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私の経歴①

先日、転職カウンセラー?という方とお話させていただいた。
まだまだ、先の話だが、転職したいことを話していたら、転職に関して、整理しておいた方がいいことを教えてくれた。

・学生時代からどんな考えでどんな選択をしてきたのか
・今の仕事(業種、職種、会社)を選んだ理由
・キャリアプラン(学生時代からどんな仕事をしてきたか)
・次はどんな理由でどうしていきたいのか

こんなこと話し出したら止まらない。
27年間、たくさんの考えと選択があった。
まとめようと思ったが、せっかくだから、今までのアルバイト経歴と今の仕事について、思い出すついでに、noteにまとめようと思った。

  1. 初めてのアルバイト 巫女

  2. 悲しいばかりの精肉店

  3. 青春だったパチンコホール

  4. イベントスタッフ

  5. いろんな仕事があった派遣

  6. コールセンター2種類

  7. 新卒 金融営業職

  8. 昇格 人事採用職

  9. 初めての飲食店

意外とあったなー
一つ一つ思い出してみる。

1.初めてのアルバイト 巫女
まず、私のアルバイトデビューは16歳。高校1年生のお正月の5日間。近所の神社で巫女になった。
本当に小さな神社で1日8時間、おみくじやら破魔矢やら売りまくった。
確か夕方から深夜3時まで
(今考えたら、未成年なので労働法でアウトな気がするが、、、)

母の何かのツテで紹介されたのだが、初めてのアルバイトに緊張していた私に、「はい。」と巫女の衣装を渡されるだけで始まった。
てっきり、私も何か厄払い?的なことをされてから始まると思っていたのだが、、、
そして、ゴミ袋のような袋から、おみくじを大量に出して、
「足りなくなったらコレ補充してね。うちは大吉ばかりだから」
とおじさんは言って、笑いながらいなくなってしまった。

私がおみくじを信じれない理由は、これが理由なのだが、多分本当に小さな神社だったからだと思う。
長蛇の列をさばく、私の裏でおじさんの見ている紅白の音がずっと聞こえてきて、労働の大変さを知った。
高校3年間のお正月をこの場所で過ごした。

2.悲しいばかりの精肉店
進学校だった高校の中で、努力が苦手だった私は、早々に大学を推薦で行ける場所に選びアルバイトを始めた。
近所のスーパーの裏でお肉を加工する仕事だ。当時の時給は640円だった。
高校生の時はまだ、人見知りだったのだが、「よろしくお願いします」と頑張って一緒に働くパートの方々に挨拶をして回った。確か5.6人。
挨拶を返してくれた人は1人だけだった。びっくりした。
そこからずっと無視されている。なぜ?
その時は理由が本当にわからなかった。仕事内容は大変で、真冬の外と繋がっていたので、寒くて寒くて辛かったけれど、無視されることの方が辛かった。

仕事環境はギスギスしていた。パートの方々もみんなイライラしていた。
きつい環境で、報酬も少なくて、毎日同じ顔を合わせる。イライラするのもわかる気がする。
私は学校という違うコミュニティがあるから、気持ちに余裕が作れているんだろうな。と思っていた。
半年以上は続けたけれど、毎日悲しかった。

3.青春だったパチンコホール
大学生になって、大学まで2時間の道のりを通学することになった。
前も書いたけれど、うちは貧乏で、一人暮らしなんてとてもじゃないけれど言えなかった。
車40分→電車1時間半→地下鉄10分の道のり。
駅の駐車場代を浮かせたくて、駅の近くでアルバイトを探した。
田舎なのでパチンコ屋さんしかない。
怖かったけれど、入社した。
この選択は今でも自分に感謝している。私の人生を大きく変えたアルバイトだ。

前回の失敗も踏まえて、笑顔を徹した。
研修中から、大きな声と笑顔を無理して貼り付けて、研修に臨んだ。初めての化粧もした。
その結果、研修担当の社会人のお兄さんに口説かれた。
人生初めての口説かれには、、、、、、気づかなかった。。。
恋愛経験がほぼなかった私は、全く気づかず、なんていい人なんだろう!と思っていた。(後から口説かれていたことを聞いて知った。)

そんな始まりだったが、人生で1番きつい仕事だった。
パチンコ屋さんは膨大な量の監視カメラがついているのだが、笑顔が顔から消えたら、耳につけているインカムから「〇〇さん。顔」と飛んでくる。
早足じゃなくなったら「〇〇さん。足止まってるよ」と指摘される。

とにかく笑顔を絶やさず、早歩きを止めず、8時間を過ごす。足は豆だらけになったし、全員汗だくだ。仕事が終わったらいつも頬骨が凝っていて痛かった。
1つ2キロのパチンコ玉ケースを席に上げたり、床に下ろしたり。清掃をこなし、巡回をこなし、接客をし、機械を直し、、、。
毎月体を壊して辞めていく仲間たち。
肉体労働の大変さを知る。

それと同時に、人見知りだった私が年齢性差を問わず、話ができるようになった。
何より1番若かった私は、とても可愛がられた。どんな仕事もチャレンジさせてくれたし、学生でもきちんと評価してくれて、良いところをたくさん見つけてくれた。
社員がやるような販促の仕事など、こんなの学生に任せてもいいの?と今でも思う。
そして、任された仕事はどんなことも「やります!」と答えた。
期待に応えることが楽しかった。
本当に恵まれていたな。と思う。
大切な同期もできたし。後輩もできた。そして初めての彼氏もできた。(初めての破局もした笑)
同期とは、深夜1時に仕事が終わって、始発の大学の時間までマックや吉野家で過ごすこともしょっちゅうで。本当に青春だった。

また、パチンコ屋さんというお店なので、お客様から理不尽も受けたし(大体はみんなが守ってくれた)、家庭や家を失くしている方も見た。怒りを人や物に向ける人も多く見た。
この経験は、10代でみんなが見れるものではない思う。
すごく社会勉強になったし、人生を考える上で大きな財産になった。
この仕事で手に入れられたことは、数多くあって。今も繋がるものばかり。本当にありがたい経験だった。
でも、どんな場所でも響く大きな声が手に入ったことは今でも嬉しいな、笑

結局、私も腰を壊してしまって、辞めることになった。
そして2年間のお給料で、憧れの一人暮らしをすることになり地元を離れることになった。

ただのアルバイトの私の送別会に、社員まで参加してくれて、先に辞めていった方々も来てくれた。
最後にみんなの前に立って、今までの感謝と学んだこと、大好きだったこと、泣きながら話した。
みんな、拙い私の話を、うんうんと聞いてくれた。
社員の女性の先輩が「感動したよ。今までたくさんの人を送り出してきたけれど、1番感動したよ。」と抱きしめてくれた。
この言葉は今でも大切な宝物にしてある。

辞めた後も、飲み会や遊びに誘ってくれていて、定期的に参加していたが、みんな、体を壊して辞めていったり、転勤したり。ともう連絡を取ることは無くなった。
同期とだけは、年に1回ほどだが、連絡をとっている。
お転婆だった彼女達は最近、結婚して立派な主婦になっている。

4.イベントスタッフ
一人暮らしを始めてから、家具を揃えたり、、、でパチンコ屋さんで貯めたお金はほぼ尽きた。もっと計画的に貯めておけば良かったのだけれど、、、。
生活費を稼ぐために、手っ取り早く面接なしのイベントスタッフに応募した。
最初の仕事は、野球場で客席にファールボウルが来たら笛を吹く仕事。
今までのギャップで、こんなに楽な仕事があるのか!?と感動した。
ずっと野球を見ていた。多分ファールボウルが来ても気づかなかったこともしょっちゅう。
当時、日本にいた大谷くんをずっと見ていた。

1度、ヘルプでグッズ売り場に移動になり、野球を見れなくなって退屈だった。早く戻りたいなーと思っていたのだけれど、
なぜか、そこで引き抜きにあった。

サッカーも野球も、グッズ売りに変更され、選手の名前は完璧になった。
今はもうほとんど覚えていない。
良かったことは、1度、友人と予定が合わず、行けなかったミスチルのライブのグッズ売り場を担当した時。休憩時間、トイレに入ったら、リハーサルをしている桜井さんの声が聞こえたことだ。
感動とコンサートに行けなかった悔しさで、個室に隠れてしばらく耳を澄ましていた。

あともう一点。
同じイベントスタッフで、今の好きな人が働いていたということだ。
2人とも知りもしないし、期間が被っていたのも少しだったみたいだけれど。
付き合っていた時に「えー、すれ違ってたのかな?会いたかったなー」と言うと
「いやだよ、俺、その時、垢抜けてなかったもん。きっと俺のこと好きになってなかったよ。」と言っていた。

会ってみたかった。幼い顔でダサい髪型で一生懸命に働く彼に。


たくさん文章を書いたのに、4つしか書けてない!
また、次回書こうか。



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