ちあきなおみ

生きたくもなし 死にたくもなし。

今は、そう思いながら生きている。

後を追うほど愚かではないが、大切な人を失った喪失感で腑抜けになっている。

主人を亡くしたとき、様々なお悔やみの言葉を頂いたが、「お力落としの無いようにね」「ご自身のお身体大切にね」と凡庸なお悔やみと慰めの言葉が続く中で、いちばん心に響いたのは意外にも王さんの拙い日本語の言葉だった。

旦那さん、幸せねー!悲しむこと何もないねー!賢く生まれて、いっぱい勉強して、お医者さんになって、いっぱいお金稼いで、綺麗な奥さんと手を繋いで死にましたね!最高の人生ね!

どん底にいた私は、初めてくすっと笑ってしまった。

因みにいちばん心に響かなかったのは、長年親しくして心を分かち合っていたと思っていた男性の友人からのメールである。

この度のご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げますとともに心からご冥福をお祈りいたします…どうでもいい定例文を延々と送って来た。
ものすごく腹が立ち、あなたは私に対するあなた自身の言葉を持っていないのですかと返信し、それから彼からの連絡を全てブロックした。

主人が亡くなったと一報を流した時、お金で苦労した人は相続税のことを口にし、同じように身内を亡くされた方はその悲しみを語る。
人は、自分がいちばん心を占めることを思わず口に出してしまうのだなと思った。

今、私は誰とも会っていない。特にここ数ヶ月は、最低限の外出しかしていない。友人との食事の約束も、キャンセルしてしまった。

完全な引きこもり生活である。

その度合いはどんどん酷くなる一方だ。

だが、その引きこもりが悲壮であるかというと、一面では、主人と暮らした部屋で二人きりでいるようで甘美な思いに浸るときもある。

私は、ちあきなおみさんの大ファンだ。
彼女も最愛の夫を亡くしてから、人前に一切出なくなり、ずいぶんと長い引退状態だ。
私は凡人なので人前に出ようが出まいが関係ないが、ちあきなおみさんが歌われなくなったのはすごく悲しい。

ある日、ちあきなおみさんが墓前で半狂乱になりながら仏花を入れ替える姿を捉えた姿を載せた週刊誌を見た。
この週刊誌も、書いた記者も、屑だなと思いゴミ箱に捨てた。

主人が亡くなって直ぐに、友人から連絡が入った。
ご主人のFacebookを漁って、色々と匿名掲示板に書き込まれているよと。
それでも私は、あえて主人のFacebookを消さなかった。

音楽が大好きだった彼のジャズのライブに通う日常、医師としての日々、ヨット乗りの若いころの冒険譚。そして、私との生活…。
その、芳醇な彼の人生を漁る荒んだ精神の屑どもの荒んだ生活がむしろ愉快だった。
やれやれ、もっとやれ!そして己の惨めな精神が彼の豊かな人生に触れ、もっと惨めなものになれと憐れんだ。
もっとも、屑には屑という自覚が無いが故に屑なので、自省はないだろうが。

彼の誕生日に、亡くなったことを知らない人達から、自動的に送られる機能でもあるのだろか、誕生日を祝うメッセージが何通か送られてきて、そろそろいいかなと思い、Facebookを消した。

ちあきなおみさんの歌う姿を映像で見ると、まるで歌を歌う女優であり天女のようだ。
情念を込め、素晴らしい歌唱力で歌い上げるその姿はとても美しい。

しかし、才能の塊だった彼女が歌うことをやめてしまうほどに人を深く愛していた事実は、ちあきなおみさんらしいも思う。






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