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宝石を選び取るように、言葉をあてはめていく

今回は私が自問自答して選んだコンセプトについてまとめていきます。


コンセプト:ベータ版

自分の「なりたい」「好き」「ファッションの条件」をまとめたスパイダーマップ。

これらを網羅したコンセプトとして私が暫定的に入れたのはこちら。

「現代という世界で宝物を集めながら旅する魔女」

…ふぅぅぅ。
大きく深呼吸しないとやっていられない…恥ずかしいし脳内のボキャブラリー辞書アップデートしたくなるし何とも言えない気持ちになる…口にするだけで覚悟がいるんですが…??日々これと向き合ってる自問自答ガールズの皆さん本当に尊敬します…

「魔女」というコンセプト、他のガールズの方々でも表現されているワードで素敵な響きですよね。しかし、いざこれを自分にあてはめてみたとき何となく違和感があって、一応決めてみたコンセプトなものの、まだブラッシュアップする余地全然あるなと思っていました。
最近になって違和感の理由が分かりました。「魔女」という単語、現代においてあらゆるイメージと紐づいているからだと。エイジレスな印象を意味する「美魔女」であったり。ときには他人の人生を狂わせるぐらいの影響力を持つ、場合によっては悪女のような意味合いであったり。私が意図しないイメージもついてきてしまう。

選んだ言葉の再定義をしていく

自分だけのコンセプトの話なので、ひたすらわがままにいこう。そう言い聞かせて非常に自分本位な話をしていきます。
そもそもなぜ私が「魔女」という単語を一度コンセプトに採用したのか。それは、「人間とは違う次元の存在」であるからです。私、きっと自分以外の人間に対してそう興味がないのです。他人からの評価なんて気にしない。自分がどう在りたいか、自分が自分自身に対して満足かが一番大事。

梨木香歩さんの小説『西の魔女が死んだ』に出てくるおばあちゃんみたいに、ひとり静かな森に住んでいて(虫が一切ダメな人間なので実際に森に住むのは勘弁です…精神的な概念の話だと思ってください)そこでひっそりと暮らしている。
たとえばどこかに王国があったとして、王室一族の結婚式で城下町がお祭り騒ぎになっているようなときでも私は我関せず、森から出ようとはせずに薬草とかを育てながら「今日はこれでおいしいハーブティーが飲めるな、フフフ…」と誰に話しかけるでもなく、にまにましていたいタイプです。
魔法を使って、楽ちんにお湯をわかしたり洗濯したりほうきがけしたりして、自分の生活を快適にすることに力を使って日々を過ごしている。周りへの奉仕活動は基本しない。英雄を魔獣から助けたり、傷ついた兵士を癒したりといった、誰かのための魔法じゃなく、あくまで自分の生活を豊かにするためだけに使っている(村の集落や王国から支援要請があれば検討する)。そういう魔女のイメージが私のコンセプトです。

両親にも「会社勤めには向いていない」と言われたぐらいの個人主義な性格なので、ちょっと偉そうな、人を見下した態度を取ってしまっていることもきっとあって、そういうのが失礼にあたるんだなという常識は一応あるので、以前はそれを矯正しようと試みたこともあるのですが、最近は開き直って(周りに害にならない範囲で)「自分上等」の精神で生きています。
話を戻してコンセプト。いろいろな意味合いに受け取られてしまう「魔女」という単語じゃなくて「魔法使い」みたいなジェネラルなニュアンスの方が近いかもしれないという気がしてきました。

「魔法使い」という表現も合っているんだろうか? もう少し「魔法使い」の種類について掘り下げてみました。

ここで目についたのは「mage(メイジ)」と「magi(マギ)」。まずはmageから。

Mage: a person who has magic powers or who has studied for a long time and has a lot of knowledge

https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/mage

魔法を使える人を指しているだけではなく、研鑽を重ねた結果、豊富な知識を持っている人、という意味にもなるそうです。

Magus(メイガス)はmagiの単数形。こちらはもっと興味深くて、占星術に通じている賢者をも指すようです(vocabulary.com)。聖書で語られるキリスト生誕の際に駆けつけた三博士がマギの総称で呼ばれているのですね(Wikipedia)。「魔法使い」という言葉から調べていくとこんなにバリエーションがあるのは面白いです。

多分その昔、占星術に長けた人はさながら神秘的な力を操れるかのように、他の人の目には映っていたのでしょう。流行に疎い・大衆的なものに興味がない、というところも含めて、少し他の人とは違う。他の人にはない専門性や知識があって、少し違うものを見ている。私がなりたいイメージ、これに近いのかもしれないです。星占いも好きだし笑。

コンセプト:正式版

× 魔女(witch: ウィッチ)
⚪︎ 魔法使い(mage: メイジ / magus: メイガス)

以上を踏まえ、コンセプトに入れていた「魔女」を「魔法使い」に差し替えてみます。

「現代という世界で宝物を集めながら旅する魔法使い」

英語にすると、a magus on a journey through the modern times, collecting precious pieces かな。

「宝物」というのは私にとって大事なものという意味で、友人であったり、友人という間柄じゃないけれどすごく仲の良いいきつけのお店の店員さんや取引先の人、人生の師(と私が勝手に仰いでいる方々)、両親の存在。そして趣味であったり、推しであったり、それこそ「自問自答ファッション」という考え方であったり、それらを通して手元に集まった服やアクセサリーや本や音楽や資料や小物類、今の私の生きる活力全部です。宝物 = precious pieces、という言葉選びもちょっと素敵な気がしてきました。ふふふ…

合言葉は"Do it for the Fat Old Lady."

話が逸れるのですが、私サリンジャーの『フラニーとゾーイー』という小説が大好きなのです。

私が読んだのは原書で、いま手元にないので以下うろ覚えです。いろいろ間違っていると思いますがご容赦ください。
グラース家には7人の優秀な子供がいて、そのたぐい稀な知性と記憶力、思考力で周りの大人たちを驚かせていたことから、その才を買われ一時期、ラジオのクイズ番組に出演していました。出演していた時期、下の子供たちはまだ多分小学生低学年くらいの年齢。ある日、下の兄妹たちが「なぜそんな大衆的な番組に出なければならないんだ」「どんな回答をしたってリスナーに回答の価値は分からない」「自分たちが頑張っても意味はないんだ」というように愚痴をこぼしていたところ、一番上のお兄さんは彼らをたしなめるのですが、その際にこんなコメントをするのです。

"Be funny for the Fat Old Lady."

Fat Old Lady = 太った・年老いた・婦人?  What??
ハリー・ポッターに出てくる絵画の中の人みたいですが、この小説が書かれたのは1950年代。1990年代に書かれたイギリスの魔法使いワールドの児童書シリーズとは関係がありません。
言われた下の子供、特に末っ子の女の子・フラニーには、謎めいたこのコメントがよく理解できませんでした。小説では、何年も経ってから彼女がこの兄のコメントを回想するシーンが描かれます。「当時はFat Old Ladyが何を指すのかよく分からなかったけど、何となく自分の中で、<肥満で散歩もろくにできないから、1日の大半を家の外のベンチに腰掛けて過ごしている。がんか何かの病気を患っていて、ラジオを聴くしか毎日の楽しみがない>、そんなおばさんの姿をイメージしていたわ」。

それを受けて、フラニーの(2〜3歳上の?)兄・ゾーイーはこう返すのです。「そうそう。『そのおばさんのために、ラジオでおもしろい話をしてあげなよ』って言われたよね」。
どこかにいるかもしれない、いないかもしれない、概念としてのFat Old Lady。本意ではないかもしれないけれど、とりたてて高尚なわけでも為になるわけでもないラジオ番組を楽しみにしてくれている、その人のために、少しでもおもしろい話をしようよ。

(長くなりすみません、ちゃんと自問自答ファッションにも関連するので、できればもう少しだけお付き合いください)
この思い出話を兄のゾーイーとしていたとき、フラニーは実は悩んでいました。大学に入学して、ただ純粋にすばらしい詩や文学を、すばらしいまま受け入れて尊んで学んでいきたいのに、誰も彼も薄っぺらい人間ばかりでこんな世界間違ってる!若さ故の葛藤を抱えて、自分が信じていた信念もよく分からなくなって、昔一番上の兄が話してくれたキリスト教の教えに没頭し、極端なハンガーストライキ的なことを実施していた妹に、兄のゾーイーは言います。その行為は兄の教えを口実にした逃げであり、キリスト教の教えの本質はそう難しいことじゃない。さっき言っていた「Fat Old Lady、そのおばさんこそが、キリスト自身なんだ」だと。

どこかにいるかもしれない、ラジオを楽しみにしてくれているおばさん。そんな誰かに対して、今自分ができることをする。それこそが信仰心を失わないでいられる手段なんだと。
※この小説は宗教色が色濃く出ていますが、その要素を省いても兄妹愛のすばらしさが感じられる傑作だと私は思っています。ちなみに筆者は法事でお寺に行ったりしますが、実家に仏壇はないし、神社へ初詣や盆踊りにも行くし、隙あらばクリスマスもイースターもバレンタインも(?)お祝いしたい、いいとこ取り万歳なタイプで、特定の宗教を特別肯定したり否定したりするつもりはありません。

信仰というと、⚪︎⚪︎教徒と名乗れる方しか持ち得ないもののような印象ですが、自分の中にある信念って誰しもないでしょうか? 
わかりやすいところでは、世界平和! 自由・平等・博愛! もしくは、「こういう風に在りたい」という願いかもしれない。

「娘や息子にはかっこいいところを見せたい」
「お世話になった恩師に恥じないように在りたい」
「パートナーの隣で誇れる自分でいたい」
「誰よりも自分のために自分を大切にしてあげたい」

それもある意味、信仰だと言えるのではないかと私は思います。そして多分、信仰や信条、哲学というものはきっと、Fat Old Ladyのように、「今日はどんなおもしろい回答を番組でしてくれるのかしら」と自分たちに・自分自身に期待してくれている存在なのではないかと。もしFat Old Ladyがファッションに関心があったら、きっとこんなことを期待するんだろうと思います。

「今日はどんなファッションを見せてくれるのかしら」
「今日はどんなアクセサリーで私を魅了してくれるのかしら」
「今日はどんなヘアメイクで私を驚かしてくれるのかしら」

たとえ実在しない人だとしても。そういう(目には見えない、自分の中にしかない、自分のためだけの)期待に応えようと思うことが、信条を貫く、ということなのかなと思います。要は「俺はいいけど、YAZAWAは何て言うかな?」と同じですね。説明へたくそか。

コンセプトは呪文

いろいろと書きましたが、コンセプトに話を戻します。先ほどのコンセプトに、先日私がまとめたマップに入っている「なりたい」「好き」に関連する単語は、多分全く入っていません。

またしてもこの荒々しいコンセプトマップが…

個人的な見解ですが、把握するべきはイメージの解像度で、コンセプトはそれを呼び出す呪文に相当するものじゃないかと思っています。呪文を唱えれば、「なりたい」「好き」「似合う」を実現していくための魔法が発動する。その呪文は、長い詠唱であったり、短い一言だけであったり、人によって違う。

コンセプトの魔法使いを思い浮かべるとき、私の脳内にはしっかりイメージができています。とある森の中でひとり住んでいる魔法使いが、コテージの中、窓からの光がよく入る居間で、のんびりとお茶とお菓子を楽しんでいる姿が。強くやさしく美しい彼女は、神秘的な力をひけらかすことなく、栄光や名誉を望むわけでもなく、そこで静かに暮らしています。

彼女は暑さや寒さに弱く、少しでも不快な気持ちになると薬の調合が雑になり、爆発が起きて失敗したり、別の効能が出る全く違う薬になったりします(=なので機能性のある服を着る必要があり、日々の生活も快適に過ごせるよう努めなくてはなりません)。お腹が空くと不機嫌になりうっかり誰かを呪ってしまいかねないので、ごく稀に彼女の元へ薬を求めにやってくる人間たちがタイミング悪く訪れないよう、来訪者お断りの時間は絶対にコテージまで辿り着けないよう森全体に魔法をかけています(=これもひとつの強くやさしく在るための彼女なりの気遣いなのです)。

自分の審美眼にかなった宝物コレクションを鑑賞するのが楽しみな彼女は、テーブルに並べたさまざまな収集物を上機嫌で眺めるのが日課です。私が彼女の服を選ぶとき、彼女は私にこう言います。「その服、本当に私が着るの??」
彼女に満足してもらえるように、今後も自問自答していきたいと思います。