リラックス

1 BJJを始めたばかりの初心者の中には、スパーになると「相手を倒す」ためではなく、「タップを取られない」ために全力で抵抗してくる人がある。
 かくいう私もその一人で、入門当初は何度も先達から「力を抜け」と言われた記憶がある。「タップを取られたくない」と考えるのは、自己防衛本能の自然な発露で、初心者が「タップを取られない」よう必死になるのはある意味では当然の事だと私は思っている。
 だが、いつまでも「ガチスパー」をしていては技量は伸びない。サウロ・ヒベイロが言うように(注1)白帯の間に、まずは悪いポジションに閉じ込められたり、サブミットされる恐怖に慣れる必要があるだろう。

注1)

 白帯の期間においては、技術的には「ディフェンス」や「エスケープ」を優先的に習得すべき事を繰り返し書いてきたが、スパーリングにおいては自分より実力上位の相手に悪いポジションに置かれたり、サブミットされる恐怖に慣れることが大事である。
 BJJ初心者がそうした恐怖を感じて、何とかしようと必死になって動くのは動物本能としては自然なことかもしれないが、それでは悪い状況に身を置くたびに呼吸が乱れ、相手が何もしなくても疲れてしまうだろう。「ディフェンス」や「エスケープ」のスキルを向上させるためにも、まずもって悪い状況の恐怖に慣れて、エゴを捨て速やかにタップをする習慣を身につけた方がいい。

2 スパーで「力を抜く」事の大切さについては、日本では主に「怪我防止」の観点から語られる事が多い。中井祐樹先生が「極めはゆっくり、タップは早めに」と提唱されているそうであるが、「力を抜く」ことで怪我を防ぐ確率が上がるのは、何も「サブミッション」の場面に限らない。
 力んで自分の身体能力の限界まで引き出そうとすれば、自爆型の怪我に繋がりかねないし、相手にとっては思いもよらない動きをして怪我をさせてしまいかねない。
 ヘンリー・エイキンスが柔術における「リラックス」する事の効用をいくつか説いているが(後述する)、「怪我防止」という観点からは次のように述べている。 
 「普段どれだけ身体が柔らかい人であっても、一度力んで筋肉を固く使ってしまうと、彼の関節や靭帯の可動域は著しく狭くなってしまう。力んで自分の身体を「彫像」のように固く使ってしまうと、普段なら何ともないようなテンション(圧力)が掛かっただけでも、靭帯が切れたり、関節を痛めてしまう。だから、リラックスして身体を使うことは怪我のリスクを下げる上で劇的な効果がある」(注2)

注2)

3 「リラックス」する事の効用は「怪我防止」だけではない。ヘンリーが上の教則で挙げている点を列挙すると、①体力を浪費しないで済む②相手にスイープされなくなる③感覚を鋭くし、相手の動きに即座に反応出来るようになる。
 ①体力を浪費しないで済む、というのは分かりやすいかと思う。ただ、競技柔術だけが柔術だと思っている人の中には、5分から10分の試合時間の中で、全力を出し切ることが良いことだと考えている方もおられるかもしれない。だが、柔術を「セルフディフェンス」として捉えれば、とにかく「疲れてはダメ」なのである。疲労で動けなくなってしまえば、サブミッションだけでなく、相手からの攻撃を防ぐことは一切できなくなる。「セルフディフェンス」的な状況から適切に「エスケープ」するためにも体力を浪費しないことは非常に重要なのである。
②相手にスイープされなくなる、というのはこの言葉だけを聞いても理解しにくいだろう。だが、次の例を参考にして考えると分かりやすい。
 私も若い頃は友人達と飲みに行ったことがあるが、ある時席を同じくした女性が酔いつぶれて地べたに寝転んでしまった。友人と男二人で彼女を抱きかかえようとしたが、体重それ自体は50キロないように思われるにも関わらず、彼女を持ち上げることは全く出来なかった。
 泥酔者は全身リラックス状態にあるから、素面の人と違って身体の重心というものが感じられない。重心が何処かにあれば、身体の何処かに軽い部位が生じるので、そこを掴んで背負って帰ることも可能だったろうが、重心が感じられない人を背負うことは私には無理だった。
 泥酔者と全く逆の状態にあるのが、力んで筋肉を固く「彫像」のように使っている人である。こういう人は、重心を少し崩してやれば簡単にスイープできる。反対に、全身を「リラックス」して使っている人を相手にすると、ボトムは相手を非常に重く感じるので、崩してスイープするのは格段に難しくなる。

4 ③感覚を鋭くし、相手の動きに即座に反応出来るようになる、という点については、私が古流を稽古していた時の「順対」「逆対」という考え方が参考になるかもしれない。
 ここで言う「順対」「逆対」とは、旧師の造語で厳密には武術用語ではないが、「順対」とは「受けが力を抜いて、捕りの動きに合わせる稽古法」を、「逆対」とは「受けが力を入れて、捕りの動きにわざと掛からないよう抵抗する稽古法」を意味する。
 旧師は「稽古の基本は順対である」と言っていたが、それは相手の動き(ここでいう「動き」は、動きの起こりといった目に見える現象だけでなく、こちらの所作に対する相手の無意識の防御反応といった目に見えない動きも含む)を感知し、皮膚感覚を養うためである。
 合気道系の武術はとかくインチキ扱いされるが、「相手の防御反応に働きかけてその意識を操作し、彼から無意識の動きを引き出して技を掛ける」のが合気だとすれば、俗に「合気上げ」と呼ばれる技術は実在するし、「脱力」系の技で捕りが触れただけで相手を倒す技も実在する。少なくとも私はそれらを自分の身を以って体験しているので、「フェイクではない」と断言できる。
 「順対」稽古によって、皮膚感覚を養うことが合気習得の第一歩とされる理由も、合気概念における意識操作の諸技術を理解するために、皮膚感覚が必要だからに他ならない。そして、皮膚感覚を養うために最も大事なことが「リラックス」して力を抜いて受けを取ることなのである。
 合気習得のために皮膚感覚を養うべく「リラックス」する事の必要性を説く古流とは文脈が異なるかもしれないが、BJJでも「リラックス」して相手の動きを「感じる」事は非常に重要である。自分が力んで自らの感覚をシャットダウンしてしまうと、相手の動きを感知してそれに即応する事は不可能になる。

 BJJ村では「ガチスパー」か「フロースパー」か?という問いの立て方をする人が多いようだが、武術的に見れば「ガチスパー」はあり得ない。「フロースパー」という言葉の意味する所を私は良く分かっていないが、「打ち込み」であれ「スパー」であれ、稽古は「リラックス」してやるべきだと考えている。「ガチスパー」の人を相手に「リラックス」して受け、怪我せず、守り切れるようになれば十分ではないだろうか?

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