奇跡の男
さて、“アマゾンの”
それも“野生の”
となれば、いくらチョコレートやカカオ脂の知識があったところで、やはり素人が手懐けられるほど「野生のカカオ豆」は簡単ではなかった。
そのため、一度日本へ帰国するためにアントニオさんの友人の日本にいる小松さんにコンタクトしていた。
僕がバウレスに滞在中に、カカオのなる森を幾人ものバウレスの住人たちが案内してくれた。
ヨナタン(英読みだとジョナサン)もそんな1人だ。
彼は当初、マリアママのホテルで一緒に生活をしていた。
マリアの友人がホテルの手伝いをしており、彼はその息子さんだった。
そのマリアの友人のミリアムが、旦那さんの仕事先であるコチャバンバへ戻って行ったのと、時同じくしてヨナタンもマリアのホテル近くの自宅へと戻っていた。
そして今年、雨季の訪れと共に僕は町のみんなに「カカオはまだか」と会えば質問をしていた。もちろんヨナタンにも。
ある日のこと、ヨナタンとすれ違った(彼はバイク)際に「今日時間あるから、森にカカオを見に行こう」と誘ってくれた。
ボリビア時間にもだいぶ慣れていたため、どうせ今日行くことはないだろうとヨナタンとの約束も、軽く受け止めた。
すると数時間後、彼は本当にマリアママのホテルまで迎えに来た。
「僕はマリアにあまり良く思われていないから、早く行こうぜ」
そう言うと、僕をバイクの後ろに乗せ走り去った。
マリアが良く思っていないと言うのは、ヨナタンが森で(普段、彼は漁や狩りをして生活)マリファナを吸っているせいだった。
ヨナタンの母親ミリヤムやマリアママから、その話を聞いていたが、僕は偏見もないし他人に強制や命令するのは嫌なたちなので、特に気にせずにいた。
ヨナタンは準備もよく、蚊よけ(蚊はカカオの花粉媒介者)クリームや長袖の上着、マチェテ(鉈)に猟銃を僕に手渡した。
「いやいや、撃ち方わからないからねー」
のツッコミもやはりここでは通用しない。笑
ポツポツと小雨が降る中、僕とヨナタンはカカオの森を目指し、膝下数センチまで湿地に浸かりながら歩き続けた。
結果から言えば、カカオはまだ熟していなかったわけだが、長旅に付き合ってくれたヨナタンには感謝すると共に、カカオの森に行ってもないのに、
「今年は雨がまだ少ないから、完熟してないよ」
そう言い続けていたマリアとエルマンには、さすが現地の住人だと尊敬の念を感じた。
さて、結局のところ今年は南米が大旱魃でカカオの収穫が遅れた(野生であるため)だけでなく、アルゼンチンやペルーでもコメや大豆など多くの農産物が被害にあったらしい。
なんとボリビアとペルーを跨ぐあの“チチカカ湖”の水位が、数センチも下がったという話も聞いた。
それもあって日本へ一時帰国を決めたわけだが、僕が帰国するちょうど1ヶ月前に、なんとヨナタンが狩りの際に仲間と逸れたと聞かされた。
えっ、あの広大なアマゾンのジャングルで?!
正直、信じられなかった。
ヨナタンは森のことをよく知っていたし、仲間と共に夜間でも狩りをするほど慣れていたからだ。
もちろんバウレスは大騒ぎだし、サンタクルスやコチャバンバから軍隊が出動し、広大なジャングルを皆で捜索する毎日が続く。
僕も居ても立っても居られず、コチャバンバから駆けつけたヨナタンの兄弟やドンファンと共に、ジャングルの捜索について行った。
一緒にいた軍隊の人たちは、犬を放ち、ドローンを飛ばしたり、花火を打ち上げたりしている。
そんな様子を見ながら、自分の無力さを感じつつヨナタンがまだどこかで彷徨っていてくれることを願った。
そんな日々が続き、ヨナタンは見つからないまま軍の捜索は打ち切られ、彼の家族だけが諦めずに捜索を続けている。
マリアママのホテルに滞在していた軍の人に、「やはり森の捜索は難しい?」と聞くと、「もちろん。探すにはアマゾンの森は広すぎるし、熱帯と言っても雨季の夜は寒い。野生動物もいるしね」
僕は返す言葉も見つからぬまま、マリアやエルマンに見送られてバウレスを後にした。
日本に帰国する道中、トリニダでもサンタクルスでもSNSでバウレスのニュースを探した。
すでにヨナタンの行方不明の情報は、ボリビアの全国ニュースになっていた。
マイアミ、ロサンゼルス、と乗り継いで何とか成田へ着いたのだったが。。
出迎えてくれた小松さんにヨナタンの話をしながら、都内のホテルまで送って貰った。
そして次の日、僕は驚くべきニュースを知ることとなる。
なんと!
ヨナタンが見つかったのだ!!
なんと、実に31日間!
あの広大なアマゾンの森を彷徨い続け、ある日森から出てきたところを近くの住人に発見されたのだという。
フォローしていたSNSには、ヨナタンの兄弟たちが泣きながら各方面に感謝のメッセージを流している。
「あいつはマリファナばかりやっていてダメだ」
そう言われていた青年は、一夜にしてバウレスのヒーローとなった。
バウレスの知った顔たちが、町中で花火を上げてヨナタンを出迎えていた。
ヨナタンが抱えられながら病院に入っていく動画を見て、その日僕はひょっとして神は実在するのではないかと、涙を拭った。
「おかえり、ヨナタン」
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