日本人の英語

1 喘息の症状が出て、執筆が滞っている間に、私がnoteで記事を書き始めてから1年が過ぎたとのメッセージが表示された。巷間良く言われるように、子供の頃と大人になった今とを比較すると、実感としては明らかに大人になった今の方が、同じ一年でも月日の過ぎ去るスピードが圧倒的に速いと感じる。
 この子供と大人の時間に対する感覚の違いについては、子供の頃は見るもの聞くもの全てが目新しく、日常出会う経験の全てに驚きや感動が伴うのに対して、大人になると、齢を重ね人生経験を重ねた分だけ、日常に驚きや感動を感じる機会が必然的に減少するので、毎日が同じことの繰り返しのように思えてくるから、という説を聞いたことがある。

 そういう意味では、年を取って時間感覚が変化すること自体は、年を取った分だけ人生経験を積んだ証とも言えるわけで、一概に否定する必要はないと思う。ただ、日常に慣れてしまい、驚きや感動を感じなくなったという点については、精神の平衡を保つためにも、スポーツ、読書、旅行等何でもいいから、日常の仕事や家事とは異なる非日常体験を得る機会を持った方が好ましいと思う。
 私の場合、それが今のところ武術と読書であるわけだが、学生時代はあれほど苦労した英語についても、最近驚きがあったので、今回はそれについて記したい。

 学生時代の私は、本当に英語の学習が嫌いだった(重複を避けるため、本稿ではその点についての記述は割愛するが、興味のある方は上の記事を読んで欲しい)。BJJを稽古するようになって、BJJ fanaticsから出ている教則動画を見るようになった。
 当時のfanaticsではほとんどの教則が$77で、ジョン・ダナハーだけが$249。しかも、デイリーの半額セールには「絶対に」掛からなかったので、その強気な価格設定と相まって、私にとってダナハーはある種の憧れだった。
 コロナ禍が始まって以降、ダナハーの「ソロドリル」の教則がまず無料で配布され(注1)、その後彼の教則も$198に値下げされて、デイリーの半額セールにも掛かるようになったから、随分入手しやすくなった(今は$217に値上げされている)。

注1)

 それ以降、セールに掛かった彼の教則をいくつか入手して今日まで見続けているが、最初はダナハーの英語をほとんど全く理解できなかった。
 そこで、ダナハーは後回しにして、私の英語力でも分かるB・ファリア(やシャンジ・ヒベイロ)の「カタカナ英語」を聞き続けて、だいたいファリアの言う事が分かるようになると、トム・デブラスの英語も聞き取れるようになり、今ではダナハーの英語も8~9割は分かるようになった。
 上にも書いたように、それで私は「英語をマスターした」とか、「海外に移住することになったとしても大丈夫」だと思っているわけではない。

2 ただ、先日イングランドからALTで来日した若者が、ウチの道場に入会し、彼とひとしきり(私の感覚で言えば)「英単語で」意思疎通を試みていると、「君は英語上手だね?以前海外に住んでた事があるの?」と聞かれ、驚いて「まさか!ずっと日本だよ」と答えた。
 怪訝そうに「じゃあ、仕事で英語を使ってるの?」と畳み掛けてくるので、「いや。僕はねBJJの教則動画で英単語を覚えたんだよ」と苦笑して見せると、彼も唖然としていた。
 そう、正確にはコロナ前からであるが、fanatics動画と5年付き合っている間に、私の英語はなんとかALT、つまり、日本語を学ぶ意思のある英語圏の若者とコミュニケーションが取れるくらいには上達していたようである。
 振り返ると特にコロナ禍の4年間もあっという間だった気がする。コロナ・パンデミックによって激変した日常生活それ自体を除けば、私事において特筆大書すべき事もなかったので、これだけ社会が大きく変わったにも関わらず、この4年間は私にとっては驚きや感動がほとんどなかったという事だろう。
 ただ、英語一つ取っても、どうやらこの4年を全く無為に過ごしたという訳ではなさそうで一安心した。

3 日本の英語教育は文法メインで、実際には使い物にならない、と昔から言われていた。ヒアリングやスピーキングをもっと重視すべきだ、と何度も叫ばれていたし、その方向で英語教育も今は変化しているのだろう。
 ただ、私に言わせれば、20年前の英語教育でも日常会話レベルに到達する事は十分可能だったと思う。
 考えても見て欲しい。夫婦の会話が「メシ・風呂・寝る」の3つだけという昭和な光景はさすがに今はあまりないだろうが、同居している家族との日常会話に使われる日本語の単語の数が500を超える人はそうそういないと思う(司馬遼太郎の『この国のかたち』にそういう話があったのを思い出したので、翻案して引用させて貰った)。
 同様の事は英語での日常会話にもほぼ等しく当てはまるはずで、高校卒業まで英語教育を受けた人であれば最低3000語の英単語には触れているはずである。
 どれだけ英語の授業に真面目に取り組んだかは人それぞれだと思うが、大半の人は中高6年間(今では小学生からだが)に英語の授業に拘束された時間の方が、大人になってから始めた趣味の時間に費やした時間よりも長いのではないかと思う。
 それを考えると、高卒程度の学力があれば、あとは①英語を習得しなければならない差し迫った必要性(仕事で使う、海外に移住する等)が無くても、②それを習得しようという意思さえあれば、誰でも日常会話くらいはこなせるようになるはずである。
 
 私のようにBJJfanaticsのカタカナ英語教則から始めて、ネィティブスピーカーの教則を視聴して英語を覚えるというのは、万人向けの英語学習法ではないと思うが、個人的にはノンネィティブスピーカーの英語をYOUTUBEで聞くだけも、学習効果はあると思う。ジョン・ダナハーの場合、彼の話す英語の7割くらいが理解できるようになれば、前後の文脈から知らない単語でもだいたい意味は通じるようになった。
 
 確かに、GOOGLEを始めとする翻訳ソフト・アプリの発達で、我々が日本にいる限り、英語を習得する必要性は今後ますます減少するようにも見える。だが、翻訳ソフトやアプリが使える対象は、あくまでもネット上のデータに限られる(日常会話の翻訳にもアプリが使える事を考えると、そう言い切るのは少し無理があるけれども)。
 他面において、わが国では人口減少社会が本格的に到来し、技能実習生の名目で今後ますます国内に事実上の移民受け入れが進むであろうことが予測される。移民としてきた彼らとコミュニケートが出来ないという事態は、社会の分断を招き、ひいては治安の悪化をもたらしかねない。そうした事態を防ぐためにも、誰しも最低限の英会話は出来るようになった方がいいと思う。
 繰り返しになるが、もう一度昔使っていた英語の教科書を引っぱり出して机に向かおう、等と非現実的な事を言っているのではない。そんな面倒なことをせずとも、YOUTUBEを活用するなりして、たまには英語に触れる機会を設けて見てはどうか?というのが私の意見である。その上で、英語に取り組むか否かは各人が判断すればいいだけの話である。
 


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