小池一子

墨田川のほとりで、泣きながら、笑いながら、のんびりと暮らしています Twitterした…

小池一子

墨田川のほとりで、泣きながら、笑いながら、のんびりと暮らしています Twitterしたり、noteしたり。

最近の記事

ホームレスと私とオールドパー

その浮浪者に違和感を持ったのは、彼のかけていた眼鏡だった。 高価なべっ甲の眼鏡をかけた、ホームレスになり、そう年季は経っていないだろうなと思わせる、そこそこ新米の浮浪者に見えた。 私の住む浅草の墨田川沿いは、数キロに渡り綺麗に整備され、墨田川テラスと名付けられた川風の気持ちの良い場所で、季節や時間を問わず犬を連れて散歩する人やジョギングをする人が絶えない憩いの場だ。そしてその中には、浮浪者も時折見かける。 今年の夏、体調を崩していた私は涼しくなった秋の終わり頃、ようやく墨

    • スナック美奈子(仮名)

      暑すぎる今年の夏の引きこもり生活で中断していた、スナック美奈子を開店にこぎつけるべく、半年ぶりに物件探しを再開しました。 隅田川沿いにひっそりと佇むスナック美奈子が開店するのはいつのことになるのやら。 ちょっとしたお通しやお料理を考えるのも楽しい。 酒の肴になる、旬の野菜、魚、肉、山菜を使って。 因みに、スナック美奈子は無音です。BGMはありません。 カラオケなんて勿論ありません。 美奈子ママとお客さま同士の会話と、お酒とお料理を作る音だけが、さざめく波の音のようにゆっ

      • エルメスを売り捌き、良寛の書を買う

        夫が亡くなり、断捨離を始めた。 よくある話である。 私に子どもはいないので、特別遺さなければいけな財産は必要ない。 以前は、使わなくなったブランド品や洋服は、年若い友人によろしければと譲っていた。そんな私の気前の良さを同級生の友達に、もったいないわね、今は何でも売れるのよと忠告された。 そうして、あまり使った事のない新品同様のエルメスのバッグを買い取ってもらったら、当時買った値段以上になった。 何といっても、バブル時代を経験しているので、そのころエルメスで特注したゴルフ

        • 6月から10月の5か月間、5回しか外に出なかった今年の夏が終わった日

          家から出なくなったきっかけの日をはっきりと覚えている。 6月のある日、異常に暑い日があった。 その日、友人のパーティーがあるので美容室を予約していたのだが、あまりの暑さに外に出るのはいやだなしんどいなと思い、キャンセルした。 それから、私の引きこもりの暑すぎる長い夏が始まった。 夫を亡くし、精神的に弱っていた私にはいい口実だった。 一人暮らしで5か月間、家の周囲を5回しか外出しなくて人は生きて行けるのかというと、答えはイエスだ。 必要なものは、何でも届けてもらえるし、

        ホームレスと私とオールドパー

          アートディレクターと結婚寸前までいって、別れた話

          20代の後半から、30代半ばまで、名の通った年上のアートディレクターと恋愛し濃密な時を過ごした。 お互いに家は別々にあったのだが、彼の住むインテリア雑誌に何度も取り上げられる家を維持していくのが経済的に難しくなり、仙台坂上のマンションを引っ越し、目黒の私の家に一緒に住むようになった。 業界の話は分からないが、重鎮になればなるほどギャラも高くなり、次々とギャラも安くセンスの良い若手に追い上げられていくということだったらしい。 仕事は必然的に減り、経済的に苦しくなっていたのだ

          アートディレクターと結婚寸前までいって、別れた話

          触らないでもらえますか

          浅草のデパ地下にある老舗の魚屋さんで、とうとうそう言ってしまった。 思えば、最初から変に媚を売る男性店員だった。 買った商品を受け取るたびに、妙になれなれしく私の手を触り接触の多い店員だなと思ってはいたのだけれど、最初から確信犯であることは分かっていたが放っていた。 そこの魚は、他の店より間違いなく美味しいし、質も良い。 いつもその店員が対応するとは限らず、ずっとそこで魚を買っていた。 その前にも、とても不快になったことがある。 朝の7時前に、その男性店員から電話があっ

          触らないでもらえますか

          何者でもない人生を望む

          子どもの頃からずっと、何者にもなりたくない人生を送って来た。 根が怠け者なのだろう。 「普通の人生」を送るのが望みなのは、今も昔も変わっていない。 自分には何の特筆すべき才能もなく、何者にもなれないという合理的な考えの元、生きて来た気がする。 天才が努力をしてより一層の高みを目指す厳しい世界で、私は私の等身大のままでいいのだ、小さな世界を小さく生きるのが妙に気持ちが良いと思う人生観だ。 本を読み、心づくしのご飯を食べ、映画を観たり美術館に行き音楽を聴きにに出かけ、その帰り

          何者でもない人生を望む

          浅草暮らし

          私の人生で、浅草の家に住むことになるとは想像だにしなかった。 夫が麻布の家から千葉にある病院へ通勤で車で通うたびに、気になっているマンションが建っているよとよく話題にしていた。 駅近というより、駅の上にマンションが建っている、雷門からも徒歩5分、デパ地下も庶民的なスーパーも歩いて10分圏内、お向かいにはコンビニ、老舗から新しい店まで沢山あるよ、寄席もあれば浅草公会堂も歩いて行ける、浅草寺の庭園解放はこんな都会の真ん中にこんな広大な庭がとびっくりするよ、ジャズバーも沢山ある

          浅草暮らし

          間に挟まれる

          あちらを立てればこちらが立たぬ を経験したことは何度もあるが、強烈に忘れられない経験がある。 食べることと着物を着ることは同じぐらい好きなのだけれど、行きつけの老舗の料理屋さんと着物屋さんの板挟みになってしまったことがある。 料理屋さんでご飯を食べていると、骨董好きで目利きの店主から、店の暖簾にぴったりの麻布を骨董屋で買ってきたという。これを店の暖簾に使いたいので、一子さん行きつけの着物屋さんで仕立てて欲しいと頼まれた。 その時、既に嫌な予感はしていた。 渡された布自

          間に挟まれる

          当たり前じゃないですか

          毎日毎日、ご飯を食べて、掃除して、洗濯して、お風呂に入って、ゴミ出しして、税金を払って、健康保険料を払って… エアコンが壊れて付け替えに来てもらったり、定期的に契約している換気扇のクリーニングの人もやって来る。 引きこもりの生活の私ですらやることは多い。 そういうことが、全てめんどくさくなった。 何もしたくない、何も考えたくない、誰とも会いたくない。 そんなある日、たまたま気分が優れているときに遊びに来てくれた年配の友人に、死ぬ最期の一日まで生活は続くってしんどいですよ

          当たり前じゃないですか

          ゆっこさん

          主人が15年ぐらい前に友人になったユキコさんという、とても魅力的な浅草っ子の女性がいた。 青山の行きつけのバーでユキコさんのご主人と知り合い、友人関係が始まり自然と奥様のユキコさんとも仲良くなったそうだ。 ユキコさんは、見かけは派手好みの普通の50代の女性だったけれど、主人と暮らす麻布の家にいらしたときに、驚いたことがある。 家に飾っていた、香月泰男や熊谷守一の絵の作家名を言い当て、直ぐに反応されたのだ。 それらの絵画は地味だけれども味わい深い絵で、派手好みのユキコさんが

          ゆっこさん

          人と人の旬

          とても仲良くしている人が、フェイドアウトしていくように疎遠になることがある。そして、3年後に、3日間会ってなかっただけみたいな顔をしてまた連絡を取り合い、一緒に温泉に行く約束をしたりする。 人間関係には旬があると、歳を重ね経験を重ねて分かっているので、人が私から離れて行く時も、私が人から離れるときも、未練は随分と薄くなった。 若いころは、何か相手の気に障ることをしたのかなと心配することもあったけれど、今は無い。その人との旬が過ぎただけのことだ。 もちろん、ずっと連絡を取

          人と人の旬

          王さん再び

          ごめんなさい、出張先で長引いてしまいました、本当にごめんね、5分だけ待っててくださいねと王さんが焦って電話をかけて来たので、予約の時間通りについた私は、王さんのマッサージ室のある小さな古い雑居ビルの前で待っていた。 すると、すごく既視感のあるシルエットの自転車に乗った大男の姿が現れた。 ボリショイサーカスの小さなバイクに乗った熊そのまんまである。 お待たせしました!ごめんなさい!わたし、本当は時間に正確な人よ!と 謝る王さんに、いいえ、懐かしい光景でしたよと言うと何のこ

          王さん再び

          待ちに待った電話をワンコールで切った日

          若いころ、好きで好きで仕方なかった人がいた。 その人は、私よりも3歳若い男性で、遊び人だった。 その頃にスマホなどない。連絡の方法は家電だけだった。私が出かけている間に、その人から会いたいと電話があったらどうしよう… 電話をかけてきそうな時間帯は、なるべく家から出ないで、本を読んだり、映画を観たりしてその人からの電話を待った。 その人からの電話番号が表示されたときの嬉しさといったら! でも、あなたからの電話を待ってましたと思われるのが嫌で、5コールぐらいわざとらしく待った

          待ちに待った電話をワンコールで切った日

          trigger

          江藤淳の書くものが好きだった。 だが、彼が最期に書いたものは遺書であり、  心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。 というものであった。 江藤淳は闘病を重ねた愛する妻を看取り、自らの体調が優れない中葬式を終え、帰宅してみたら、空き巣に入られていた。 単純な事実である。 だが、何処の誰とも知れない空き巣のちんけな盗人が、彼のトリガーを引いてし

          大丈夫よ、心配することは何もないのよ

          大切な人を見送る数か月前から、私はその言葉を繰り返した。 医者であった夫は、自分の余命を把握していて、此の世から去る死の恐怖や、遺される私のことまで、心を痛めることが多かった。 彼を喜ばせることならなんでもした。 あっさりしたものしか食べられなくなった最期の冬のある日、鱈チリを小鍋で作った。美味しいね、今、僕はこういうものが食べたかったんだよ、これは僕が全部食べてもいいの?君は食べないの? 私の食べる物まで心配してくる。 理由は分かっている。 数日前、鰻好きの彼が

          大丈夫よ、心配することは何もないのよ