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たわいもない日記 10日目(仕事とは)

前回から日が空いてしまった。
もう4月も半ばになろうとしている。
桜は咲ききって葉が見え始め、祭りは終わった。

そう、2年ぶりの生ドラム披露は無事に終わり、ミスショットも少なく、自分の中でも及第点の演奏だった。
上手いわけではない。
自分が楽しめて見てくれた人に楽しんでもらえて、ずば抜けたミスがなければ、及第点だ。
仕事を辞めようかと考えていたのに、あれよあれよと会社のバンド活動にまで足を突っ込んでしまったので、いよいよ抜け出せなくなってしまった。

そして日は経ち、自分の持ち場の女性がまたひとり、休職になった。
体調不良とのことだが、心身不良なのだろうと察する。
思えばいろいろ心当たりはあった。
職場の上司に対する不満や、業務の運用についての不満を日々ぼやいていた。周囲にも聞こえる声で。
自分が描いていた理想の環境ではない、その絶望を感じてしまったのかもしれない。

彼女は「こうあるべき」の思想が強く、業務中も私に訴えかけるように話してくることは多かった。
私は彼女にやたらと尊敬されていて、仕事が早い、発想がすごい、こうだったらいいのにを実現しようとしてくれる、とべた褒めで、私はちょっと引き気味でもあった。いつだって褒められるのを疑ってしまう。そんな立派な人間ではないと拒んでしまう。
だからこそ自分の思いのたけを伝えずにはいられなかったのだろう。
私は聞きながらも諭したり、それなりに向き合っていたとは思う。
話半分の時もあったのは事実だが。

彼女は、3月までは有給を使い切ってしまい、休めないとぼやいていたようだった。本来有給とはそういうものではないのだが、突発的に休みたくなる、というような捉え方もできる発言だなと思った。
そして4月に入って有給が発生し、案の定(?)休むようになった。
いつもは休んでも翌日にはケロッと出勤していたのだが、今回は違った。
連日休み。そしてそのまま休職。
休んでいい、と思ったら、糸が切れてしまったんだと思う。
そして体調不良の休職は診断書が必要なので、然るべきところに通っていたのだろう。
もう会うことはないかもしれない。
もしかしたらいろいろ考えて、復帰するかもしれない。
いずれにしても時が経たなければ、わからない。

学校でも職場でも、集団での生活は疲れるものだ。
いくつになっても、人間関係は疲労と隣り合わせ。
私は一人っ子ということもあって集団が苦手なので、誰かと常に一緒、ということができない。誰かに合わせることも苦手だ。
でも時に、集団はそれを求められる。それが仕事。
過去に演劇をかじっていてよかったなと思うのは、これは別の自分、別の役柄で演じているだけと考えることができること。
我慢ではない、仕事をする自分を演じる。
それがいずれ自分の一部になっていく。
合わせることを少しずつ吸収していって、それでも譲れない部分は残す。
取捨選択。そうやって仕事という現場を覚えていき、処世術を身に着けてゆく。
演じる自分とは別に、解放できる場も残しておいた方がいい。
私はそれが音楽で、演劇で、野球観戦だ。
解放の場はいくつあったっていい。
がんばれ若人。

それでもしんどいなら無理はせず、休め。
でも自営業は心弱い人にはハードル高いと思うので、あまりおすすめはできないかな。
生きてるだけで人生どうにでもなるよ。

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