撃を受け、ふたたびの生観戦を熱望していた僕だったが、なかなかその機会は訪れなかった。

川島の次戦は、10月14日、両国国技館において大橋秀行が世界王座への復帰を果たした興行のセミ・ファイナル試合として行われたが、僕はこれに行っていない。というのも、この当時「後楽園ホール至上主義者」であった僕は、大会場で行われる「世界戦はテレビで観るもの」と、なぜか頑なに心に決めていたからだ。ちなみにこの時の相手は杉辰也。そのまた次の松尾哲也(緑)戦は後楽園ホールで行われたものの仕事の都合で観戦できず。

9か月ぶりにうようやく訪れた生観戦のチャンスに、心を躍らせながら後楽園ホールへと向かった。

勢いに乗る川島の独り舞台。

前座は、8回戦が2試合、4回戦が5試合。8回戦には、それぞれ西沢良徳松島二郎が出場。西沢は判定勝ち、松島は1RでKO勝ちを収めている。

松島二郎は『元気が出るテレビ』内のコーナー『ボクシング予備校』の出演で一躍人気者となり、ライバル役だった飯田覚史と争った全日本新人王決勝戦なども当時、同番組で大きく取り上げられていた。それが前年の92年2月のこと。たぶんまだまだホールには彼目当ての女性ファンの姿もあったはずだ。

そして、いよいよメインイベント。今回も当時の記憶と、動画を見直した感想で試合を再構成してみたい。

1R。試合開始と同時に、川島が軽やかなステップを踏みながらジャブを突いていく。リラックスした動きは、王座獲得から早くも3度目の防衛戦となるチャンピオンの余裕のようなものを感じさせる。

松村もジャブを突きながら、時折、ダッキングから飛び込もうというようなトリッキーな動きをみせる。スピード勝負ではかなわないだろう。川島のスピードあるパンチをどうかいくぐって接近戦に持ち込むか。松村はいきなりの右ストレートなどをふるって前に出る。しかし、その動きを川島は見切るようにバックステップして、松村の打ち気をそらす。そして、今度はすばやく踏み込むと、スピードに乗ったコンビネーションを打ち込む。

残り1分くらいに、そんな一連のコンビがヒットし、会場が沸く。この時点ですでに圧倒的なスピード差がみてとれる。また松村のパンチからは力感もいまひとつ感じられない。怖さがないのだ。クリーンヒットは少ないものの、ペースは明らかに川島が握っている。

2R。川島は細かいフットワークと上体の柔らかな動きで、的を絞らせない。そのため松村は打っていきたいところだろうが、手数はあがらない。また、今日の川島はボディ・ストレートを多用している。上下にも揺さぶりもかけているようだ。強引に入ろうとしても、前のめりの体勢になったところに速いコンビネーションをまとめられるし、松村からすると打つ手がない感じに早くもみえる。

それでも中盤には頭を振りながら中に入り、左フックから右をボディめがけて強振するというパターンを何度かみせる。しかし、打ち終わりを狙われ、何発かクリーンヒットを許すと、途端に動きがおぼつかなくなる。フットワークが怪しくなり、パンチへの反応も鈍い。川島の狙いすました左ストレートが何発かクリーンヒットする。明確に川島のラウンドだ。

3R。松村の動きを完全に見切った川島のフットワークがますます冴えわたる。松村が前に出ようとするタイミングに合わせてサイド・ステップ。そして、右フック、左ストレートのコンビネーションを叩きつける。その華麗な動きには見惚れるばかりだ。

翻って、松村の動きの固さ、スピードのなさばかりが目立ってしまう。33歳。残酷ながら、ロートル・ボクサーという言葉が脳裏に浮かぶ。この時点で、すでに興味は勝負ではなく、川島がいつ決着をつけるかの方に移ってくる。

4R。距離がいきなり近い。わざと正面に立つかのような川島に松村は右をふるう。しかし、川島はそれを難なくかわし、力のこもった左右のフックから、左ストレートを返す。松村の腰が一瞬落ちかかる。それでも松村は果敢に右を振りながら前進する。しかし、その動きには、いかんせんスピードがまるで感じられない。連打をまとめる前に、川島はステップで体勢をいれかえ、素早いコンビネーションを返してくる。

2分過ぎ。連打の中のひっかけるような右フックが松村の顎をとらえる。よろめく松村。しかし、終了20秒前、松村の意地か、詰めにかかる川島に右ストレートを大きく伸ばすと、それがこの試合ほぼ始めて川島の顔面をきれいにとらえ、その頭を大きくはねあげた。

やっと訪れたチャンスに前へと出る松村。しかし、若干、体勢が突込み気味になるところを、再び川島のひっかけるような右フックがジャストミート。松村は足をばたつかせながら、後方にしりもちをつくように、この試合初めてのダウンを喫する。カウント8で立ち上がるが、よろめきながらロープをつかんでようやく体を支えている。ダメージは深刻、というか、ここで止めてもよかったくらいだ。試合再開とともにゴング。川島は両腕を掲げてコーナーへと帰還。勝利を確信している様子だ。

5R。ゴングが鳴り、両者がリング中央へと歩み寄る。この時点で、松村の足取りは頼りなく、ダメージが抜けていないのがありありだ。川島が打ちかかると、ブロックの体勢はとるものの、反応は鈍く、数発を無防備にもらう。それを見て、松村のコーナーからタオルが投げ入れられた。レフリーがすかさず手を交差させながら割って入る。タオルを投げ入れられたことに気がついていない松村は、「まだできる」と言うかのように、手を振りながらレフリーに続行をアピールする。しかし、悲しいかな、その足取りは定まっていない。

当時も、動画で見直した今も、レフリーにすがるようにして続行を懇願する姿にもの悲しいものを感じずにはいられない。闘志はあるのだろう。けれど、体の方は決定的にそれを裏切ってしまっている。

試合を通じて、松村のボクシングにはスピードも力感も感じられなかった。ランクは日本1位だが、正直、この試合の松村にそんな力が残されていないことは誰が見ても明らかだと思う。数年前、あのカオサイ・ギャラクシーに驚異の粘りをみせた面影は、完全にこの時点では消え去ってしまっていた。衰えが顕著と言われた前年の鬼塚への挑戦時と比べても、さらに衰えているようにみえた。

松村謙二のボクサー人生とは。

23歳の上り坂の日本王者と、衰えを隠せない33歳のチャレンジャー。残酷な新旧交代の構図。しかし、僕は、レフリーに手を掲げられる川島よりも、敗者である松村から目が離せなかった。この試合の出来からして、これが松村のラストファイトとなることは濃厚だろう(実際にそうなってしまった)。

一度は警察官になりながら、アマチュアボクシングの試合に出るために職を辞し、後に体育教師に転身。それもプロボクサーとなるために退職している。二度までも安定した生活を捨てて、世界チャンピオンの夢に挑んだ。妻子もある。というようなことは、専門誌の記事等で目にしていた。

負傷判定で敗れた文成吉との三度目の世界戦後には謙一から謙二に改名。そして臨んだ鬼塚勝也との世界戦は5RTKO負けに終わる。ジムから引退を勧告されるが、それを拒否。ジムを移籍して、この試合に臨んだ。

勝って日本チャンピオンになりさえすれば、すべてをひっくり返すことができる。5度目の世界挑戦の目も出てくる。そんな飽くなき執念でもって挑んだ試合だったはずだ。

しかし、結果は、俊英に一矢を報いることすらできないままの、完膚なきまでの敗戦。

現実とは、ボクシングとは、時になんと残酷なものか。

3度の防衛戦をいずれもKO勝ちで飾った川島には、遠からず世界戦が用意されるだろう。彼の前には洋々たる未来が開けている。

しかし、松村には…。

けれど、と、あれから30年を経た今は同時にこうも思う。最後の最後まで自分の可能性を追求し、そして、そのための舞台を十分に与えられた松村謙二のボクサー人生は決して不幸なものではなかったのではないか?

自分のすべてをぶつけるに足る舞台を渇望しながら、ついにそのチャンスを得ることなく去っていったボクサーを、僕はその後幾人もみた。というか、実際にはそんなボクサーが大半なのだ。

それに比べれば、松村のキャリアは十分に栄光と誇りに満ちたものだと思う。この川島戦にも、結果だけからでは推し量れない鈍い光のようなものを、今では感じる。


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