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Coach Cruz さん

12月に行った、アメリカ遠征では、カルフォルニアのサンディエゴであるレジェンドの元に訪れました。それは、TWOLAPS TCのコーチの横田真人さんが現役時代、サンディエゴを拠点としている際のコーチでもあり、私(和田俊明)の母校であるオレゴン大学の先輩でもあり、オレゴン大学の陸上部に殿堂入りしている Coach Cruz (本名: Joaquim Cruz)さんとお食事をする機会をいただきました。

Coach Cruz の選手時代

Coach Cruzさんのコーチでもある Luiz de Oliveira さん との 20年にもわたる歩みについて話してくれました。12歳からLuizさんにはバスケットボールを教わっていました。ん?と思った方もいるかもしれません。Luizさんはバスケットボールのコーチだったのです。14歳Cruzさんは陸上の大会で負けなしだったため、陸上に種目変更をしたのです。そして、コーチであるLuizさんもそのタイミングで陸上のコーチとなったのです。バスケットボールのコーチとしてとにかくコンディショニング( 持久的な体力要素)を重視していた指導スタイルでCruzさんを陸上選手としての芽を咲かせ、共に歩み、21歳でオリンピックで金メダルをとるほどの成績を納めたのです。若くしてタイムも目覚ましいものがありましたが、19歳で渡米し、20歳にはオレゴン大学に入学しその年のNCAA(全米選手権)800mで優勝、そして世界選手権で銅メダル、その翌年の21歳でNCAA(全米選手権)で珍しい、800mと1500mで2冠を果たし、その2ヶ月後の1984年のロサンゼルスオリンピックで、現世界陸連の会長セバスチャン・コーを破り金メダルを撮りました。 そして、その直後のケルンでおこなれたレースで、1分41秒77という当時歴代2の記録で、アメリカに旋風をおこしオレゴン大学からスーパースターが誕生したのです。その後、1988年のソウルオリンピックで銀メダル、1996年アトランタオリンピック出場と、怪我にも悩まされたとおっしゃていましたが壮絶なアスリート時代の話を贅沢すぎるくらい津々浦々と話してくれました。

話を聞いていても、とにかく現役時代は負けず嫌いで、勝つことを原動力に時には吐くまで練習したり、陸上では1番以外にはなりたくないというシンプルな動機でちの滲むような努力をされ、数々の輝かしい戦績を収めているCoach Cruzさんですが、現在は、サンディエゴのチュラビスタにある、アメリカのオリンピックセンターでパラ選手のコーチをしております。会話をしていて、たくさんの学びがありましたので、印象に残っていること、感銘を受けたことを共有できたらと思い文章に綴りたいと思います。

4年サイクルでトレーニングを計画

Coach Cruzさんが現役の頃、Coach Luizさんは4年周期でトレーニングを計画しているということ。オリンピックは4年に一回、世界陸上は2年に一回。この世界の大舞台で勝つことを目標に、ベストなステージでベストなパフォーマンスを出すためにはどうしたら良いか。そのためにはピーキングをどう持って行くべきかを考えてトレーニングしていたということを聞いて共感すると同時に、1980年代かそのようなスポーツ科学に基づいてトレーニングをしていたことに驚愕しました。そして、4年サイクルでトレーニングを計画し、毎年トレーニングの内容に変化を加え、漸進的にトレーニング負荷や強度をあげるため、そして6月にあるNCAA全米選手権ではなく、7月8月に行われる世界大会ににピーキングをあわせてトレーニングをデザインしていたのです。そんな Cruzさんのお話の中で、印象的な言葉がありました。

フルーツは、年に1回か2回しか実らない。

フルーツを育てるときとアスリートも一緒で、土を耕し(練習する環境を整え)肥料をまき(指導者が計画する)、土壌を耕してから種を蒔き(トレーニングを基礎から開始する)、そして栄養(トレーニング)を与え、実るときまでじっと育てる(ピーキングをあわす)のだよとお話されていて、すごく腑におちたのを覚えています。


コーチとして大切な要素

Coach Cruzさんに、コーチとしてズバリ必要な要素はなんですか?と尋ねたところ、以下の2つとキッパリ言い切っていただきました。

・Creativity (クリエイティビティ)
・Knowledge of Sports Science (スポーツ科学の知識)

コーチである以上、日々選手のパフォーマンスを向上させるため、最新の知見をインプットし、そして情報社会の中で自分に必要な情報を取捨選択し、それを統合して自分のコーチングに活かす。ただインプットして知識のアップデートするだけでなく、それをトレーニング効果を最適化するためには創造性が求められるというCruzさんのお言葉をいただき、コーチである以上は、常にアンテナをはり、選手がベストなステージでベストなパフォーマンスを発揮するためのコーチとしてのあり方を教わりました。

Coach Cruzさんとの時間は濃密であったとともに、活躍する選手には優秀なコーチがいて、一貫したトレーニングを計画し、そして時には柔軟に振るまわなければならない。これからも驕ることなくHungry (貪欲に)に選手の成長を導いていきたいと思います。

和田俊明
FIRST TRACK

Cruzさんのプロフィール↓

ジョアキム・クルスは13歳の時に走り始め、1981年に800メートルで1分44.3秒というジュニア世界記録を樹立しました。1983年にはオレゴン大学から奨学金を受け、同年にNCAAの800メートルタイトルを獲得し、1983年の世界選手権では銅メダルも獲得しました。1984年には、クルスはNCAA選手権で珍しい800メートル/1500メートルの二冠を達成し、世界記録保持者のセバスチャン・コー(世界陸連理事)と共に1984年のオリンピックを迎えました。800メートル決勝では、クルスは1分43秒00でゴールし、アルベルト・ファントレナのオリンピック記録を破り、1952年と1956年に金メダルを獲得したトリプルジャンパー、アデマール・フェレイラ・ダ・シルバ以来のブラジル陸上競技のオリンピック金メダリストとなりました。
オリンピック後のヨーロッパツアーでは、クルスは800メートル走で素晴らしい記録を樹立しました。チューリッヒのWeltklasseミーティングでは1分42秒34で優勝し、史上2番目のランナーとなって1分43秒を切り、ブラジル記録も樹立しました。その2日後には、ブリュッセルのVan Damme Memorialで1分42秒41を記録し、さらにその2日後にはケルンで開催された大会で、クルスは1分41秒77という史上2番目に速い800メートルを走り、わずか0.04秒でコーの世界記録に届かなかった。1984年の終わりまでに、クルスはNCAAチャンピオンであり、オリンピックチャンピオンであり、800メートルの全7レースで無敗であり、史上2番目、4番目、5番目、6番目に速い800メートルの記録を持っており、Track & Field Newsによると1984年の800メートルで世界ランキング1位に輝いていました。1985年にもクルスは印象を残し、8つの800メートルレースのうち6つを制し、最後の3つは全て1分43秒以下で走り、再び年間世界ランキング1位に輝きました。
後に les でけにけかケアを取られた影響で、彼のトレーニングは妨げられ、彼は二度と1984年から1985年のピークには戻れませんでした。彼は1987年のパンアメリカンゲームズで1500メートルで金メダルを獲得し、1988年のオリンピックでは800メートルで銀メダルを獲得しましたが、アキレス腱の問題により数年間競技から遠ざかりました。彼は1993年に国際大会に復帰し、あまり成功はありませんでしたが、1995年のパンアメリカンゲームズでは1500メートルで優勝しました。
個人記録:800メートル - 1分41秒77(1984年);1500メートル - 3分34秒63(1988年)。

https://olympics.com/en/athletes/joaquim-cruz-1
オレゴン大学のヘイワードフィールドの横の地面に名前が掘られている
オレゴン大学の記念館に殿堂入り選手として讃えられている。

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