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茶道で得られたもの

テーブル茶道を始めて今年で5年目になります。

季節の和菓子と一緒に抹茶を味わうとより一層美味しい


最初の一年目は、子連れで先生のご自宅に伺いました。
テーブル茶道は、その名の通りテーブルでお点前(てまえ)します。
畳でやる時と手順や配置は異なりますが、手の先まで意識をはらい、お道具を丁寧に扱い丁寧にお茶をたてて相手をおもてなしします。
最初は茶碗を湯で温め抹茶を入れて、茶をたてる簡略手前を習いました。

初めて、一緒に学んだみんなの前でお点前した時は、緊張で手が震えたことを思い出します。

二年目からは、自宅で必要なものを準備して、オンラインで月に一度レッスンを受けています。

お点前は、帛紗(ふくさ)を使ったり、茶筅通し(抹茶をたてるシャカシャカを折れたりしていないかチェックする)をしたりと茶道らしい内容になりました。

また昨年からは、和室でオリジナルの所作で濃茶(こいちゃ)を練り始めました。

まだまだ練習中!
薄茶と比べると濃さが全然違います

お点前の奥深さ

最初は頭の中で手順を思い浮かべて間違えないようにが全面に出ていました。それがある時、一部分ずつですが、手が勝手に動くようになりました。
そもそもお点前の手順は、非常に合理的で無駄のない動きなので慣れてくるととても心地良いんです。
それから周りの雑音を取り払い、目の前にぐっと集中して終えた時には、頭がすっきりします。
今時の言葉でいうとマインドフルネスという感じでしょうか。
一方で逆に周囲を感じながらゆとりをもってお点前するのも気持ちよかったりするんですよね。

それともう一つ、不思議なものでその時の自分の状況がお点前に如実に現れます。
心がせかせかしているとどんなに丁寧にお道具を扱ってるつもりでも抹茶がこぼれてしまったり、ガチャンと音がなってしまったり。
また一度として同じお点前もできないです。
気合いを入れて上手く行くこともあれば、何だか噛み合わなかったりそういう部分がとても面白いなと思います。

お気に入りのお道具を少しずつ増やしていくのも楽しい

今、感じていること

今月、実は精神的に色々あって、とても疲れていて、お茶を点てることすら億劫になっていました。
レッスンの日、先生が今日は濃茶ではなく、気負わずにできる薄茶を五感を意識してお点前してみてくださいとおっしゃったので、深呼吸してから、お茶をたてました。
途中からすっと手が勝手に動いて、棗(なつめ…抹茶の入れ物)の蓋を開けた瞬間に抹茶の香りがフワッとして、お湯をそそぐ音、シャカシャカの音、今ここにいる自分を感じて、けれどもこうしているのは、これまでの積み重ねがあってなんだなぁと色んな感情でいっぱいになってしまいました。
お点前を終えたあと、先生がこの境地がついに見えましたね、と言ってくださり(この言葉はめちゃめちゃ光栄だった)お茶って芸術なんだなぁと体験で理解しました。
手順書と型だけではきっと見えない〝道〟の世界がほんのほんの少し見えたことが本当に嬉しかった。

おわりに

まだまだ道半ば。引き続き私なりのペースでゆっくり歩んで行きたいです。
先生がピアノなども長く経験している人が弾くと同じ曲でも音の出し方だったり、その人にしか出せないものがあってお茶も同じというお話をされていて、お茶の技術だけではなく、その人そのものが現れるのだと思うと生き方を磨かねばという想いです。
たしかに音楽やスポーツでも長くやっている人には、その人その人の型がありますよね。

皆さまにもぜひ、お茶でもお茶でなくても何か自分と向きあったり自分にしか出せないものを追求し続けることができるようなものに出会ってほしいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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