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29年目の喪失感・・・

23時に帰宅した私に信じられないことが伝えられた。
29年前のその日まで、ほぼ週末の金土日曜日のいづれかの夜間は釘付けだった。
デートも、その時間には早めに帰宅するほど。
当時・・・

中嶋悟 鈴木亜久里

日本の選手は、彼らが名を連ねていた

フォーミュラー1  。
通称F1
カーレースである。

当時 国内外の車メーカーの友人知人が多かった。
何より ベンツを始めとする外車が国内の道を多く走り始めた時代。
全く車に興味なかった私を友人知人がF1に引きづりこんだ。

ご存知の方も多いと思うが、F1は最先端の車機械のテスト・公開の場でもある。
今は電気自動車だが、ガソリン等のオイル車で各車両のエンジン音も心地が良い時代である。
車を見ずともエンジン音でどこの車両の何が走り去ったかわかるほどだった。
F1レースがテレビ画面から消えた昨今、突如としてインスタである映像が流れる。
一気に当時のことが思い出された。

〇〇ちゃん、セナがなくなったよ。

耳を疑った・・・レース中にアイルトン セナが事故ったのである。
ホンダエンジンを知り尽くし・・・フェラーリの王が事故った。
帰らぬ人になった・・・フェラーリの王が去った瞬間だった。

この日に限って戻りが遅かった私は、ショック状態だった。
さっき自宅に送ってくれた このF1や車のメカニズムを詳細に教えてくれた当時の彼に電話した・・・彼も絶句だった。

その在し日のセナの姿がインスタに次々と上がってくる。
私がファンだったことを見抜いたように。

ミハエル シューマッハがレースに出始めた頃の事故である。
時が止まったようだった。

あの人々を国内・海外のレース場へ足を運ばせた
音速の貴公子 アイルトン セナが地上から去って、29年経とうとしている。
時代と共に 車社会も大きく変わった。

セナ・・・わかっていても 戻ってきて・・・帰ってきて!
私は貴方の姿を見るとそう思います。
貴方と同じ時代に、青春を!レースを楽しんだことは大切な思い出です。
セナ・・・来年の没後30年は、遠いあの日・あの時代を思い出す日にしたいと思ってます。
音速の貴公子 アイルトン セナ
素晴らしいハンドルさばき、レース展開をありがとう。

29年。 この喪失感は 29年経っても変わらない。
昨日のようで・・・あの日は あまりにも悲しく惜しい遠い日である。

        ※

Cohibaのちょっと ひと息♪
思えば・・・F1レースを見ておくだけで、一通りの車のことがわかる。
青天・雨天それぞれにベストなタイヤのこと、交換のタイミングがナレーションで伝えられる。
レース自体が教本と言える。

何よりレース自体がショータイムである。
特に、レースカーがタイヤ交換などでピット内へ入る際のピットクルーの動きやピットインした時の動き、レースに復帰する際。
とにかく 監督を始めとするピットクルー達の動きが綺麗というか素晴らしい。
猛烈な緊張感が伝わるが心地が良い。
全くのど素人で興味のなかった私が引きづり込まれたというのは、ピットクルー達の姿や動きが惚れさせといって過言でない。
未だに動画を見るとゾクゾクさせられ 華やかな気分を頂ける。

番外でセナが好きだったが、当時 ジャン アレジのファンだった。
後に勝利の女神と囁かれた後藤久美子さんがパートナーになり、フェラーリでアレジが初優勝した際は、大声をあげて喜んだものだ。
当時のフェラーリのプロデューサーか監督は、ジャン トッド。
そう これまた後に偶然にも好きな素敵なハリウッド女優ミッシェル ヨーのパートナーである。

F1世界も世代交代が起きている。
アレジ達の時代の次世代が走り始めている。
車も大きく変化したが、ハンドルを握る面々も。
F1の世界だけは、幾つになっても 何処か アンテナを張っていたいと思っている。