『ボーはおそれている』を観てきました。

こんにちは。
鴨井奨平です。

近所のシネコンで『ボーはおそれている』を観てきました。
アリ・アスター氏の長編三作目と言うことで、観た率直な感想を申し上げると、

「あなた、三作目でなんてもん作ってんだよ……!」

と言った感じです。
結構規模の大きい映画ですが、コレってどれくらいの興収になるんですかね、万人ウケはしなそうな作品ですけど。
長編三作目の監督作品がこの規模のこの内容の映画って、アリ・アスター氏は随分期待されているんですね。フツー中々こんなことできなくないですか?
すごいです。

まぁそれはさておき、作品の内容について述べると、
私はおもしろい映画だと思いました。
アリ・アスター氏の長編作品の中では『ボーはおそれている』が一番好きです。
この映画を観て改めて思ったのは、アリ・アスター氏はかなり緻密に計算して作品を作っている、ということです。
すごく頭を使って、どのようにすれば観客が「恐怖」や「不安」を感じるかを論理的に考えて演出しています。作品からそういうスマートさが伝わってきますよね。
ところでSNS上では、『ボーはおそれている』と「デヴィッド・リンチ作品」が類似しているという言説を目にしますが、私はアリ・アスター氏とデヴィッド・リンチ氏はタイプの違うクリエイターだと思います。作品内で表現されていることも含めて。
先ほど申し上げたように、アリ・アスター氏はかなり論理的な映画監督です。
一方、デヴィッド・リンチ氏はどちらかというと自身の感覚やセンス、才能で撮っている印象があります。また、作品内容や表現方法もメタフィクション、メタ映画的です(反面、アリ・アスター氏はかなり正統的・映画的な撮り方をしています)。
『ボーはおそれている』と「デヴィッド・リンチ作品」はどちらも奇怪的な内容ですが、実際のところベクトルは逆方向を向いているのではないかと思います。

すみません、私はデヴィッド・リンチ氏の大ファンなので話が少しそれてしまいました。
話を『ボーはおそれている』に戻します。
この映画の特筆すべき点の一つは、
「精神疾患患者の心象風景」がかなり上手く表現できている、ということです(私も手帳を持っている精神障害者なので)。特に物語冒頭部分のアパート周辺のシークエンスでそれが描かれています。今までこのような描き方をできた作家はそうそういないんじゃないでしょうか(ちなみに私は、これはどちらかというと「ボーが体験している幻覚」ではなく、「ボーの心象風景、世界の感じ方」だと思います)。

そして前作の『ミッドサマー』も含めてなのですが、こんなにまで作品内において大声で、

「僕は女性に対してコンプレックスを抱いています!」
「僕は自分が男性であることにコンプレックスを抱いています!」

と叫んでいる作家もなかかないないんじゃないかと思います(実際にアリ・アスター氏本人がこういったコンプレックスを本当に抱いているかまではわかりませんが)。
『ボーはおそれている』はどんな物語かというと、一神教文化圏における「母子関係」についての映画ですよね。全編通してそれが貫かれています。
ボーは結局「母」から逃れることは出来なかったですけどね。死んでも逃れることができない、ずっとずっと母がついてまわる、「呪い」みたいに(物語の結末で「ボーが死んだ」かはわかりませんが、少なくとも「死んでも逃れることができない」という描写ではあると思います)。
今までこんなにまで見事に「男性性」を脱構築した男性映画監督はいなかったんじゃないでしょうか、少なくとも「アリ・アスター」という映画監督はそこが画期的だったのだと私は思っています。「巧みなホラー、奇怪描写」はアリ・アスター氏の本質では必ずしもないと私は考えます。

今後、アリ・アスター氏は「ホラー映画界のホープ」というよりも「新しいタイプの男性映画監督」の旗手として活動していくことになるのではないでしょうか。私は期待も込めてそのように予想します。

しかし、アリ・アスター氏は私とほとんど同年代なんですけど(氏は私の「お兄ちゃん世代」)、こんな映画を作るなんてすごいですね。
なんだか励まされます。

今回はこのへんで筆を擱きます。

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