見出し画像

【暴露】早期退職を申し出て第二の人生を再設計したときの話

約3年前(当時:55歳)、私は人生の岐路に立っていました。心の中には、これからの人生をどのように過ごすべきか? 葛藤が渦巻いていました。
日曜日の夕方になると(サザエさん現象)過ぎ去る時間を見つめながら、私は過去と未来の狭間で揺れ動いています。

長年心血を注いできた仕事には、大きな達成感と生きがいを感じていました。成功体験を組織のメンバーと分かち合い、苦難を乗り越えてきた長いサラリーマン生活。

しかし、病院のベッドで最期を迎えるとき、この道を選んだことに後悔しないだろうか? 愛する妻と過ごすべき貴重な時間を削り、会社生活を続けるのが、本当に正しい選択なのだろうか?

そんな思いを巡らせながら、次の一歩を踏み出す準備をはじめるときが来たと強く感じはじめます。

いまこそ、新たな挑戦をはじめるべきだ! と心に決めたのです。


早期退職を申し出て円満解決

早期退職を申し出て円満解決

私は工場勤務で生産技術部門(部下:100人)を統括していました。
生産性向上、コスト削減、製造不良、クレーム対応などの品質管理、安全衛生・管理(労災対策)、部下のさまざま人事問題の解決、現場応援や納期短縮のための夜勤対応まで社畜として働きます。

日々、私は情熱と緊張の中で「24時間戦えますか?」で生きていました。
顔を真っ赤にして、絶え間なく問題解決に取り組む毎日は終わりのない戦いでした。

年収は8桁に達していましたが、その背後には本当の幸せが欠けているという現実がありました。
豊かさの中にも心の充足感は見つけられず、私は「これが本当に求めていた人生なのか?」と自問自答を繰り返します。

私が工場長に早期退職を申し出たとき、彼の反応は切実なものでした。
「もう少し待ってくれ!」という彼の顔は、責任感に満ちていました。私が退職すると組織全体に悪影響が及ぶことを恐れていたのです。

一方で「組織が困る!」という彼の言葉は、私の心に重く響きます。もし自分が彼の立場だったら同じように感じ、同じように行動していたでしょう。

そして話し合いの末に私たちは妥協点を見つけます。現在の業務を後輩に引き継ぎ、新しいプロジェクトの立ち上げを完了させることで引退のタイミング(役職定年まで)としました。

私は自分の後を継ぐ後輩にすべてを託す準備を整えはじめ、プロジェクトにも着手します。

それは、組織にとっても、私にとっても最善の道だったのです。

一抹の不安がよぎることも

一抹の不安がよぎることも

退職後の老後を想像すると、心に一抹の不安がよぎります。
それなりの蓄えもありましたが、投資からの収益は不確実で、安定した収入源とは言い難かったのです。

子供たちはすでに巣立ち、人生でもっとも貯蓄を増やすべき時期を逃さず、会社に残れたことは今では心から感謝しています。

退職は無収入になることを意味し、それが私の最大の懸念でした。
そして貯蓄と投資に頼るだけではなく、第二の人生に向けて新たな収入源を見つけることを目標にします。
会社生活で培ったリスク管理が活かされたときでもあります。

その後、私は自分の未来を再設計し、新しい人生の航路を描いていきます。

第二の人生を再設計しスタートするが・・・

第二の人生を再設計しスタートするが・・・

「会社からの収入に頼らず、自分自身の力で収入を生み出す」そんな思いを胸に、副業を決意します。
もっと早くこの道を歩みはじめていたら、余裕を持って取り組めたかもしれません。

しかし、退職時期が明確になり残された使命を理解することで、仕事の苦痛も和らぎ、徐々に副業に力を注げるようになります。
何より、これまで会社への貢献がすべてだと思っていた私にとって、新しい挑戦に取り組む時間がこれほどまでに楽しいとは、想像もしていませんでした。

私の日々は新しい色彩と活気に満ち溢れていましたが、そう簡単に物事は進みません。

自ら期限を設けてプレッシャーを掛けたのが、諦めなかった要因ですが、たった5桁/月の収入を得るまで「無収入の残業及び休日対応」が約2年間も続くことになります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?