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変わらない愛のウソ

コロナ以降、
いろんな変化を余儀なく
されている人が多い。

働き方
学校の在り方
家での過ごし方
家族との過ごし方
買い物、etc.


満員電車に乗らなくて良くなったり
ムダな会議がなくなったり
付き合いのイベントもなくなり

不要なものが削ぎ落とされて
「余儀なくされている」と言いつつも
喜ばしい変化の方が多い気がする


でも、

「変わること」について
全く抵抗のない人は
どれぐらいいるのだろう?

慣れ親しんだ習慣も
人との関係性も

ガラリと変わってしまうことに
恐れを抱いている人は
結構いるんじゃないかと思う

特に

近しい人との
人間関係においては...


人は、
「変わってしまう相手」と
「変わらないでいる自分」の
構図に耐えられない

自分の安心安定な状況まで
崩されるのではないかと思うから

だから、

無意識で
「変わろうとしている人」の
足を引っ張るし

変わらないでいて欲しいと願う


変わろうとしている人にとっては
重いことこの上ない

自分の「残像」を愛しているだけでしょ
って言いたくなる


でもさ、

これ、自分自身には
フツーにやっちゃってるんだよね

どういうことかと言うと、

「変わりたい自分」と
「変わりたくない自分」の
せめぎ合い
ってこと


こんな自分はイヤだ!
もっとこんな風になりたい!

という願いはあっても

変わらないままでいることの方がラクだから
なんだかんだと理屈をこねては
「変わりたい自分」の足を引っ張ってる

「変わりたい自分」にとっては
重いことこの上なし

でも、

自分で自分を縛ってるから
誰にも文句は言えない


「変わらないことは衰退と同じこと」
とは良く聞かれる言葉だけど

頭では理解していても
肌で痛いぐらいに感じない限り
人は変われない


「変わりたくない自分」を
振り切るぐらいの衝動がない限り

いつまでも
「変わらない理由」と
「変われない理由」を挙げて
自分を縛り続けるだけ


そこまでの衝動がないのなら

もう少し「今の自分」に
甘んじててもいいと思う

いつか破壊的な衝動が来るまでは


人生は絶望から始まる


他人を縛る愛
自分を縛る愛

とことん嫌気が差したら
いつか解放してあげたくなる

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