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LGBT問題に関する女性達の意見⑧ 71〜80【更新中】


8-1. 男性機能を有した状態の扱い(40代女性、さくら)

まず先に結論を申しますと、【男性機能を有した状態では、女性として扱わない】ことを主張し、【自認トランス女性などの男性機能を有した状態の身体での、女性スペースへの立ち入りを禁止する】ことを強く望みます。

(前提として、逃げられない状況で性被害にあった事があります。
某衣料品を扱うスーパーで接客業に就いていたとき、採寸を頼まれてついていった更衣室で露出されました。それ以来、担当していた男性用売場に一人でいられなくなった為に配置換えをしてもらいました(後に別の理由で退職した)。
胴回りの採寸だけなら更衣室じゃなくても出来るのにな、と不思議に思いながら対応しましたが、相手が『ヒップの採寸もして欲しい』と言ってズボンと一緒にパンツを脱いで、すでに起ち上がっているソレを露出しました。
一気に顔へカッと熱が集まった次の瞬間に、『あ、これは露出狂だ』と思い至って全身の血がゾッと引いた感覚をまだ覚えています。)

精神的な疾患に関しては、ビリーミリガンなどを題材にした本などを好んで読んでいたため、理解は出来ます。己の認識している性別と、生まれ持って有している身体の性別が一致しないことは、大変な苦しみや嫌悪感であると想像できます。
その為に、生まれ持った機能を捨ててでも本来の性別へなりたいという気持ちも、理解は出来ます。
その苦しみや嫌悪感を脇に置いておいて、『自分を女性として扱え』というのは筋が通りません。
まして、『女性として扱ってほしいけど、男性機能は捨てたくない』のはゴね得もいいところです。
【使用できる男性機能を持っている以上、女性としては扱わない】のは、権利や義務の話ではなく、世の理として『性別』として区別された分類の話です。
外観手術の必須は最低条件ですが、まず取りかかるのは【トランスジェンダー用の御手洗や入浴場を作る】ことだと思います。オールジェンダートイレではなく、【トランスジェンダー用の】それぞれを作るべきです。
どちらの性別でもないのであれば、どちらの性別でもない人たち用の場所を作り、固定された性別の場所を脅かさない事が先決です。
それが理解出来ない人たちは、自認トランスジェンダーであって、本来の性同一性障害を抱えた人たちに失礼です。
恐らく、【トランスジェンダー専用の場所】を設定したところで、使われることはないと思います。自認トランスジェンダーの人たちは、単純に自分が都合よく性的欲求を満たせる場所を作りたいだけなので。
本来の性同一性障害を抱える人たちを隅に追いやる状況を作り出しておいて、LGBTの主張を繰り広げる人たち、正直言って頭がどうかしています。

望まない性被害にあって、男性といい感じになりそうでも、性的な目線で見られていると感じ取った瞬間に、『あぁ、この人も男性機能を有した人だな』と認識してしまうと、一気に嫌悪感や気持ち悪さが出て来て拒絶反応が出てくる人間からしたら、【女性スペースで男性機能を見せつけられるのが当たり前になる地獄】を受け入れなければならない事態が、本当に地獄です。


8-2. 無題(20代女性、非当事者兎🐇)

lgbtの問題と言うより個人的な疑問です
(場違いでしたらスルーしていただいて構いません・最近ここを見つけた為既に似た様な質問など何度もお答えしてましたらすいません)
lgbt=虹色!みたいに色んなお店や企業から虹色を使った商品が出されてたりしますが正直そんなに自分がlgbtです!みたいに身につけて表現したい物なのでしょうか
正直虹色や特定の組み合わせの色(旗)はlgbtや性的嗜好の証!みたいなの勘弁してほしいし本来の色の意味?に戻してほしい…みたいな気持ちがあります…
2つも質問して申し訳ないのですがlgbt問題っていつから過激的な感じなど差別がどうこうみたいになったのでしょうか、最初の頃は単語以前に世の中には同性愛の人や無性愛の人、その他諸々…色んな人がいるんだよ〜みたいな軽い感じ?に紹介されてそう言う人もいるんだなぁと軽く認知されていった気がするのですが。


8-3. 無題(30代女性、匿名希望)

男と一緒に住んでる⚪︎⚪︎(ゲイ?)、女(兄弟モデル)に触られて興奮ぎみな顔してたり(顔赤い?お尻あたり服装ただされてた)モデル兄弟弟が見張ってるぞの集合写真ポーズしてたり、女の露出ぎみな姿を視聴数稼ぎにしたり(兄弟モデル怒り気味)思い出すと、ゲイと公言しててもあいまいな人はいると思う。手術して別性になれないとも思うし、男が描く漫画や本(名前どっちか分からないの多い…)の登場女、そんなのいるか?ってのが多い。若い時の影響大きいと思う

※訴訟リスク回避のため、固有名詞については伏せ字にさせてもらっています。ご了承ください。


8-4. 無題(30代女性、匿名希望)

(ご本人からの希望により削除しました)


8-5. 無題(20代女性、ぽむちゃん)

都心部で暮らしているためか、駅の女子トイレとデパートの女子トイレでそれぞれ一回ずつ、個室から出てきた女装男性に遭遇したことがあります。
どちらも体格と咳払いする声から、今でてきた人は男性だなと瞬時に理解できました。個人的に女装男性が出てきた直後のトイレに入ることに抵抗があり、別の個室が開くのを待ちました。その後、外で待ってくれていた友人にその話をしたのですが、「令和の時代では当たり前なのだから、受容しなきゃ」と言われ、私は差別主義者なのかと反省しましたが、今でもモヤモヤしています。
私はあのとき、確かに恐怖を感じました。過去に付き纏いと覗きの被害に遭ったことがあるため、よけい恐怖を感じたのだと思います。だけどその恐怖を、人々は差別と呼ぶそうです。そう思うと、未だに残る恐怖をどう処理していいかわからなくなります。


8-6. トランス差別反対を理由に女性や子どもへの性加害を助長しかねない法解釈を行う法曹への対応について(30代女性、匿名希望)

耐えがたい身体違和がなく(手術もしない)、性的指向も(生得的性別ベースで)異性が対象であり、すでに生得的性別で婚姻し、子どもを持っているような人物は本来、性同一性障害の診断要件に当てはまらないと認識しています。にも関わらず、性同一性障害の方のための法律を適用し、実質的なセルフIDを日本に導入しようとする、裁判官や弁護士に不信感を感じています。件の最高裁判決から、ずっと精神的に辛い状態が続いており、どうすれば、市民が権力に無力化されている日本でこの状況に対抗できるのかを考えています。

海外でセルフID導入後に女性や児童への性加害が増加したことや、思春期の子どもに長期の内分泌障害を発症させるリスクのあるホルモン投与が問題になっていることは、少し調べればわかることです。なぜTRAの法曹は、先進的事例とその影響についての情報さえも収集せず、女性や子どもの安全について十分な議論もなく、性別の定義を変えるような判断を拙速に下そうとしたのか。初めは知識や理解度の問題と思っていましたが、最近の性犯罪に対する裁判での二次加害(性被害者を消費する目的で傍聴席に詰めかける男性たちを容認する、長期にわたる精神的被害を透明化し、量刑を不当に低く見積もる等)の話題等から、根本的に女性や子どもの話をきくに値するものと思わない人物が法曹の上層部に集まっているのではないか、という認識に至りました。

どれほど正当な内容であっても、他者の内心を変えることは困難です。認知の歪みと向き合うことは精神的に辛い作業なので、本人にその意思がなければ実現することはできないからです。なので、法曹側に女性や子どもの安全を後回しにしてはいけない(法曹側にとってデメリットになる)現実的な理由を示していく方法が必要ではないでしょうか。(本来は差別と人権侵害に対抗し、弱者を守るべき存在である法曹が、デメリットがなければ、女性や子どもへの加害を助長するような判断に加担してしまうというのは、本当に残念ですが…)

例えば、弁護士であれば、所属の弁護士会の市民窓口等を通じて懲戒請求、裁判官であれば、訴追委員会を通じて弾劾裁判を請求することが有効ではないでしょうか。(最近知ったのですが、請求すること自体は一般市民にも可能のようです。)

懲戒の事由の中には、重大な職務怠慢や、その他信頼や品位を損なう言動が含まれます。セルフIDに繋がる判断に際し、先行する海外の事例等の情報収集を怠り、女性や子どもなど、生得的男性には身体能力(筋力、骨格等)で及ばず、相手が加害目的の場合は一方的に被害を受けるリスクがある存在への安全対策について議論を尽くさずに判断を進めたことなどは、職務怠慢であり、信頼を損なう行為ではないかと考えております。

請求したことが、実際に懲戒や罷免につながるのは困難かもしれませんが、少なくとも請求があったことや、その理由、調査が行われた場合はその記録が残ります。同じように不安を感じる多数の方から請求があれば、判断のプロセスの改善や、女性や子どもの安全面に配慮すべきという意見が考慮されるようになる可能性は十分にあるのではないか、と検討しています。

もともと法律方面に詳しいわけではないので、自分でももう少し調べたいと思いますが、他に詳しい方や、実際に懲戒請求等の経験をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひ共有いただけますと嬉しいです。

毎日おぞましい性加害のニュースばかりで辛いですが、なんとか安全に暮らせるように自分なりの闘いを続けていきたいと思います。

長文失礼いたしました。


8-7. 社会において透明な存在であると言うこと(30代女性、匿名希望)

パートナーシップ登録をしている10年の付き合いの女性がいます。家族にも数年前に紹介済みで、食事も何度かしました。私には2人兄弟がおり、それぞれ数年前に結婚、子供がいます。私たち家族は皆遠方に住んでいますがそれなりに仲が良く、年に1、2回は食事をしそれぞれの誕生日にはメッセージを送り合っています。

父が震災をきっかけに、親戚一同が介する場を作ろうと言い出しました。そのメールの中に、私と彼女とその両親は含まれておりませんでした。私たちのことを認めてくれている、と思っていたのは私だけでした。

批判されないことは、認めていることと同意義ではありません。私たちの存在は、きっと父や父のような人にとっては透明な存在なのでしょう。怒りを覚える前に、ただただどうしようもない悲しさだけが募ります。同じようなことを、私は過去何度か体験してきました。あと何回、この悲しさを感じるのでしょうか。


8-8. 転載不可のため不公開



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