間に挟まれる

あちらを立てればこちらが立たぬ

を経験したことは何度もあるが、強烈に忘れられない経験がある。

食べることと着物を着ることは同じぐらい好きなのだけれど、行きつけの老舗の料理屋さんと着物屋さんの板挟みになってしまったことがある。

料理屋さんでご飯を食べていると、骨董好きで目利きの店主から、店の暖簾にぴったりの麻布を骨董屋で買ってきたという。これを店の暖簾に使いたいので、一子さん行きつけの着物屋さんで仕立てて欲しいと頼まれた。

その時、既に嫌な予感はしていた。
渡された布自体に妙に持ち重りがする。暖簾にするには目が粗い。この重めの布は風になびく暖簾には向かないのではないかと素人目にも感じたが、是非にということで一応受け取った。

一流の料理人であったが、着物や布についてはプロではない。

仕方なくその頃頻繁に着物を作っていた昵懇の呉服屋さんに頼んでみたら、やはりこの骨董の麻布は暖簾には向かないのではないでしょうかと言われた。その旨を料理屋のご主人に伝えたら、いや、あの布はすごくいいものなので是非暖簾としてうちの店に掛けたいから仕立ててくれと引いてくれない。

確かに風情のある反物なのだが、暖簾には向かないですよ、それでもいいですかともう一度確認を取ってから、店名を入れる位置から何から何まで細かく打ち合わせをして図案を書いてもらい、仕立てあがった暖簾は一見素敵だった。打ち合わせのために、呉服屋さんも料理屋を何度も店を訪れ、酒食を楽しみ、料理屋さん、呉服屋さん、私と楽しい時間も過ごした。

けれど、その時間は短いものだった。

やはり、その布は暖簾にするには向かないもので、半年も経たず使い物にならなくなり、以前の暖簾に掛け替えた。

ある日、その料理屋さんに食事に行ったら、何故か私に文句を言われた。
布の片方は垂れ下がるし、重みがあるし、店名を入れる位置も逆であると。

私にしてみれば、それは重々承知の上で無理に私を通して呉服屋さんに頼んだものですよね!店名の位置も下書きで確かめましたよね!と言いたいところをぐっと堪えた。

頼んだ呉服屋さんも一流の店だったので、正直に言えば、私からの頼みだから、精いっぱい無理をして仕立て上げたものですよと言いたかったと思う。うちは呉服屋であり、暖簾を受注する店ではないとも言いたかっただろう。それでも、名店の名に恥じない暖簾を作って下さったが、如何せん初めから筋の悪い頼み事だった。

正直に言えば、私は若く、お金も介在する話の間に挟まるべきではなかった。関わった三者ともに気まずい思いをしなければいけなかった。

それからは、誰かを紹介してくれと言うような話には、すごく慎重になった。

当たり前である。

料理屋さんからすれば紹介した呉服屋さんの力足らず、呉服屋さんからすれば、無理な注文を入れられた上に気に入らず使えなかったと言われる。
ましてや、その間に挟まれた私には何の責任もないのに、両方からため息が聞こえる。

人に頼みごとをするときは1対1がいちばんいいと若いときに学んだ私を褒めて欲しい。

レストランの紹介でもとても嫌な思いをしたことがある。
東京で美味しいイタリアンを紹介して欲しいとあまりにも主語の大きい頼まれごとをした。お値段は高過ぎず安過ぎず、私にとってはとても美味しいと思われる店を紹介したら、どうもお気に召されなかったらしい。
なら、私に訊くなとしか言いようがない。
トリュフの美味しい店を教えて欲しいと言われて教えたら、トリュフが無い時期に訪れて文句を言われたことさえある。
もう、グランメゾンしか教えられるところがない。そうしたら、きっと、値段が高すぎたと文句を言われるのであろう。

因みに、予約は私が取っている。

もう、私には、浅草の美味しい居酒屋さんのことしか尋ねないで。

人に頼み事をするときは、頼んだ方の自己責任だと思って頼むのが大人のたしなみであることを忘れずにいようと私自身は思っている。




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