trigger

江藤淳の書くものが好きだった。
だが、彼が最期に書いたものは遺書であり、

 心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。

というものであった。

江藤淳は闘病を重ねた愛する妻を看取り、自らの体調が優れない中葬式を終え、帰宅してみたら、空き巣に入られていた。

単純な事実である。

だが、何処の誰とも知れない空き巣のちんけな盗人が、彼のトリガーを引いてしまったのではないかと思う。
もう、いいか…こんな世の中で生きていくのは耐え切れない。

どうしても行かなくてはいけない用事があり、土砂降りの雨の中車で出かけたら、駐車場が一杯で何処も空きがなく、仕方なく路上駐車して用事を済ませようとしたらそのお店が臨時休業で閉まっていて、10分後に車に戻ってみたらレッカー車でけん引された後で、六本木ヒルズの駐車場にあなたの車はありますよと麻布警察署で言われ、しぶしぶ車を取りに行ったら1万円の駐車料金を取られるようなことは生きていると何回もある。

それで死にはしないが、江藤淳の場合はもっと深刻な負の連鎖で、空き巣がトリガーだったのではないか。

勿論トリガーの無い死もあるだろう。

「惰性で見てたテレビ消すみたいに 生きることをときどきやめたくなる」

youtube を観ていたら、平井堅さんのノンフィクションという曲がアップされていた。とても心に響く歌詩だ。そういう死もあるだろう。

だが、私は、圧倒的に何かしらトリガーを引いてしまう出来事による死の方が多いように思う。

一言でいえば、「もういいや」というトリガーである。

生きていることと、死ぬことの天秤をかけた時、死の方へ大きく傾く魔の瞬間があるのだ。
有名人が自死すると、必ず陰謀説が出てくる。
そんなものは無いんだよ、芸能人でも一般人でも、此の世から去りたくなるそういう一瞬があるのだ。
なぜ、そんな簡単なことが解らない人たちがネット上であふれているのか不思議に思うことがある。

今まで集めた美しい骨董や宝石。

そして人。

死んだ後のことなどどうでもいいんだよ、どうにでもなれ…。

そう思った時、それが私のトリガーである。

大丈夫、今、私が自らトリガーを引く気はない。






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