めもり

プロテスタントのクリスチャンです。

めもり

プロテスタントのクリスチャンです。

最近の記事

「主の計画こそが実現する。」抑圧的にならなくていい。

2024年5月26日 インマヌエル高津キリスト教会 藤本牧師メッセージ サムエル記 第一 16章1-23節「サムエル(2)神の御霊は突き抜けていく」を聞いて頭に残ったこと神がサウルを退けたので、サムエルが次の王としてダビデに油を注ぎに行く場面。 「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。」 「さあ、」次。 1.神は必要に応えてくださる サムエルがサウルに油を注いで、イスラエル人にサウルが王だと示した。 サムエルの疑問、悲しみ 「なんでこうなった?」 なぜ神は

    • キリスト教信仰は超自然的なもので、聖霊によって生まれる

      2024年5月19日 ペンテコステ礼拝 ニューライフキリスト教会 豊田牧師 メッセージ を聞いて今日はペンテコステ礼拝 ユダヤ教の五旬節は収穫感謝祭。過ぎ越しの祭りから50日目。 ペンテコステは聖霊が与えられた日。 使徒2:1 皆が同じところに集まっていた。 復活されたイエスは、40日間弟子たちと一緒におられた。 ルカ24:49 イエス「いと高き方から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」 イエスが天に上げられてから聖霊が臨むまで10日間。 三位一体 自分

      • 何もできない時に、神の恵みがはたらく

        2024年5月12日 ニューライフキリスト教会 豊田牧師 礼拝説教「復活の命に生きる」6回目を聞いて頭に残ったこと ヨハネ21:17 「あなたは私を愛していますか」 ペテロ「私はあなたのために死ぬことはできません。そんな愛はありません。」 私たちすべてに召しが与えられている。 イエス「小さなものにしたことは、私にしてくれたことだ。」 ヨハネ21:18 ペテロに言われたことだが、いかに生きるのかが示唆されている。 若い時と高齢の時、生き方の修正を余儀なくされる。 「あ

        • キリスト教会に行きたくない理由

          疎外感・孤独感を感じるから自宅でYouTubeで礼拝メッセージを聞いていたほうが、疎外感も孤独感も少しですむ。 教会で自分のことを隠さないといけないのは、ストレスだ。 なぜ隠すかというと、うっかりしゃべると疎外されるからである。 教会でまで演技したくない。 心理的安全性がないからクリスチャンになってから人生うまくいっていないとか、メンタルを病んで薬を飲んでるとか、家族の不都合で悩んでいるとか、言えない。 聞かれたので、クリスチャンになってから人生うまくいっていないことに

        「主の計画こそが実現する。」抑圧的にならなくていい。

          「無駄」という言葉で自分を連想した

          先日、夫としゃべってる時、彼が「無駄」という言葉を使った。 それを聞いて私は、自分を連想した。 なお、夫が私を「無駄」と言ったわけでなく、ただの無害な雑談だった。話題は覚えていない。 キリスト教では、神から与えられた賜物を用いて、神に仕えなければならない、とされている。 また、すべての人に賜物が与えられている、とされている。 「賜物」とは、ギフトのことで、才能みたいな意味だったと思う。 20年以上クリスチャンだが、自分に上記の賜物が与えられていると思ったことがない。 教

          「無駄」という言葉で自分を連想した

          「復活の命に生きる」とは、神の召しに応答すること

          2024年5月5日 ニューライフキリスト教会 豊田牧師 説教「復活の命に生きる」5回目を聞いて頭に残ったこと【報告】森ゆりさんトルコ訪問 阪神大震災で弟を亡くされた歌手の森ゆりさんが、地震被災地のトルコでコンサート旅行をされたご報告があった。地震から1年経ってもがれきがそのままの所が多いということだった。 説教「復活の命に生きる」とはどういうことか ヨハネ21:4-6 イエスはガリラヤ湖畔で弟子たちと会われた →ペテロを立ち直らせるのが一つの目的 エルサレムでは2度会

          「復活の命に生きる」とは、神の召しに応答すること

          私はそれほど神を愛していないが、神は思ったよりも私を愛してくれている

          2024年4月28日 ニューライフキリスト教会 豊田牧師 説教「復活の命に生きる」4回目 を聞いて頭に残ったこと「復活の命に生きる」シリーズ前回までの振り返り 復活の朝、弟子たちは復活の命に触れた。 嘆きが喜びに変わった。 イエスは復活のあと、弟子たち一人ひとりにわかるように出会ってくれた。 ペテロを立ち直らせた出会い ヨハネ20章 イエスはペテロと出会ってくれた。 20:19 よみがえった日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れてカギをかけて閉じこもっていた。 恐れの中

          私はそれほど神を愛していないが、神は思ったよりも私を愛してくれている

          恐れ・疑いの中で現れてくれる神

          2024年4月21日 ニューライフキリスト教会 豊田牧師 「復活の命に生きる」シリーズを聞いて イエス復活の朝のマグダラのマリア 7つの悪霊を追い出してもらった人。 ヨハネ20:11 イエス・キリスト復活の朝、イエスの墓をのぞきこんで泣いていた。 み使いに、「誰かが私の主を取っていった。どこに置いたのかわかりません。」と言った。 ヨハネ14:18 イエス・キリスト「私はあなた方を捨てて孤児にはしません。あなた方のところに戻ってきます。」 ヨハネ20:14-15 イエス

          恐れ・疑いの中で現れてくれる神

          寄り添い、共に歩み、愛と希望を示すイエス・キリスト

          2024年4月14日 ニューライフキリスト教会 豊田牧師 説教を聞いて頭に残ったことイースターの説教の続き。 イエス・キリストの復活の日に出会って人生が変わった人々。 アリマタヤのヨセフ ユダヤ議会の議員 ルカ23:50-54 ヨハネ19:38 マルコ15:43 議員の職を失うこと、ユダヤのコミュニティから排除されることを恐れて、イエスの弟子であることを隠していたが、「勇気を出して」ピラトのところに行き、イエス様を埋葬した。 「心の貧しい人は幸いです」 「心の貧しい人

          寄り添い、共に歩み、愛と希望を示すイエス・キリスト

          どんな絶望からも立ち直ることができる 復活の希望

          2024年4月7日 ニューライフキリスト教会 礼拝説教で頭に残ったこと復活の朝を迎えた後の私たちの生き方 もしキリストが蘇らなかったら、私たちの信仰は虚しい 十字架の先に復活があり、希望がある 復活したイエスは、弟子たちにだけお姿を現された →信仰がなければ、復活を信じられない この希望は失望に終わることがない どんな絶望からも立ち直ることができる 失望の向こう側に希望がある どのような希望をもたらすか 詩篇22:22-23 嘆きが突然賛美に変わる 詩篇30:11

          どんな絶望からも立ち直ることができる 復活の希望

          「私は虫けらです。人間ではありません。」

          イースター礼拝説教を聞いて頭に残ったこと2024年3月31日ニューライフキリスト教会 イエス・キリストの受難 受難の苦しみの向こう側に復活がある。 受難は産みの苦しみ。 受難を理解すると、復活を理解する。 キリストの復活に基づいた希望・信仰は失望に終わらない。 信仰が強いからでなく、聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれているから。 ふだんその愛を、意識・実感しない。存在を根底で支える希望。努力・信仰でなく、聖霊が注いでくれる希望。 詩篇22編 「わが神、わが神、どうし

          「私は虫けらです。人間ではありません。」

          魂の暗夜、神へのつまづきの行きつく先

          ニューライフキリスト教会の豊田牧師によるイースター前の説教(2024年3月24日)を聞いて頭に残ったこと。つまづきは大切 ゲッセマネでイエス様が捕られられた時、弟子たちはつまづいた。 イエス様についていけなくなった。 そして、十字架の後、エマオやガリラヤに向かった。 ペテロたちは、イエス様に出会う前の状態に戻ってしまい、元の漁師を始めた。 しかし、イエス様は先回りして彼らを待っておられた。 イエス様は羊飼いなので、彼らを見捨てることはなかった。 神様を見失っても、イエス

          魂の暗夜、神へのつまづきの行きつく先

          神様に求めるのをやめていた

          ニューライフキリスト教会の豊田牧師の説教「信仰と思考 7」を聞いて考えたこと。 「信仰と思考 7」を聞いて頭に残ったこと「神様に求めましょう」ということ。 クリスチャンが神を神としてあがめないと、神様に対する思いがむなしくなり、そうするとそんな神様に創られた自分もむなしくなる。 「神を神としてあがめる」とは、神様に求めるということ。 神様に何を求めても、神様の負担にはならない。 「神様はそのひとりごイエス・キリストを与えてくださったのだから、私たちはそのお返しをしな

          神様に求めるのをやめていた

          神に対するイメージの違いで人生が変わる

          ニューライフキリスト教会の豊田牧師による礼拝説教「信仰と思考 5」を聞いた。 ほとんど頭に残らなかったから3回聞いて、ようやく何となく頭に入ったことを書く。 そのため、不正確です。 ちなみに、ニューライフキリスト教会は、所属教会でもなく、行ったこともない。 会派は以前調べたが、忘れてしまった。キリスト教プロテスタントであることは間違いない。 頭に残った内容何からの救いか 神の救いとは、神の怒りからの救いであって、世の中の理不尽からの救いとかではない。 神の怒り 人間

          神に対するイメージの違いで人生が変わる

          自分の体と和解する

          上記のようにマインドフルネスと和解したので、瞑想を始めた。 その中で一番気持ちよかったのが、「軟酥の法」(なんそのほう)。 「軟酥の法」をすると、今まで自分の体を「言うことをきかない怠惰な奴隷」のようにとらえていたことに気づいた。 自虐的すぎてびっくりした。 道理で体とうまくいかないわけだ。 これからは、「かわいい子」のように自分の体をとらえようと思った。

          自分の体と和解する

          マインドフルネスと和解する

          昔、マインドフルネスを学んで実践していたが、嫌いになって辞めていた。 嫌いになったのは、マインドフルネスではなくマインドフルネスの講師だった。 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い10回ぐらいのコースに通って、たぶん最後の講習の後、講師に無気力が治らないことを話した。 すると講師は、「もともと無気力なんじゃないですか。」と言った。 唖然とした。 私はマインドフルネスがすっかり嫌いになって、ほとんどしなくなった。 まさに、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざの通りである。

          マインドフルネスと和解する