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ソテツ地獄からの連想の果てに悟り?


美しいソテツ

砂糖バブルとソテツ地獄・・・私の祖母たちの思い出から

私の曽祖父は「ニューヨークへ密航して大金を稼いで帰郷した」
との話は何度か祖母やおばさん達から聞いた記憶がある。

今になって歴史の本等を読むと、
砂糖バブルソテツ地獄の時代の事らしい

1920年頃から1930年頃かと思われる。

第一次世界大戦世界大恐慌昭和恐慌
など世界の歴史と沖縄は密接に繋がっていた。

密航して、ニューヨークで庭師をして稼いだ曽祖父が持ち帰った金は、当時の沖縄では随分な価値があったらしく、砂糖ビジネスで失敗した弟の屋敷を取り戻したり、畑等を購入したりして、当時の字では裕福な方だったみたいで、来客に豆腐を振舞ったことが自慢だったらしい。レコードや蓄音機等もあったが、太平洋戦争の沖縄戦の際に米兵に持ち去られたと話していた。

最近読んだ “つながる沖縄近現代史” に前田勇樹さんが書いていらした
“砂糖バブル崩壊とソテツ地獄” の部分と関連しそうだ。

今の沖縄のなぜのルーツが書かれています

つながる沖縄近現代史


ソテツ地獄の話は詳しく聞いた記憶がないので、ソテツが救荒作物として食べられたことは、主に本の知識です

沖縄戦後の貧困の時代を生き抜いた父母たちの 

芋とはだしの時代” 

の話を聞かされて育ったので、

自分たちの生活は贅沢が過ぎており

「いつまでも続かないのでは」
とか考えていた。

ローマクラブが石油の枯渇する未来とかを発表していた頃です)

でも、今となっては、エアコンも自家用車も外食もなかった当時よりも贅沢な時代になったけど、

これからも生活は益々豊かになっていくのだろうか?

父母が沖縄戦を生き延び、

そのまた祖先達は

ソテツを食べて飢饉を生き延びた結果

今の自分が生かされていると気づかされる時

自分は 

色々な命の連鎖の結果として、今、生かされている


と思うのです。


となれば

自分の至らなさとか失敗とかは

ほとんど無価値のような

今日も頂いた命や
生かされている喜びの感謝の気持ちに包まれて
公園を散歩するか


せわしい小鳥のさえずり

辛抱強く餌やりの人を待つ野良猫

いつもぼんやり座るホームレス

たくましい生存競争を繰り広げる美しいい植物達


みんな同じく ”今ここに” 生かされている仲間

最近読んだ本にを思い出したけど


欠け椀ももとは吉野の桜なり


●『心配事の9割は起こらない―――減らす、手放す、忘れる「禅の教え」 三笠書房 電子書籍』(枡野 俊明 著)より



能力とか優劣とかは無意味だね

38億年前の最初の細胞から
(もしかしたらそれより遥か大昔に宇宙のどこかで生まれて隕石とともに地球に来たとの説も)

一度も途切れることなく続いた命の連鎖や

ほかの命との相互作用

がなければ
私もほかの仲間たちも存在しないのだな

いつもくよくよする自分に言い聞かせる


以上


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