『オッペンハイマー』を観てきました

こんにちは。
鴨井奨平です。

近所のシネコンで『オッペンハイマー』を観てきました。
今回はその感想を書きます。
※ネタバレするのでご容赦ください。

私は今年32歳になる男性ということで、おそらく最も「クリストファー・ノーランに傾倒している層」に位置しているのではないかと思います。
私も大ファンというわけではないですが、ノーラン氏の監督作品は悉く観ております。
『オッペンハイマー』はノーラン氏にしては珍しい(というか初ですよね?)「伝記物」の映画ということで、私としても公開前から興味津々でした。イングランド出身のノーラン氏がオッペンハイマーをどのように表現するのか、と。

で、実際観た率直な感想ですが、
世間ではいろんな評価があるようですが、私は素直に面白い映画だと思いました。
演出、俳優の芝居、ショット、編集が見事なので、それらをただ味わうだけでもかなり楽しめます。
「原爆被害の場面を具体的に描いている描写が無い」という批判があるようですが、この映画に関してはそういったシーンは「無くてもいい」と思います。なぜならそういう演出を採用しているからです。原爆開発の中枢にいた人間さえも原爆投下の現場を知らない、あるいは、それについて「すごい爆発だったようだ」という伝聞のみが伝えられる。そういったグロテスクな状況を表現するためにこういった演出をしていました。そしてそれはかなり有効だったと思います(まぁ、原爆投下の現場がどのような状況にあったのかをある程度知っている人間にしか刺さらない演出ではありますが)。

そして、「核兵器」に対するアンチテーゼとしても、この映画はある程度意義あるものになったのではないでしょうか。
正直申し上げると、「原爆投下」という問題に関してだけ言えば、「加害者側にいた人間の苦悩なんて知るかよ、被害者の苦悩が一番大きいに決まってるだろうがよ」という思いを抱かずにはいられないのですが、それでも、『オッペンハイマー』を通じて、アメリカ人が抱いているであろう“疚しさ”を再びあぶり出すことができたんじゃないかと思います。
おそらくアメリカ人は「原爆を使った」ということにある種の疚しさを感じていて、それを「原爆投下によって終戦を早めることができた」というフィクションで覆い隠しているのだと思います。
そして『オッペンハイマー』はこのフィクションを相対化して、再びこの疚しさをアメリカ人に現前させたのではないかと思います。それは、現在の世界情勢を照らしてみても意義のあることだと思います。

しかし一方で、『オッペンハイマー』にピンとこなかった人の気持ちもわかる気がします。この映画、テンポが速すぎるんですよね。「内容が難しい」と言っている人もいるようですが、私が観た感じそんなことないと思います。むしろ、サクサク話が進みすぎて気がついたら置いてけぼりになってた、というパターンじゃないかと思います。
また、テンポが速すぎるゆえに、キャラクターがあんまり掘り下げられていないし、観客がキャラクターに感情移入する時間的余裕もあんまり持たせてもらえていない感じはしますね。

『オッペンハイマー』の感想はこのへんにしておきます。
ノーラン氏は次はどんな映画を監督するんですかね。
ちなみに氏の作品の中で私が好きなのは、『フォロウィング』(脚本が好きです)と『ダンケルク』(映画として最も洗練されていると思います)です。

今回はこのへんで筆を擱きます。

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